第八十九話 アースガルド領、滅亡のお知らせ
東伯戦でクレインが採用する、主な作戦は三つだ。
まず砦を建築し、籠城すると見せかけて火計を仕掛ける。
次に偽りの敗走を追ってきた部隊へ、伏兵で打撃を与える。
最後に山越えで奇襲部隊を送り込み、敵の補給基地を破壊する。
ここまでは最悪の場合、アースガルド家の力だけで成功するだろう。
しかしアースガルド領内に食料が残っていると、略奪で兵を維持するという道が残る。
そうなればヘイムダル男爵領を焼き討ちしても、敵は退かないのだ。
だから火計の際に余剰食糧を全て燃やし、新しい食料をヨトゥン伯爵領から輸入するという方法で――東伯軍の手の届かないところから――補給が必要となる。
これはヨトゥン伯爵家にしか任せられない作戦だが、しかし今回は話が違った。
「……食料の輸入は、できない?」
「流石に、この数は厳しいです」
婚約の話をまとめたクレインは、過去と同じように大規模輸入計画の提案をした。
だがそれは伯爵家の許容量を超える提案だと、使者は難色を示している。
さりとて輸入に失敗すれば、アースガルド家は滅亡するしかない。
だからクレインは提案の失敗に驚きつつも、すぐに予定外の交渉を始めた。
「そこを何とかお願いしたいです。割増料金でも構いませんから」
「最大限に努力はいたしますが、出したくとも出せないのですよ」
使者の口から語られた問題点は、大きく二点だ。
「まず、この数を確保するには生産力が足りません」
「ヨトゥン伯爵家をもってしても……ですか?」
「ええ、方々からの購入依頼に応えるため、昨年の秋は当家の備蓄まで放出しております」
慢性的な食料不足を回避するために、クレインは今までの3倍にも及ぶ生産契約を結んだ。
冷害に強い品種を育てたので冷夏の被害を受けず、もちろんヨトゥン伯爵領の生産高は過去よりも増している。
しかし耕作面積には限界があり、リソースをアースガルド家に割り振った分、他の家から依頼された食料の買い付けは積み上げた備蓄から行われていた。
何かあった時の備えにと、自領のために保管した穀物まで一部放出していたのだ。
「補充に追われており、実のところ当家にもそれほどの余裕はございません」
「なるほど、言われてみれば当然のお話ですね」
「恐縮ですが……例年通りの収穫高になったとしても、希望量には届かないとお考えください」
今までであれば、クレインが依頼した3分の2に当たる畑では普通に穀物を作り、他家への販売分に充てられていた。
だから収穫量が落ちると言っても、それほどの無理はしていない。
しかし今回はアースガルド家が先を見越して買い過ぎたため、ヨトゥン伯爵領内でも若干の不足が生じている。
在庫の限界が第一の問題だ。
「また、これほどの数となれば、輸送能力も足りません」
「当家と懇意にしている商会から応援を出してもですか?」
第二の問題は輸送の人手、というよりも時間の問題となる。
「ヘルメス商会が使えればまだ、話は別でしたが……」
「今回の件を見れば信用できませんし、物別れしてすぐに頼めないのも理解しています」
クレインからすると極秘作戦であり、敵であるヘルメス商会を使う予定は無かった。
だからそもそも頭数には入れていない。
ヘルメス商会は仕入れた物資の半分を東に横流しするので、流出を防いだ分はむしろプラスになるくらいの計算をしていたのだ。
多少厳しくなったとしても、今は文官が大勢増えたので回せるだろう。
それがクレインの判断だった。
しかし大まかな輸送計画を聞いた使者は、これまた問題があると指摘する。
「輸送にヘルメス商会を組み込んだとしても、間に合わないのが問題なのです」
クレインはヨトゥン伯爵家の在庫と、ヘルメス商会の早期排除による影響について、完全に読み違えていた。
だがそれを差し引いたところで、そもそもの障害はアースガルド領の現況だ。
そしてよくよく考えてみれば、これも当たり前の話だった。
前提条件が変わり、物理的に不可能になっているのだ。
「……人口を、増やし過ぎたか」
というのも、過去に作戦を決行した際は、領地の人口は6万人ほどだった。
それが今や8万を超えようとしているので、領民が増えた分だけ追加せねばならない。
領地を急速に発展させ、過去よりも勢力を増したがための弊害だ。
強くなった結果、別の弱点が露出したと言える。
「最悪の場合は、第二便が届く前に食料が尽きるのでは?」
「……あり得ますね。まだ移民は増えているので」
友好商会を総動員した上で、トレックとマリウスが最速で買収作戦を成功させても苦しい。
焦土作戦までの間に、南部のヘルメス商会を完全に吸収したとしても――配給は間に合わない見込みとなっていた。
「ですからもっと緩やかな計画にされてはいかがでしょうか? 予定の2週間前から運び込めば、配達も間に合いそうです」
「それでは実行する意味が薄れます。ここは配給計画を調整するしかないですね」
東伯軍の撤退を見届けた数日後に、南からの輸送隊が到着。
この日程を崩すわけにはいかなかった。
南から食料が運ばれると早期に知られた場合は、アースガルド領を強引に踏み越えて、輸送隊を襲うという選択肢が生まれる。
ましてや撤退前に配給が開始されていては、焦土戦術の意味が無くなるからだ。
「さて、どうしたものか」
力を合わせてどうにかできた限界が6万であり、それですら遅配で暴動が起きかけている。
