第百三十九話 動き出した歴史
時が流れて、ヴィクターがアースガルド家を訪ねてきた。
訪問に至るまでの流れは、過去と全く変わらずだ。
そして訪問目的にはクレインの値踏みも含まれているのだから、普段から抜かりなく用意をしてある姿勢を見せることで、マイナスの評価は生まれない。
だから今回は適当な理由をつけて、先に歓待の用意を終わらせており、屋敷には高級なワインや葉巻などをトレック経由で大量に仕入れさせていた。
会談にも同様に備えていたため、会議の時間とて多少は短縮されている。
「では、同盟案も固まったことですし、もう一点よろしいですか?」
「構わないが、何か?」
まずは経済、軍事、政治での協力体制案を固めること。
これは前回の交渉と変わらない流れで決着した。
その上で、ここ数ヶ月で行った裏方の作戦についての話も追加していく。
話の前段階として、クレインは会談翌日からの事件を、予想という形で告げることにした。
「帰路では敵軍に襲撃される可能性が高いので、警戒を強めていただきたいです」
「……ほう?」
情勢が不安定なアースガルド領の北部を抜けるとしても、周囲を友好的な勢力に囲まれたルートだ。
その軍勢とやらは一体どこからやってくるのかと、ヴィクターは訝しげな視線を向けた。
対するクレインはヴィクターの威圧を受け流しつつ、敵軍の侵攻経路を、地図上に書き込みながら話す。
「中央部と東部を隔てる山脈には、いくつかの登山道があります」
「そこを抜けて、強襲を仕掛けてくるとでも?」
「事前の準備さえあれば、2個中隊くらいは差し込めるかと」
ラグナ侯爵家とて、勢力圏が山脈に隣接しているのだから、その話自体は分かる。
しかし状況的に、考えにくいことではあった。
「敗戦してから、まだ半年ほどだろう。先を見据えているのならば、無理な行軍と言えるが……根拠を聞かせてもらえるだろうか?」
敵の最終的な目的が王都の陥落だとしたら、一撃で決めるのが最良だ。国軍を集結させる前に、不意打ちで決着に持ち込むのが、一番勝率が高い。
この点で、中央部に侵攻する作戦には多大なリスクが伴う。
派兵の時点で王宮からの警戒を招けば、精鋭を失う確率も高いからだ。
アースガルド家の打倒やラグナ侯爵家への攻撃などは、あくまで通過点なのだから、ヴィクターが根拠を求めるのはもっともな話だった。
しかし結果を基に話しているのだから、どうとでも説明できる。
クレインは軽く咳払いをしてから、落ち着き払って言った。
「東部に送り込んだ間者から、東伯軍の一部が、この山間部に送られたという報せがありました」
「なるほど、現地からの報告か」
北部に位置するラグナ侯爵家は、北東部にあるヘルヘイム侯爵家の勢力圏と隣接しているため、南東にあるヴァナルガンド伯爵家の近辺には手が届きづらい。
より近場にあるアースガルド家からの報告となれば、そこには一定の信頼があった。
「ですから、少なくともテミス男爵領の辺りを越えるまでは、見送りの部隊に護衛をさせてください」
「明日にでも帰るつもりだったが、であれば、数日は滞在した方がよさそうか」
実際には密偵を目立たせないために、東部からの連絡を禁じている。しかしそれは話し相手には分からないことだ。
納得した様子のヴィクターを見て、クレインは続けた。
「護衛部隊の編成は既に終えてあります。むしろ、すぐにでも発つべきかと」
「……ほう、手回しのいいことだ」
帰路での襲撃に合わせて、子爵領内での工作も行われる可能性も高い。だから子爵邸に留まらず、最速で引き揚げた方がいい。
ヴィクターに護衛を付けて、北部に帰す名目はこんなところだ。
だが実際には、グレアム隊が山際での撃退に成功するので、組織的な襲撃は起きないと確信していた。
だから護衛の軍を付ける理由は、戦闘ではない。
全ては情報収集のためだ。
買収された刺客などに襲われた場合は、どの地点で、どんな人物に襲われたのかを事後報告させて、次回以降で先回りをするための措置だった。
「軍勢は山脈から西へ真っ直ぐに抜けて、侯爵家への帰路を襲うか。もしくは子爵領を狙うかの二択ですが、用心に越したことはありませんね」
もしもの備えだと言うのだから、どこからも反対意見など出ない。
