第百三十二話 冥途の土産
クレインは屋敷が襲撃された半月前に遡り、領内の視察を始めた。
道中は無事に通り過ぎて、出発から2日目の日暮れを迎えた頃に、最初の目的地である村へと到着。
今は小さな屋敷の食堂で一人、会食のために待機しているところだった。
しかし小さいと言っても村長の屋敷だ。
村の集会や、災害時の避難に使われるため、適度に装飾された食堂はそれなりの広さを誇っている。
クレインは適当な名目で護衛を下がらせてから、急な訪問で支度ができていないという、村長の到着を待っていた。
「今のうちに、少し整理でもしておこうか」
今回の巡察は言わずもがな、敵対勢力の調略が、どこまで進んでいるのかを確かめるためのものだ。
この点で、彼はまず中央部。王都方面の敵について考えを巡らせる。
まず、抜け駆けをした人間の思惑はともかく、トップであるアクリュースの意向は勢力の拡大だ。
ならばアースガルド領を丸ごと手に入れて、できれば領主ごと穏当に引き抜いて、安定した体制のまま運用したがるのが自然だ。
だからこそ、破壊よりも根回しを優先して、政治機能を司る領都を中心に工作を仕掛けていた。
「乗っ取りを視野に含めているのなら、領都だけを調略しても無意味だ。重要拠点を掌握したところで、地方をおざなりにすれば統治がままならない」
迎合させるにしても、地元の名士からの圧力があった方が、話は早い。
暗殺して領地を吸収するにしても、円滑に治めるには十分な数の協力者が必要だ。
何より、傍目にも無理のある交代劇を企てれば、後々で領民からの反発が予想される。
だからどのような展開になろうとも、やるべきことはあまり変わらなかった。
王都方面の敵からすれば、今まさにクレインが滞在しているような、領内各所の街や村に手を出さない理由が無いのだ。
「東伯にしても、背後を荒らすための駒は用意するはずだ。どんなに少数でも、小規模でも、事件が起きる度にリソースを取られるからな」
進軍経路の確保を主眼に置き、アースガルド領の破壊を目論む東側の陣営からしても、クレインの目が届かない範囲に設置できる裏切り者は、何人いてもいい。
クレインが費用対効果を考えても、謀反の誘発は最効率だった。
何せ現地で雇った裏切り者など、使い勝手のいい捨て駒だからだ。
「訓練の費用や期間が不要なら、遺族への配慮や返還交渉も不要か。道義を無視するなら、これほど扱いやすい人材もない」
実際には正規兵の捕虜にさえ返還交渉を行わず、無駄飯食らいにさせた挙句に、収容所を襲撃して奇襲に参加させていた。
捕虜まで戦力に換算したり、近隣の領主に話を付けて、軍勢の通行を黙認させたりしているくらいなのだ。
どんな武略でも使う相手という認識は、既にクレインも持っていた。
「これまでの経緯を見れば、中央に負けず劣らず……。いや、王都までの道程だけを考えればいい東側の方が、手を入れている箇所は多そうだな」
クレインは独り言ちて、口寂しさを紛らわすためにと提供された、果実を齧った。
「何にせよノルベルトたちへの説得は上手くいったし、当面はこの手で進められる。あとは事の成り行き次第か」
旅の護衛は小隊が3つだけだが、マリウスやノルベルトからは、もっと増やすようにと進言されていた。
訪問先の忠誠心以前に、道中での襲撃や暗殺のリスクもあるのだから、この提案は当たり前だ。
しかし訪問の目的が、軍勢による威圧と取られて、関係が悪化すれば元も子もない。
そんな、もっともらしい言い訳の下で、限界まで削った数がこれだ。
加えて、途中まで同行させたランドルフ隊とグレアム隊は、村の敷地外に野営させてある。
村の中まで連れてきた小隊は1つだけであり、護衛の総数は5名になっていた。
「ここまでやれば十分だろう。さて、いつ食いつくかが問題だ」
連れてきた護衛の内訳として、まず裏切りが確定した人間から4名を選出。
そして、敵味方の判別が付かなかった者から、更にもう1名を選んでいる。
いつでも人に囲まれているクレインが、孤立する状況は滅多にないのだ。
刺客からすると、この好機は逃せない。
敵か味方か疑わしい者も、実際に裏切っていたとすれば――5人がかりで襲ってくるだろう。
つまり今、クレインは自ら暗殺しやすい環境を整えてやり、裏切りを誘発させていた。
「俺を始末しようと思えば、離反した護衛だけで足りる。この村の住民まで加勢しにくるかは未知数だけど、きちんとした護衛に入れ替えれば、そこもクリアできる」
政策に難色を示している村長や、領主の指示に嫌々従っている村。その他、急に羽振りが良くなった土豪の存在などは、執事の業務日誌を見ればすぐに分かった。
そうした忠誠心が怪しい村に、無防備な状態で宿泊すること。
今回の作戦は、実のところそれだけだ。
要は地方の有力者が離反していないかを調べると同時に、証言の対立などで容疑が固まりきらなかった、使用人や衛兵を精査する作戦を決行している。
「まずは東側に付いた人間の判別からだ。俺の殺害が目的なら、すぐにでも仕掛けてくるはずだからな」
以上の事情を念頭に置いた上で、同じ場所、同じ人でも何度か試す必要があった。
工作を仕掛けてきた敵が、複数勢力に分かれているからだ。
例えば、護衛のうち4人が東側に寝返っていて、残る1人が中央側に付いていた場合は、互いに認知していないが故に――謀反人の発見に失敗するかもしれない。
ついでに言えば、アクリュース側に寝返った人間は短絡的な暗殺を避ける可能性が高いので、そこにも別なアプローチが必要になる。
