エピローグ 決意表明
「いろいろと検討したが、王都に戻ろうと思う」
帰る時期を先延ばしにした翌日。朝食後に執務室を訪れたアレスは、クレインに王都への帰還を告げた。
何の脈絡もない宣言に驚きつつ、一拍置いて、クレインはその理由を尋ねる。
「どういう心境の変化なんだ? 昨日はあんなに駄々をこねていたのに」
「不敬罪で処すぞ貴様」
軽口を挟みながらも、早朝に王都から届いた手紙を差し出して、アレスは続けた。
「どうやら情勢が変わったのでな」
「これは?」
「王都に出戻った、レスターからの報告書だ」
クレインが内容を読み進めると、王都の不穏分子が、順調に撲滅されていると書かれていた。
だが問題は、その動きが順調すぎることだ。
「……なんだか、連行された数が多いな」
「ああ、想定が外れたようだ」
特に目立った人間を排除して、怪しい人間に監視を付けるくらいが落とし所だろう。
彼らは王宮の対処をそう推測していた。
しかし処罰の対象者が異様に広く、アクリュースを支援していたであろう、派閥のほとんどに調査の手が及んでいる。
報告書には、多少でも陰謀と関係がありそうな人間は、誰彼構わず取り調べを受けていると記されていた。
「……陣頭指揮を執っているのはアイテール男爵家だが、指揮官に余計な者が加わったらしい」
「余計な?」
「あの大馬鹿者だ」
その単語だけで、もう察せた。
だから苦笑いをしつつ、クレインは事の裏を考える。
「先生は、徹底的に取り締まるつもりみたいだな」
アイテール男爵は以前にも、王都での動きを密書でクレインに伝えてきた。
その時点でも厳しい動きをしていたが、ラグナ侯爵家の看板を背負って参戦したビクトールは、輪を掛けて容赦が無い。
これにより計画を乱されたアレスは、恨みの籠った眼差しをクレインに向けた。
「平素は働かぬ穀潰しだが、働いてみればこれだぞ。一体どこまで厄介なのだ」
「まあ……この際、それは置いておこう」
この分なら、じきにアレスの身は安全になるだろう。
しかしそうであれば、急ぎの帰還を決めた理由は何か。
クレインは頭を回して、このまま進んだ場合における、先々のことを思い浮かべた。
「なるほど。このまま荒らすと本命が王都を離脱して、地方に潜伏するかもしれないな」
「そうだ、だから厄介だと言っている」
アレスの暗殺を目論んだのは、もちろん反乱軍に付いた貴族たちであり、その旗頭と言えば第一王女だ。
旗下の貴族たちに包囲網が敷かれた場合、中央は危険と判断したアクリュースが、東西のどちらかに逃れる確率が高くなる。
そして、過去よりも早く王都から出た場合は、そこから先の動きも変わってくる。そうなれば過去の経験が全く参考にならず、事前の予想が不可能な域にまで達するだろう。
「だからこそ、多少のリスクを負ってでも、今は私が中央にいるべきだと判断した」
アレスらしからぬ発言ではあるが、彼は何でもない様子で、迷いなく続けた。
「万が一、暗殺されるような事態になれば、やり直せば済むことだ」
「それでいいのか?」
「構わぬ」
自らの命を駒として割り切れる程度には、アレスの肝も据わっていた。
だから至極、合理的な判断をしつつ、彼は今後の予想をクレインに告げる。
「冬場は捜索範囲が限定されるからな。逃亡を図るとすれば、初雪の頃だろう」
「ヘルメスの時みたいに、どこかで捕捉できればいいんだけどな……」
捕縛作戦を思い浮かべたクレインは、すぐに渋い顔をした。以前とは違い、今回のケースでは捜査網の構築が難しいからだ。
と言うのも、ジャン・ヘルメスは大商会の長ではあるが、爵位を持たない民間人だった。
クレインとて、表立って動かしたのはスルーズ商会だったため、始末の瞬間以外を切り取れば私人間の争いに過ぎなかったのだ。
だが今回は第一王子が狙われて、王宮に被害も出ている以上、国家の威信を賭けた捜査が行われている。
「無理に支援を申し出ても、悪目立ちしそうだ。どうしたものか」
忠誠心の高い中央貴族や、各騎士団が血眼で反乱分子を探しているのだから、横槍を入れる隙などどこにも無かった。
介入の大義名分を探して唸るクレインに対し、アレスは冷ややかな笑みを浮かべて言う。
「そこで、私の出番というわけだ」
