第九十三話 強奪作戦!
時系列が「第五十五話 再獲得と副産物」の直後まで戻ります。
王国暦500年7月12日。
東伯軍との戦いからちょうど1年半前が、ターニングポイントになる地点だった。
クレインは「ヨトゥン伯爵家へのご機嫌伺いに行く」という名目で領地を旅立ち、グレアム一行を下すところまで話を進めている。
「規律は叩きこんでやるからな」
「……へいへい。お手柔らかに頼むぜ」
ここまでの流れは過去とほぼ変わらず、長期出張できる工兵隊員を同行させた程度の変化しかない。重要なのはここからだ。
クレインはこの場で、グレアムに対する初めての命令を下すつもりでいた。
「さて、早速で悪いけど頼みがあるんだ」
「なんだよ藪から棒に。領地に行ってからじゃダメなのか?」
二日酔いで激しい頭痛に襲われているグレアムは、細かいことは後日でもいいだろうと面倒臭そうな顔をしている。
しかしクレインの策は今、この場で命じなければ機を逃すものだ。
この状況こそが千載一遇の好機だった。
「ああ。すぐに取り掛かってもらいたい作業が二つあるんだが、まずは――」
それは昨日までの彼らがやってきたことと、何も変わらない。
やることは至極簡単だ。
「ヨトゥン伯爵領からやって来る輸送隊を襲撃して、積み荷を強奪してくれ」
「……は?」
襲撃予定の相手は、友好関係を結んでいる家が送り出す商隊だ。
しかも奪う予定の品物はクレインが購入済みで、代金も先払いされている。
一見するとまるで襲う意味が無く、ただヨトゥン伯爵家との関係を悪化させるだけの、暴挙にしかならない作戦だった。
「武器はこちらで用意するから、略奪の合間に戦闘訓練も頼む」
「あー……いや、ちょっと待て」
この指示だけを切り取ると、クレインの命令は意味不明でしかない。
しかし彼は、周囲が固まったのをいいことに畳み掛けた。
「次に砦の拡張工事だ。悪いがこのまま引き返して、ハンスの指揮で作業を再開してほしい」
「いや、ちょっと待てって! 一体何言ってんだ!?」
投降した山賊を領地に連れ帰り、軍の一員として働かせる前提で話をしていた。
それが急に、アースガルド領へ移住せず、拠点として使っていた作りかけの山城を強化しろとはどういう了見なのか。
これでは野良の山賊から、子爵家お抱えの山賊へ鞍替えしただけだ。
安定した生活ができると安堵した面もあるグレアムは、伯爵家に再び喧嘩を売れと言われて狼狽していた。
「うーん。まあ、簡単に言うと、領内に大量の食料があると知られたら不都合が出るんだよ」
「……それで?」
クレインは真面目な顔で、グレアムらが建築していた山城を指して言う。
「だからヨトゥン伯爵家から送られてきた品物は、途中の山賊に奪われたということにして、あの山城でこっそり保管しておきたいんだ」
まずはヨトゥン伯爵家から買い付けた作物を、グレアムたちに奪わせる。
その上で、山城を改修して作り上げた一大倉庫に物資を集積させる。
クレインの作戦はこの二段階に分けて行われる予定になっていた。
グレアムらがアースガルド家の傘下に入ることは、今はまだこの場にいる人間しか知らないのだ。
だから然るべき時まで、臣従の事実を隠してしまえばいい。
表面上はアースガルド家と何の関係も無い山賊に奪われたのだから、クレインが自由に引き出せるわけがない。
「そう見せられれば、抱えている問題の全部が丸く収まる」
「お、おう、そうかよ」
アースガルド家の財産でなくなると共に、東伯軍からしてもアースガルド領を挟んだ反対側にある、防御力の高い山城を攻略しなければ手に入らない品物に化ける。
そして敵軍は城攻めが不得意な騎兵のみで構成されているのだから、ここから糧を奪う難易度は跳ね上がるだろう。
「クレイン様、それに何の意味が?」
「領地のすぐ傍に野盗紛いの奴らがいるじゃないか。小貴族たちへの対策さ」
「……ああ、なるほど、了解しました」
新参の者たちは「何の話か」という顔をしている者がほとんどでも、軍事責任者であるハンスが納得の様子を見せたので、異議を挟む人間はいない。
彼らはもうカバーストーリーに使える便利な存在となっていたが、適当な名目を打ち立てたクレインは改めて宣言する。
「だから今、ここで偽装襲撃作戦を打とうと思う」
入手難易度を高く見せて引き下がらせる効果にも期待できるが、それはあくまで在庫の存在が発覚した時の保険だ。
この作戦の本命は、守りが固い地点に食料を置くことではない。
クレインの狙いとは表面上だけでも、物資をこの世から消してしまうことにある。