場合によっては裏切りに乗れなかった可能性も残るため、仮に容疑者が襲撃してこなかったとしても、状況を変化させて何度か暗殺を受けるつもりでいた。
旅の目的はそんなところだ。
それらを再確認してからしばらくが経ち、ようやく村長の老人が姿を見せた。
「子爵様、大変お待たせしました」
「もう俺のことを、クレイン様とは呼ばないのか?」
相手は保守的な考えが強く、改革に反対し続けてきた村の長だ。とは言え、領都での会議や収穫祭などには欠かさず来ていたため、物心が付いた頃から知っている顔でもある。
もし多少の不満を抱いている程度であり、話し合いで蟠りが解けるならば、クレインはいくらでも言葉を重ねるつもりでいた。
隔意ができて、呼び方が変わった程度であれば。
――そんな甘い考えはすぐに捨てた。
村長が部屋の外に手招きすると、クレインが下がらせたはずの護衛が、武器を抜いた状態で現れたからだ。
「これも、けじめ……ですので」
「なるほどな」
村長は酷く緊張して、冷や汗をかいている。
この有様では暗殺どころか、暴力沙汰も初めてなのだろう。
あるいは主君を殺めること。それは昔ながらの考え方からすると、忌避すべきことなのかもしれない。
大罪を犯す覚悟を固めるために、爵位呼びで礼儀を尽くしているのだろうか。
と、クレインは冷静に状況を推測しつつ、村長の背後に視線を送った。
「……5人か」
連れてきた護衛は全員、東側に寝返ったであろう、村長の側にいる。
つまり、証拠や証言に難があるため、去就が定かでなかった人間が1人――確実な裏切り者にカテゴライズされたということだ。
「そうか、なるほどな」
今まで敵だと断定できていなかった男は、誰の手下なのか。どこから指示が出ているのか。横の繋がりはどれだけあるのか。
背後関係まで含めて、正解のパターンはいくつか考えられる。
だが何にせよ、今後はこの場の全員が味方でない前提で動けるのだ。
それこそが収穫であり、現時点での正解不正解など些末な問題だった。
「お前も、裏切り者か」
クレインの呟きを拾った兵士の一人が、返事の代わりに笑みで返す。
道中でも仲間たちと綿密に打ち合わせをして、計画通りに事が運んだことによる、余裕の笑みだ。
もとから互いに認知していた、繋がりがある仲間なのだろう。
そんな感想を抱いていると、村長からダメ押しの通告があった。
「子爵様。外にも、倅が下男を連れて待機しております。ご観念を」
「囲むほどの人数がいないとなると、村ぐるみではないのか?」
「……あくまで、ワシと息子の考えです」
「そうか」
いずれにせよ兵士が出入口を抑えた上で、外にも人が待ち構えているのだ。
ここまでくれば丸腰のクレインを相手に、兵力の多寡など問題にならなかった。
そしてこれは圧倒的に、刺客側が有利な状況――ではない。
もちろんクレインは死ぬが、確実に大勝となる勝負だ。
むしろ普段よりも、よほど簡単な場面だった。
「……では、最後に聞かせてくれ。いつから謀反を考えていたんだ?」
クレインは冥途の土産にと、自分は何故アースガルド家から離反したのか、きっかけは何だったのかを尋ねる。
すると村長は苦い顔のまま、聞いてもいない仔細まで懇切丁寧に説明し始めた。
信頼を裏切って、平気な人間の方が少数派だ。それが命に係わることなら猶更だった。
だからこれは、ある種の懺悔なのだろう。
しかし酒を酌み交わして、思い出話に浸るような場ではない。
早く済むに越したことはないので、語るにしても限度があった。
「おい、もういいだろう?」
「……うむ。子爵様、手向かいいたしますぞ」
長引けば当然、周囲の人間が切り上げ時を提案する。
村長からしても、それを拒否してまで話すことではなかった。
「今の話を要約すると、急激な発展が幸せに繋がるとは限らない……か。その思想は受け入れられないから、ここまでだな」
発展させねば滅亡するのだから、たとえ村の一つであろうとも、現状維持という選択は取れない。
クレインからすると承服できない願いであり、改善のために聞き出したい情報も無かった。
この村長を更迭することは確定だ。
その上で、彼は改めて、この方法が最善だと確信した。
「穏便に話を持ち掛けても、ここまで素直に本音は聞けないだろうからな」
生殺与奪を握った人間は、どうしても調子に乗る。それが哀れみの方向であれ、愉悦の方向であれ、死人に口なしと思い余計なことまで話してしまうものだ。
クレインはそれを、よく知っている。
だからこそ、人生で一度きりのカードを最大限に利用する。
「なら、次はお前に話を聞こうか」
黙っていても殺してもらえるだろうが、自ら劇毒を呷った方が、早くて確実だ。
そう判断したクレインが、3分前と唱えてから意識を手放すと――
「子爵様。外にも、倅が下男を連れて待機しております。ご観念を」
手軽に切った最後の切り札。人生最後の願いというカードが、手元に戻ってきた。
次に尋問されるのは、取り調べの網を潜り抜けた衛兵の方だ。
「――では、最後に聞かせてくれ。どうして裏切ったのかを」
一度の話し合いで聞ける事柄が、1つや2つに限られるならば、何度でも話し合いを無かったことにすればいい。
そして次に聞けた話は、言い訳のような懺悔ではなく、優越感による自慢に近い。
これは苦痛による拷問よりも遥かに簡単で、信頼度の高い自白だ。
勝利を確信したカモから情報を引き出す作業は、平然と、粛々と、淡々と進む。