そして護衛軍の指揮官には、北部出身の武官を選出してあるため、ヴィクターも多少の評判を知っている人間が多い。
これだけ揃えておけば、追加の説得も不要だ。
そう思いながら、クレインは話を先へ、本題へ進めていく。
「領内での破壊工作についても、間者に目星を付けた上で対策済みです。適宜処理を行いますので、経済政策などは予定通りに」
「……内通者の炙り出しと、殲滅か。それは重要だ」
「ええ、そこは抜かりなく」
ヴィクターは厳格な統治者であるため、不穏分子には容赦が無い。公益よりも害が勝ると見れば、お抱えにしている商会であっても、族滅する勢いで排除するほど合理的な男だ。
だから裏切り者の発見と粛清は、彼の政治志向にも合致している。
自然な笑みを見れば、好みに合う発言だったことも分かる。
「そこで終わらず、もう一手を打つつもりです」
「と、言うと?」
「先ほどのお話にもありましたが、既に東部には間者を放っていますから、それを利用して……」
嫌なところで好感を稼いだなと思いつつ、そうであれば暗殺についても理解が得られるだろうと踏んで、クレインは計画を共有した。
「東部の各地で、敵対的な領主を処理しようかと」
「それは素晴らしい。成果を期待させてもらおうか」
思った通りに、ヴィクターは計画を後押しする方針だ。
態度から察するに、頼めば支援すら得られそうな雰囲気だった。
しかしこの場にいるのは、彼とクレインだけではない。
「当家からは何とも言い難く……。そちらは、お任せいたします」
平和で裕福で、戦乱の気配など全くない、南部の出身である南伯からの使者は、いささか引いた顔をしていた。
そして黙って聞いていたビクトールも、難しい顔をして言葉を選んでいる。
「先生にも何か懸念が?」
「……いや、これは……アレスくんの発案かな?」
「私とクレインが共に立てた策だ。どちらが主軸ということもない」
アレスの言葉で、ビクトールは更に表情を曇らせる。
不快や嫌悪ではなく、困ったような顔つきだ。
意図が分からないクレインはただ言葉を待ったが、答えよりも先に、ヴィクターが呆れたように言う。
「この男は甘い考えをしているのでね。若者が搦め手を使うことを、良しとはしないのだよ」
「はは、まあ、そういうことさ」
とは言え、これも好みの問題だ。ビクトールからしても、これが現状における最適解ではある。
成果だけを望むなら、むしろ、この立案を褒めるべきだった。
「先生、この作戦は」
「いや、いいんだ。分かっているよ」
少なくとも王都の騎士団員や、侯爵軍の将が提案をしてきたのなら、仕込みから含めて「有能な人材」という評価になる。
気にしているのは、年端もいかない若手が提案してきた、という点だけだ。
「……それでも、安易に手を出す習慣だけは、身に付けないでほしいかな」
「ええ、次の予定はありませんから、そこは大丈夫……だと思います」
今のところ、予定が無いのは本当だ。しかし必要とあらば、迷わずに、何度でも暗殺を試みるだろう。
そう考えているクレインには、はっきりと断言はできなかった。
さりとて協力体制についても、邪魔者の排除についても、全てはアレスとクレインが望んでいた通りに構築されていく。
王都での動きも含めて、一切は予定の通りに進んでいった。
◇
「それで、話とは?」
会談が終了した直後、ビクトールは応接室に残り、ヴィクターと話すことにした。
出奔したことへの怒りは冷めやらないまでも、ある程度は落ち着いたヴィクターと向かい合い、ビクトールは憂鬱そうに呟く。
「あんな手段を択ばせてしまったのも……我々、大人の責任なのだろうね」
「そう思うのなら、今後は精力的に働くことだな」
もちろんビクトールとて、ただ遊興に耽っていたわけではない。アースガルド家に滞在している間は、北部では得にくい情報が収集できたため、実りはあった。
言うなれば、対ヴァナルガンド伯爵家への諜報のような――表に出ない仕事は常に抱えていたのだ。
だから彼が言う責任とは、怠慢や勤勉さを指してはいなかった。
「僕が言いたいのは、そういうことじゃないんだ」
「分かった上で言っている」
クレインやアレスが卑怯な戦法を取ることで、戦況は好転するだろう。しかし、彼らがそうせざるを得ない状況を作ったのは、一つか二つ前の世代の、大人たちだ。