「よく分からねぇがよ、この山を丸ごと倉庫にしたいってわけか?」
「大体その通りだけど、本当の目的は少し違う」
相手は山賊たちだ。奪った物資を後生大事に保管するわけがない。
普通の賊は目先しか見ないので、あればあるだけ消費して終わりとなる。
奪われてから1年半が経っても、物資はまだ手付かずで残っているはずだ。
などとは、ヴァナルガンド伯爵は考えない。
あくまで合理的に最適解を選んでいるので、この点に関しては常識的判断をするだろうと踏んだ上での決断だった。
「要はアースガルド子爵家とも、ヨトゥン伯爵家とも関係無い山賊に物資を奪われて、この世から消えたことにするのが目的かな」
これはヘルメス商会と同じように、アースガルド領に送られる莫大な荷物の中から、少しずつ横流ししていく作戦でもある。
物資がどれだけ略奪されたかなど調べようがなく、隠蔽から守備までの全てが完璧だと、クレインは自画自賛していた。
略奪と保管の作戦を遂行すれば在庫を確保できるので、集積さえできれば商会の人間で対処できるようになる。
「何せこの山城の立地が最高だ」
「そうかねぇ?」
「ああ、よく開拓してくれたと思うよ」
備蓄を減らして東伯軍が諦める限界を狙うなら、ヨトゥン伯爵領との間を往復していては食料の手配が間に合わない。
しかしアースガルド子爵領とヨトゥン伯爵領の中間にあるこの山城からであれば、輸送時間は半分で済むようになる。
それこそ作戦成功時と同程度に備蓄を減らしても、在庫さえあれば十分に間に合う計算だった。
「目標は4万人を3ヵ月養えるくらいの、食糧保管場所を作ることだ」
「そりゃ大層なこって」
実際にはヨトゥン伯爵家が追加で用意できない人口増加分、2万人を半年養える量だけ確保しておきたいのが本音だ。
今年以降は不作にならないので、高値を付ければ他領からも不足分を輸入できる。
要は焦土作戦の決行から、502年の秋まで保てば生き残れるだろう。
しかもここに隠しておけば、焼き払われる余剰食糧が減る。
籠城の撒き餌にいくらかは焼却するが、作戦のコスト低下という副産物もあった。
そして在庫が潤沢とまでは言えないものの、少し不足するくらいであれば、収穫の早い夏野菜などで誤魔化すことも可能になるだろう。
クレインからすれば合理性の極みのような作戦ではあるが、一方で命じられたハンスの方は目が点のままでいる。
「領地の全人口が4万人くらいでは……?」
「そういうことになるな。できる限り多く貯め込みたいから、気合を入れて改築してほしい」
山城の防衛設備は地形頼りで粗末なものだが、現時点でも2000人ほどが収容できそうな空間はある。
ここを単なる倉庫にするなら、雨風凌げる簡易な小屋を作ればそれでよかった。
また、陸の孤島では建築資材の確保にも苦労するが、長期使用は想定していない。
ハリボテであろうと欠陥建築物であろうと、建ちさえすればそれでいいのだ。
切り出した木材の乾燥や、釘の本数なども最低限に抑えて突貫工事ができる。
「今なら誰も注目していないだろうから、時間との勝負だ」
今のアースガルド領は銀山開発の直前で、領地も加増されていない弱小勢力だ。
すぐに領内から撤退するであろう、ヘルメス商会にだけ気を付ければいい。
出稼ぎ労働者を領内の建築補助に回し、信頼できる古株の衛兵を中心に山城を整備すれば、情報漏洩の危険性とて高くはなかった。
「何ならグレアム隊も全員、一度工兵として育ててくれ」
「……分かりました」
大規模な作業となるが、猶予期間は1年半も残されている。
倉庫が完成する毎に強奪すればいいので、段階を踏んで蓄えていけば、一定の成果は見込める案だった。
「なあ、南伯と揉めても俺は知らねぇぞ?」
「大丈夫だ。手は考えてあるから」
グレアムは既に部下なのだから、命令されれば従うしかない。しかしヨトゥン伯爵家との関係が悪化すれば、その時点でアースガルド領は終わりだ。
だから事前に話を通しておく必要はあるが、誰がヨトゥン伯爵家と交渉するのかと言えば――当然エメットとなる。
「そこで君には、これを頼みたい」
「……はは、これは、どのような書状でしょうか?」
貴公子然とした男は苦笑いを浮かべつつ手紙を受け取り、内容に目を通す。
だがそこに書かれていた文言は、無茶としか言いようが無いものだ。
「山賊を配下に入れたこと。極秘任務でここを貯蔵庫にするから、襲撃されたら素直に略奪されてほしいこと。手間の分の割り増し料金を支払うこと。今後も仲良くしていきたいこと。以上の4点を伝えてほしい」