「策があるのか?」
「ああ、擬似的に時渡りを使わせてもらう」
回帰したところで、記憶を保持できるのはクレインだけだ。
時渡りの真似事と言われたクレインは、首を傾げて聞き返した。
「……ええと、どういうことだ?」
「私が毎回、情報収集の相手を変えて、その結果を伝達すればよかろう」
つまり今回の人生では、指揮官のアイテールをマークして情報を掠め取り、クレインに自害させる。
そして次の人生では、参謀のビクトールから情報を盗み取り、クレインに自害させる。
方々から得た情報を結果を集計していけば、アースガルド家が無理に手勢を動かさずとも、国の調査結果を横取りできるという算段だった。
「繰り返し欠片を集めれば、いずれは調査状況を完全に把握できよう」
身分を盾にして情報を強請るという面でも、尋問の腕という意味でも、自信を感じる声色だった。
しかし過度に尊大な態度で、自信満々に言い放ったアレスの様を見て、クレインは苦笑する。
「命を無駄にしない方が、いいんだよな?」
「私は死亡回数を、最小限に収めろと言った」
死ぬことに価値がある場面。要は、死ぬべきときは死ねということだ。
なんという詭弁だと、クレインは困り顔をする。
しかし数打てば当たるの無作為な索敵よりも、アレスを利用した諜報活動の方が、死亡回数を抑えられるのは確実だ。
だから両手を挙げながら、賛成の意を示す。
「分かったよ。なるべく、俺が死なないように頑張ってくれ」
「確証が得られるまでは続けるぞ。……誤情報を渡すわけにもいくまい?」
「そこは本当に頼む」
その件を持ち出されてはと、クレインは諦めの感情を抱きながら、首を縦に振る。
アレスの誤情報で踊らされた過去を焼き直すのは、勘弁願いたいことだった。
「とは言え、暗殺される度に情報を集めるのは大変だから、そっちも死なないように立ち回ってくれ」
「誰に物を言っている。……まあ、そういうわけだ」
安全が確保され次第の予定だったが、こうした事情で唐突な帰還が決まった。
それでもアレスにとっては、この選択も戦術として悪くはないという印象だ。
何故なら、帰るつもりがなかったのは本心だからだ。
「この近辺にまだ間者が潜んでいたとしても、当面は様子見に徹するか、アースガルド邸での暗殺を目論んでいることだろう」
「ああ。気まぐれみたいなものだから、この移動を読めないとは思う」
だからこそ、拙速でもいいから最速で、突然アースガルド領を出ていくこと。
その選択も妙手ではあると、クレインは頷いた。
「敵の諜報も対応できないだろうし、道中は安泰か」
「……問題はむしろ、陛下への申し開きだな」
「それこそ失敗すれば、やり直せばいいさ」
帰路が順調だったとしても、そこから先には国王との折衝が待っている。
その話がどう転ぶかは出たとこ勝負だが、アレスの顔に悲壮感は無かった。
むしろ感慨深そうに、彼は言う。
「……そうだな。やり直せたからこそ、今がある」
この時期には落命していたはずのアレスが、暗殺の回避に成功して、今もなお健在でいるのだ。
詰んでいた状況から立ち直り、違う道を歩み直せたのだから、変わった未来もきっとどうにかなる。
彼らの間には、そんな共通認識があった。
「ともあれこの状況で、座して待つことで好転する要素は無い。早急に情報を集め、先手を打つぞ」
にわかに慌ただしくはなったが、取り締まりの苛烈さを知った以上、地方で静観している場合ではない。
それはクレインとしても頷ける意見だが、念のために今一度の確認を入れた。
「最悪を想定した方がいいとは思うけど、結局、禁術が敵の手に渡っている可能性は高くないんだよな?」
「ほぼ、皆無と言っていいだろう」
ならばクレインにとっての懸念は、復讐相手が掻っ攫われて、手を下す機会が失われることだけだ。
しかし仮に身柄を押さえられた場合は、発見時の報告を読み返し、潜伏先に当たりをつけて、自分たちが先回りすることもできる。
そう考えるクレインに対して、アレスは不機嫌そうな顔のまま、身を乗り出して言う。
「いいか、ほぼゼロではあるが、決してゼロではない。油断はするな」
「勘弁してくれ、分かってるって」
クレインは予想外の展開に思考停止しがちだが、復讐に関して手を抜くつもりは無い。