ハンスを始めとした家臣たちが不休で稼働し、クレインが過労死するまで働いて、ようやく乗り切れたほどの修羅場だったのだ。
今回はそこに加えて在庫不足と、配達の制限時間を短縮という悪条件が加わっている。
だから使者の懸念はどれも、ごく当たり前でしかない。
過去に成功したはずの作戦は今や、とても現実的とは呼べない無謀な案と化していた。
「その二つを解決するのは、いささか難しいことかと存じます」
「ですが万が一、東伯が侵攻してきた場合の備えは必要なんです」
「ううむ……」
そもそもの話をするなら、人口が増えたのだから食料の消費も早くなっている。
この点でも運ぶ食料は多めに設定しなければならないし、それでいて領内に行き渡らせる速度は、むしろ早めなければならない。
彼らは交渉を重ねたが、最大限に協力をしたところで無いものは無い。
無理なものは無理だ。
特に在庫の問題は解決不能なので、最終的にはクレインも諦めざるを得なかった。
「……分かりました。輸送量に限界があるのなら、領内の備蓄を増やして対応するしかありませんね」
「最低でも10日分、できれば2週間分ほどは残すのが無難かと存じます」
6万人を1週間養える量から、8万人を最低でも10日間は養える量に変更するのだ。前回の作戦と比べると、特にアースガルド領の中央部には相当の余剰が生まれる。
東伯軍が撤退しない可能性はあるが、それでもこれ以上の手は無い。
手持ちの材料で最良の選択をするしかなかった。
「輸入の件は、でき得る限りでお願いします」
「承知いたしました。お嬢様との婚約の件と合わせて、申し伝えます」
駐留軍を置くという話は何の問題も無く、食料の確保が難しいという点以外は過去と同じ流れで進んだ。
やがて全てに合意が取れて、屋敷から去って行く使者を見送った数分後。
クレインは一人、執務室で悩むことになった。
「本当に、どうしたものかな」
焦土作戦については、実行後の回復が不可能なほど難易度が上がっている。
つまりは焦土作戦そのものを、現実的な案に修正できなければ勝利は無い。
「……食料の保管場所を各地に分散させて、一度に狙われなくすればどうだろう」
クレインが真っ先に思いついた案は、食料を分散させることだ。
食料を小分けにしておけば、敵軍が補給可能となる大規模な集積地はできない。
「それか、小貴族たちが治めていた地域には多めに保管しておいて、東伯軍が退却すると同時に他地域に回すとか」
次いで上がったものは、東伯軍の侵入口から遠い地点に集積させることだ。
例えばアースガルド領の北部なら、東伯軍の手持ち食料では手が届かない範囲となる。
「それか、どこかに食料を隠しておくのはどうだ。……今なら何とかなるかもしれない」
焦土作戦を実行したと見せかけて、こっそりと蓄えておくこと。
仮にこのプランが実現するなら、アースガルド家にとっては最良だ。
「領内のヘルメス商会は壊滅済みで、これからすぐにヘルメスが消えた影響が出る。燃やさなくて済むならそれが一番なんだけど、隠し通せるかな?」
人の口に戸は立てられないので、食料を貯め込んでいる噂が広まることはどうしても避けられない。
しかし敵軍の諜報力が落ちた今なら、隠し通せるかもしれない。
希望的観測は含むものの、それなりの効果はあるはずだと見て、クレインは頷いた。
「不確実だけど、採れそうな手はこの辺りか」
クレインは修正案を考えてみたが、結局のところは東伯次第だ。
どこまでが進軍ラインで、どこからが撤退ラインか。
それは実際に作戦を展開するまで、読めないところだった。
「一度、相手の出方を見るしかないな」
食料事情を把握されていなければ、隠した食料で凌げる。
把握されていた場合でも、軍を維持する余裕が無いと判断されれば撤退する。
そのどちらかで撃退を達成した場合、更に考えることが増える。
簡単に成功したなら、傷跡を小さくするための調整余地も生まれるからだ。
「まずは食料をあまり燃やさずに、隠し持つ方向でいこう。損害を小さくして……ヨトゥン伯爵領からの輸入品と合わせたら、生活していける程度に収めないと」
先々のことを考えれば、アースガルド側としても最大限に在庫を残したまま終われた方がいい。
王国暦503年には大戦があると知っているため、何もかもを投げ打った前回の東伯戦からは、前提条件から今後の展望までの全てが異なっていた。
しかし次の戦いを乗り切れば、当面は平和が訪れる。
その間にラグナ侯爵家とも同盟を結び、一気に情勢が安定する見通しに変わりは無い。
「あと一歩なんだ。気合を入れていこう」
それにこの戦いが終われば、ようやくアストリを取り戻せる。
最後に彼女と別れた時は唐突で、必ず帰るという約束を果たせないまま長い時を過ごしてしまった。
だから早く再会して、空白の期間を埋めていきたいという思いがある。
加えるなら、怨敵を追加で一人、ここで始末する段取りも立てている。
自分の幸せと、仇への復讐が掛かった戦いだ。
何度繰り返すことになっても構いはしないが、負けるわけにはいかなかった。
「ここまで来たら四の五の言っていられない。勝ちにいくぞ」
失ったものを取り戻すため、クレインは全力で策を練った。
東伯軍を迎え撃つ流れは過去と変わらないようにして、戦いの時期を待ち――
――対する敵の首魁、ヴァナルガンド伯爵は予想外の戦法に打って出る。