クレインは有無を言わさず一気に言い切り、エメットは笑顔のまま硬直した。
しかもそこに、追加条件まで出てくる。
「それと、奪われる分の輸送はヨトゥン伯爵家の常備兵か、こちらが指定する商会の担当にしてほしいこと。これを南伯と先代様だけに伝えてほしいんだけど、最悪の場合は懐刀殿にも伝えていいから」
「……いくつか、よろしいですか?」
「ああ、何が聞きたい?」
何と具体的に指摘できるものではないが、エメットは戸惑いながらも、目下一番の問題点を指摘する。
「グレアムさんと配下を引き入れたこと、そしてご機嫌伺い。これはよろしいかと」
「そうか。それで?」
「大人しく略奪されてほしいという要望については……受け入れられないと思います」
盗賊相手に為す術が無いなど、名門伯爵家からすると堪え難いほどの醜聞だ。
事実として情報封鎖を行い、秘密裏に討伐隊を送っていた過去があった。
「正規兵を任務に充てれば猶更ですし、伯爵と先代伯爵へ直接伝えるという点でも難しいです」
もしも大人しく略奪を受けろと要求すれば、激怒したヨトゥン伯爵家が、来年度からの取引を打ち切る可能性は非常に高い。
そこを回避して願いを聞き届けてもらうのは、どう考えても無茶な任務だった。
「そこを、何とかしてくれ」
「は、はは……」
ヨトゥン伯爵家からの許可が得られなければ作戦が根底から崩れるため、無茶でも何でもやるしかない。
クレインは不退転の覚悟で臨んでおり、退くつもりは微塵も無いのだ。
何とかしてくれという言葉は非常に断定的で、絶対にやってほしいという、強い意志に満ちた声色で命じられた。
「これが成功したら外交部門の長は君だ。給金も今の3倍を約束する」
「いえ、あの」
「賞与も付けよう。どんな手を使ってでもいいから、やってくれ」
クレインは誰がどう見ても本気だが、新参者に任せることではない。
エメットは断り文句を探しながら目を逸らし、何とか言葉を絞り出した。
「中央から派遣された文官の中には、私よりも身分の高い方が――」
「秘密作戦なんだ。ただのご機嫌伺いという名目で訪問するには、騎士爵家の次男という身分は最適だよ」
クレインはもっともらしいことを言って背中を押すが、アースガルド家の家臣で外交交渉を成功させた実績があるのはエメットだけなのだ。
彼の順番が先頭になるのは自明であり、クレインは仮に交渉が失敗しようが、必ず一度は送り出すつもりでいる。
どれだけ戸惑われようとも、その方針に変更は無い。
これ以外に滅亡を避ける手立てが見当たらないクレインは、エメットの肩を鷲掴みにして、目をじっと見つめながら折れるのを待った。
「……承知、しました。どのような手段でも構わないのですね?」
「ああ、責任は俺が持つ」
こんな命令を遂行できるなら、それは出世するだろうな。
というか、出世させられるだろうなと、エメットはもう笑うしかない。
彼も既に諦めてはいたが、クレインはここで更なる追い打ちを掛けた。
「ビクトール先生からは是非推薦したい人物の筆頭として太鼓判を貰っていた。自信を持って行ってきてくれ」
「恨みますよ、ビクトール様……」
初仕事をしくじれば前途が暗くなるどころか、ビクトールの顔に泥を塗るという圧力まで加わったのだ。
師が絶賛しており、真っ先に紹介者の候補に挙がったと言われれば、もう完全に逃げられない。
最早退路は無く、死ぬ気で説き伏せる以外の道は無いとエメットは悟った。
「……進物を積んだ馬車を連れて、ヨトゥン伯爵領に参ります」
「ああ、連れていく人間は好きに選んでくれ」
「では……」
しかし先方が怒れば、その場で斬られる任務だ。
殺されなくとも拘留くらいはあり得るので、自発的に行きたがる人間はいなかった。
「ま、待ってくれ! 私には妻子が……!」
「ではお子さんの将来のためにも、功が要りますね」
「お、俺は故郷に恋人がいるんだ!」
「出世したら呼び寄せるのが早くなりますね。良いことです」
無礼を働くことが前提となる、四大伯爵家に喧嘩を売るのと等しい交渉だ。
エメットが随行員を指名する毎に、各所から小さな悲鳴が上がった。
「これで準備は整ったな。気合を入れていくぞ!」
「え、あ、おう?」
「あの、クレイン様……いえ、もういいです」
「はぁ……失敗は、できませんね」
展開がまるで理解できていないグレアムと、半ば諦めて遠い目をしているハンス。
そして何とか生きて帰りたいと、悲壮な雰囲気を漂わせたエメット。
クレインは彼らを使い倒して、強引にこの難局を打破しようとしていた。




