第八十四話 見た目で分かれや
密かに脱出を決行したジャン・ヘルメスは、軽く笑いながら葉巻を吹かす。
「くく、かかか。まんまと化かされたわい、あの小僧めが」
北では陰謀を全て潰され、南では謀略が一歩遅かった。
東の動乱を見るに、サーガは生かして脱出させたとも知れているし、アースガルド領内での排斥も計画的に行われている。
今になればクレインが無能を装っていただけで、虎視眈々と、冷静に策を巡らせていたことは半ば確定していた。
「まさかこの儂が、都落ちする羽目になろうとはな」
アレスがヘルメス商会を擁護すると言いながら、大損害を与えてきたこともそうだ。
洗脳が解除されており、クレインと協力しながら計算ずくで敵対行動を起こしたと考えれば、むしろ自然な動きでもある。
「北侯はここぞとばかりに中央での政治闘争を開始。国王も便乗して、反乱勢力の排除に乗り出したか」
南伯は去就に迷っていたので、一連の動きには関係無いはずだ。
それでもクレインが最初から北侯の手先だったか、又はアレスの手先だったという線は考えられる。
敵も無策ではなかったと悟るヘルメスだが、王宮はヘルメス商会に対し、制裁の方法を考えている段階でしかない。
「動き出しは予想よりも遥かに早い。……だが、詰めが甘いのう」
今すぐに処罰をどうこうという話ではないし、今は飢饉の影響で不景気になっているため、経済面への影響は避けると予想できた。
普通に交渉をしても、いくつか譲歩をするくらいで許されただろう。
しかしもうじき情勢に大きな変化が訪れるため、数ヵ月間だけ追及を躱していれば有耶無耶にできると踏んだ。
「いざと言う時にモノを言うのは、やはり決断力よ」
アースガルド側も領内の支店から財産を巻き上げた以外に、目立った動きはしていないのだ。
王都に報告書を送ったことは掴んでいるが、今はまだ様子見の段階なのだろうと察して、ヘルメスは即座に行動を開始した。
「上手くいきましたね、会長」
「うむ。重畳重畳」
本来であればアレスを暗殺した直後に、王都で謀略を仕掛ける予定でいた。
その後はアクリュースを手引きしながら、共に東へ向かう手筈だったのだ。
しかし北と南、そして王都から見て東方向に位置した、アースガルド家から包囲されつつある。
この状況になれば自分の安全が第一だ。
ヘルメスの行動は素早く、南での謀略が不調と見るや夜逃げを決行した。
「アースガルド家に大規模な軍事行動は見られません。ラグナ侯爵家にもです」
「であれば、ここから先は安泰よな」
王女が生きていることはごく限られた人間しか知らないので、彼女は安全だ。
王都での計画は全て任せてしまえばいい。
自身は信頼できる側近だけを連れて、持ち去れるだけの資金を東へ持ち去ること。
それを方針に据えた上で、敵対的な関係のアースガルド領を避けて、ラグナ侯爵領も寄子の領地も避けて、山脈を越えるルートでの逃亡を図っていた。
「この山さえ越えてしまえば追ってはこれまい。兵を出していないなら、もう遅い」
軍勢が通れる主要街道でなくとも、馬車で山越えできる地点はいくつかある。
アースガルド領と北侯勢力圏の中間辺りから、財産を積んだ馬車を連れて抜け出るのが彼のプランだ。
山道の一部を使い、秘密裏に財産を逃がす計画自体は前々から立てていた。
「無能にも使い道はあるな」
「ええ、まさに」
山際を治めている領主はラグナ侯爵家ともアースガルド家とも疎遠な上に、金ですぐに転んでいる。
大金が入るなら、抜け荷など一向に構わないという領主だったので、既に買収済みだ。
「いかに足掻こうとも、既に大勢は決しておる。ここからの逆転などあり得ん」
挑発されて算を乱すなどという、駆け出し商人のような真似をしてしまったこと。
それはヘルメスにとって、むしろ恥じるべきことだ。
「あのボンクラ王子への工作が上手く行き過ぎて、調子に乗っておったか。はは、儂としたことがのう」
アレスの近辺へ間者を送り込み、虚実の混じった報告で疑心暗鬼にさせるところまでは完璧だった。
流れが変わったのはクレインが登城した辺りからなので、謁見の日に何かがあった疑いもある。