暗闘を主動する汚れ役になることも、事態を解決をすることも、自分たちの世代で担うべきことだった。
そう考えていることを見透かした上で、ヴィクターは吐き捨てるように言う。
「思い上がるな。世の中の流れ、時代や時流など、一個人で左右できるものか」
「今となっては……どれも便利な言い訳にしか聞こえないよ」
親の世代で誰もできなかったか、どうにもならなかったことを、子どもたちの世代がやった。
それは成長の証でもあるだろう。立場や柵に囚われきっていない、若い世代だからこそ踏み切れた決断でもあっただろう。
しかし個人的な感情で言えば、ビクトールには悔恨が残った。
「思えば、決意や覚悟一つを上乗せするだけで、打てる手は沢山あっただろうにね」
「今からでも、やればいい」
「……そうだ。今からでも始めるべきことは、ある」
ただ過去を悔いていても、何も変わらない。
だから彼は、求められていない範囲の問題を――全ての根本を解決すべく、発案した。
「たとえば今、王都では不穏分子の炙り出しが行われているよね」
「ああ。殿下を狙った者たちの検挙……という名目で、反体制派の粛清がな」
「そこに、手を加えようと思うんだ」
「何をしようと?」
立場の問題で、彼らにはできなかったことがある。
しかしそれは、クレインとアレスの立場からも同様だ。
教え子たちが、道を踏み外しかねない選択を余儀なくされたことに、責任を感じているのならば――自分にしかできないことを――彼らにできないことをすればいい。
その筆頭を思い浮かべて、ビクトールは言う。
「捜査を拡大して、アクリュース殿下の捕縛を試みよう」
反乱に関わる問題の大半に、第一王女の手出しや、画策がある。
ならば元凶を捕らえることが、解決に至る一番の近道であるということだ。
「王女を捕らえる、か。それで解決することは多いが……できると思うか?」
「うん、無理だろうね」
しかし直前の発言を、自らがあっさりと否定した。
お手上げの仕草を取りながら、ビクトールは続ける。
「潜伏から2年以上の時が経つんだ。今から探し出せるくらいなら、とうの昔に陛下が見つけているはずさ」
発見や捕縛が叶うならば、もちろん最上だ。
だがその確率は、ごく薄い。
「ならば、どうする」
「本格的に探し出そうとすること。その動きだけでも意味はあるよ」
王都の近郊にある潜伏先や、協力者を次々と潰していけば、活動の範囲が次第に狭くなっていく。
そうすれば、最終的には居場所が見つかる――前に、アクリュースは王都を出るだろう。
十分な余裕を持ち、確実に逃げられるラインを割る直前で、逃走される公算が高い。
だが、それで十分だった。
「王都から追い出すことを最低目標に据える。そうなれば、撒かれた種を掘り出せずとも、これ以上育つことはなくなるはずだ」
司令塔が不在の組織は脆い。奇しくも現在のヘルメス商会が、似たような境遇に置かれていた。
完全な決着に持ち込める可能性は低いが、敵方の戦力を削るには十分な作戦。
言うなれば、クレインとアレスが立てた策と、似た性質を持つ作戦だった。
「それも、教育か?」
「そうなってほしいという、願望かな。……争いは、虚しいだけだから」
不倶戴天の敵対者が現れたとしても、殺す以外の手はある。
生かしたまま、抵抗を諦めさせる道もあるのだ。
そうすれば憎しみの連鎖が生まれない――とは言えないが、新たな争いを生む可能性は低く抑えられる。
「どれもこれも、今となっては……だがな」
「……それでも、手遅れではないはずさ」
平和裏に勝つ手段を今さら学ばせて、どうにかなるものではない。しかしやはり、やるべきことではある。
ビクトールはそう結論付けてから、苦笑いをした。
「まあ、できるところまではやってみるよ。今の僕にできる範囲でね」
クレインとアレスが立てた作戦。それそのもので、歴史は変わるだろう。
しかし発案者のことを知る人間の、心情にも少なからず影響はある。
だから、彼らが意図していないところで――歴史が動き出すこともある。
クレインがそこに気づくのは、ビクトールの仕事が終わった頃の話だった。
次回は8/3(土)に更新予定です。