だからここは軽く流しつつ、アレスに言う。
「でも、先生たちの捜査で取り逃したとしたら、王都を出た時期だけでも把握しておきたい」
「そうだな。その点は、よく見ておくとしよう」
過去のアクリュースは東部のヘイムダル男爵領にいたが、順当に考えれば王都からほど近い、西部地方に身を潜める確率が高い。
東部に落ち延びたことに、特別な理由はあるかもしれないが、進退窮まったアクリュースが手近な避難先を選ぶ可能性はあった。
そもそも王都から脱出しない可能性や、中央部に留まる可能性もあるが、そこは優先順位をつけて絞っていくことになる。
「地方に逃れたとすれば、その時点で好機ではあるがな」
「ああ。王都を出てくれさえすれば、むしろこっちのものだ」
厳戒態勢の王都では、クレインに打てる手は限られていた。しかしそこから外れた場合は、配下を投入する用意がある。
中央勢力の誰にも気づかれずに、潜伏した王女の身柄を奪うこともできるだろう。
そうなれば何も問題は無いとして、アレスは話を締めくくりにいく。
「王都のことは王都の手勢で片付ける。派遣した人材も、ブリュンヒルデも引き続き貸してやるから、上手く使え」
「助かる。まだ手は足りてないし、やるべきことも山積みだからな」
アレスの帰還によって何が変わるかと言えば、何も変わらない。ただ昨年末までの体制に戻るだけだ。
つまりは今後は各自が、各自の持ち場で、為すべきことを為すことになる。
これで別れの挨拶は済んだとばかりに、アレスは外套のフードを被った。
「ではまた、春に会おう。三家での同盟会議には、私も顔を出すつもりだ」
「もう行くのか?」
「すぐに発つが、見送りは無用だ。あくまで秘密裏に移動するのでな」
これよりアレスは反逆者の捕縛作戦に便乗し、情報を横流しされたクレインは、王都の外で包囲網を形成する。
その先に待つものは、一つの終着点だ。
互いに大詰めを予感している中で、アレスは右手を差し出した。
「なるべくでいい。死ぬなよ、クレイン」
「そっちも、元気で」
固く握手を交わしてからすぐに、アレスは執務室から出て行った。
その背中を見送ったクレインは窓辺に立ち、執務室の窓から晩夏の青空を見上げる。
「いよいよ、時がくるか」
季節はもうじき、秋に入る。そして捕捉の機会が巡ってくるとすれば、冬の始まり頃になるだろう。
そのため今秋中に用意を重ねて、激動の冬に備えることになる。
「誰にも渡さず、俺たちで見つけ出すんだ」
禁術の副作用と、トラウマによって記憶を無くしても、なお残ったもの。
それは心に根を張った、怒りと恨みの感情だ。
クレインが持つ不屈の精神の根本には、元凶である王女への復讐心があった。
どれほど死を繰り返しても消えない、憎悪を原動力にして、地獄のような日々を耐え忍んできた。
「……もう、報復だけに囚われてはいないよ。守りたいものも、大切なものも、たくさんあるから」
歴史を変えた結果、身近な人間が何人も死んだ。
自らの命を消耗品と捉えて、度を超えた自害も繰り返した。
しかし、そんな事態を回避したいがために、この生存戦略を続けてきたのだ。
原点を振り返った今、全てを投げ打つような復讐に走ることはない。
「だけど区切りを付けるために、避けては通れない」
領民を、友人を、忠臣を、家族を守りたい。
それこそが、クレインが心から願うことだ。
怒りや憎しみが全てではないとしつつ、クレインは敢えて、天に決意を表明した。
「因縁を断ち切って、前に進むためにも……ここで仕留める」
少ない手がかりを何度も手繰り直し、どれだけでも人生をやり直して、必ず凶行の報いを受けさせる。
自分が自分のまま変わらず、ただ非道への報復として仇を討つ。
その意志を確固たる物にしたクレインは、遠く青空を睨み、呟く。
「決着を、つけようか」
首尾よくアクリュースを捕らえたとしても、始末したとしても、その先には決戦が待ち受けているだろう。
しかし苦難の道を進み続けたことで、果たすべき目標は見えてきた。
真相を知った日から始まった物語は、やがて一つの結末に辿り着く。
次回から、第十三章「真相解明編・改」に入ります。
更新は10/5(土)の予定です。