クレインの評価を改めてから、ヘルメスは感慨深そうに呟いた。
「アースガルド子爵……。奴が生まれるのが、もうあと5年ほど早ければ。また違った結末があったやもしれんがな」
様々な謀略を潰され、効果を落とされたが――しかし勝ちは揺るがない。
それがヘルメスの現状分析だ。
既に勝ちは見えている。
事前準備の長さが明暗を分けたなと、ヘルメスは上機嫌に笑った。
「違えば、どうなりましたか?」
「そうさのう。勝ちが引き分けになるかもしれない……。といったところか」
アースガルド子爵家が台頭したのは、時流を読んだことが大きい。
出世の好機を全てものにしたというのが正しいだろう。
しかし全ては大きな計画の中で動いている。
いかにクレインが有能であろうと、多少早く生まれて勢力を伸ばそうと――
「大乱を防ぐことなど、できはしまい」
「結果は同じ、ですか」
国家転覆級の反乱を防ぐなど、一介の地方貴族にできるはずがない。
多少規模が小さくなるだけで必ず乱は起きるし、戦争特需でヘルメス商会が大儲けするのも既定路線だ。
「東でも西でも武器がよう売れた。兵糧を備蓄させてやりもしたが、在庫は隠してあったしな」
「いくら頭が回っても、貴族は貴族ということですね」
「そういうことだ」
王国暦499年の段階で既に、ヘルメス商会は東西へ兵糧を持ち込んでいた。
しかし仕入れた全てを卸したわけではない。
戦争に向けた穀物の値上がりを見越して一部を隠し持っておいたところ、王国暦500年の不作で高値を付けたので、売り抜けに成功している。
「なんでもかんでも、よう売れる。飢饉と戦争の何と素晴らしいことか」
戦争の際には大きな品物の動きがあり、莫大な金が動く。
王国側にも反乱側にも様々な物資を売り捌いたのだから、北部での粛清が無ければ創業以来の大黒字になるとすら見られていた。
「北の動きも、元を正せばアースガルド子爵が発端のようだ。返す返すも、あの小僧を早めに始末しておけなかったことだけが悔いよ」
「もうじき東伯が立ち上がりますので、待てばよろしいだけでは?」
今後の大まかな流れだが、東伯は南伯を反乱に巻き込むため、娘を人質に取ろうとしていた。
仮にアストリを押さえて、南を味方に付けられればよし。
南伯が地方貴族と縁を結ぶと決めれば、それを口実に攻め上がるつもりでいる。
展開によってはそのまま王都まで攻め上がる計画が、既に最終段階に入っていた。
「そうさな。ここから先は、手並みを拝見するとしようぞ」
西侯が牽制しているので、ヨトゥン伯爵家は西の貴族とは縁を結べない。
選択肢を限定した上で、南伯の対応によって今後の戦い方、その主導権を握るのが東伯の戦略だ。
この点で、中央貴族のもとへ嫁ぐならヘルメス商会からの謀略をメインに切り替えて、後の計画に向けた騒乱を巻き起こすという予定ではいた。
だが、南が中央と結ぶ動きは起こらず、ヘルメス商会も中央での活動が難しくなった。
いずれにせよ、既に役割を終えたと言える。
「……しかし東伯か。武略のために悪評を被るとは、難儀な男よ」
ヨトゥン伯爵家には、アースガルド家と縁を結ぶ動きがある。
情勢を見て阻止することになったが、流言が失敗した以上は本来の計画に戻るだけだ。
この作戦で最大限の戦果を得るため、彼は自分の名誉を犠牲にしていた。
「南との縁談も、元々は東伯のご子息にという話でしたか」
「ああ。醜聞が面白おかしく出回り、綺麗さっぱり忘れられておるがな。東侯への義理のために、ようやるわ」
中央貴族の間では、東伯が幼子を愛しているという風聞が出回っている。
それを信じれば、東伯がアースガルド家に対して大規模な軍事行動を起こしても――怨恨絡みと判断され――まさか反乱の足掛かり作りなどとは思われない。
初動はいくらか遅れるし、身構えられるのは国王と北侯の周辺くらいだ。
中央貴族たちが、「痴情のもつれで領地間の諍いが起きた」と判断しているところに招集をかけても、余計な混乱と士気の低下を招く。
汚名一つで戦略上の優位を得られるならば、名誉など塵一つほども大事に思わないのが東伯だった。
「いくら大きくなったと言っても、所詮は地方の中堅領地。大軍勢の前には無力でしかない」
東伯自身が当代無双と謡われているし、兵も精鋭揃いだ。
ヨトゥン伯爵家はアースガルド家と誼を結ぶ方針を固めたので、彼らの軍事行動は秒読みに入っている。
こうなれば子爵領の滅亡など、確定したようなものだと彼らは考えていた。
「まあ、残るは成功を見届けて、各地の利権を接収するくらいだな」
「戦後の算段は整えてあります」
「うむ。油断なく絞り上げろ」
ここまで状況が進めば、商人の出番はさほど無い。
あとは高みの見物を決めて、勝敗やその内容によって身の振りを考えればいいだけだった。
どう転んでも損の無い、明るい未来に展望を馳せられるかと言えば――今は無理だ。
「……にしても、酷い道だな」
「ここから先は特に足元が悪くなっております。揺れにお気をつけ下さい」
まったく舗装されていない悪路を進んでいるため、激しい振動が定期的に襲ってきている。
ここは財貨を山と積んだ馬車が、故障しないか心配になるほどの悪路だった。
「はぁ……。皮肉なものだ」
「皮肉、とは?」
「商売に最も明るい貴族が、敵方ということよ」
クレインは腹の立つ小僧ではあったが、計算高さは商人もかくやというところだ。
それは交渉能力に限ったことではない。
例えば遠方から荷物を運ぶと、儲けは大きくなる傾向にある。
しかし道が整備されていないと、運搬にかかる余計な日数や快適さ、馬車の痛みなどを理由に商人が寄り付かなくなる。
「商売の機微を理解できんボンクラ領主が、なんと多いことか」
「それは、確かに……」
クレインが小貴族たちの領地を接収して、初めにやったことが街道作り、次が関所の撤廃というのは、商人からすると有難い。
しかもその後が山賊退治に、農業や鉱業などに関連した設備の入れ替えだ。
これらを統合すると、大規模に品物を動かす商会ほど好意を持つ政策になる。
「暗殺と引き抜き。掛ける順番を逆にしておくべきだったかのう」
安全に早く積み荷を運べて、税が安い上に需要が高い。
その上で領主が商人に配慮するという、理想的な領地になっているのだ。
仮に味方であったなら、他の地域よりも優先で商売をしただろう。
明確に敵対と撤退を選ばなければ、もう少し甘い汁が吸えたところでもある。
ヘルメスにも多少の後悔があったものの、既に終わったことと頭を切り替えた。
「まあ動き出した以上、あと腐れなく潰れてもらう方が良いな」
「左様で。あとは事の成り行きを見ているだけです」
「うむ」
凹凸の激しい山道を、ゴトゴトと登っていく馬車は8台連なっている。
うち、財産を積んでいるのは前方の4台で、残りは商会の人間と護衛だ。
2週間以内に、有能な人間だけを連れて東へ逃走する。
ヘルメスが第一陣となり、安全を確保してから残りの財産も逃がす計画となっていた。
最後の数台は捕まってしまうとしても、そこは損切りができる――はずだった。
「止まれぇぇぇえええええいッッ!!」
しかし山道も半ばを過ぎた辺りで、突如、彼らは通行止めを食らう。
薄汚い恰好の男たちが彼らの行く手を遮り、道の両脇や高所からも人影が現れた。
「な、なんだ貴様らは!」
「あん? 見りゃ分かんだろうが。俺らの見た目で分かれや」
下卑た笑みや、昏い眼差しを向ける者が多い。
状況や身なりを見れば、彼らが何者かはすぐに分かりそうなものだ。
こんな集団に高みから見下されていることは、商会の幹部たちを苛立たせた。
「おのれ、無礼な!」
「無礼ねぇ。丁寧に、ご機嫌な挨拶でも欲しいってのか?」
名乗るまでもねぇと思うけどな。
そう呟いてから、先頭に立つ男は戦斧を担ぎ上げ――小馬鹿にした様子で言う。
「はい、どーもー、山賊でぇぇぇぇす」
灰色の髪をソフトモヒカンにした、目つきが悪ければ態度まで悪い頭目。
怒りに満ちた表情で馬車の前方に仁王立ちする、巨漢の副頭目。
彼らの後ろには、粗野な服に身を包んだ――50人を超える男たちが控えていた。




