55回目 何の対価も無しに
ヘイムダル男爵からすれば、クレインたちは哀れとしか言いようがない。
彼の元には東伯から「傘下に入れ」と要請が来ていたが、子爵家にはそもそも声が掛けられていないからだ。
「親交が無ければ、位置も中央寄り過ぎる」
「計画が露見するリスクが高いですからね」
何故アースガルド家は捨て駒にしたのかと聞けば、これは主に地理的な問題だ。
位置が中央寄り過ぎる上に、大した親交も無い零細領地だというのが大きい。
「うむ。左様ならば、足止めに使うのが確実だ」
「ええ、まさにまさに」
東伯、王女、東侯、ヘルメス。
いずれもアースガルド家のことは、敵軍の足並みを乱すための駒としか見ていなかった。
声を掛けて味方にするくらいなら、国軍の中核を為すラグナ侯爵家に、恨みを持つ残党勢力にしておいた方が好都合。
足元から敵に襲い掛かる反乱軍としての方が、魅力的な使い道に見えていた。
「大した兵数も揃わず、目ぼしい将もいない」
「味方に付けても、ただの重しよな」
東伯、東侯は共に、味方に付けても益が無いと見ていた。
それは王女とヘルメスも同じ認識で、彼女たちも軽く頷いている。
「はは、当家が東寄りにあって……本当に良かった」
「それも天運というものだ」
しかし初回の人生はそれでいいとして。
途中の人生であった子爵領侵攻のことを考えれば、不可解な点は二つあった。
一つは、東伯が仕掛けた数々の戦い。
その事後処理はどうするつもりだったのかという点だ。
王室と組んでいる北侯ならともかく、彼らに大義名分は無い。
これはクレインがずっと気になっていたところだった。
二つは、彼らの目的。
最終的に、一体何がしたいのかという点についてだ。
アースガルド領を荒らしただけでは、戦費が嵩むだけで直接の利益は無い。
怨恨が一切絡まないならば、意味が分からない。
東伯との戦闘は一見すると、何の利益も無い無駄な争いだった。
しかしアースガルド領を中心に考えれば不可解だとしても、彼らの立場になれば明確な利益に繋がる。
この点で彼らの思惑は、続いて東侯が放った言葉に集約されていた。
「王国を滅ぼすなど、ここまでくれば成ったも同然」
「……だな」
彼らの目的は中央で覇権を取ることでもなければ、王女を後押しして玉座に座らせることでもない。
現王室を打倒して、新たな王国を作る。
それが目的だった。
初めから全て滅ぼす気だったので、後処理を考える必要が無かったのだ。
その動機ならば、アースガルド領が滅ぼされたのも当然の話になる。
東の勢力――特に東伯から見れば、王都への道を塞いでいるのが子爵領だ。
東侯が北を抑えるだけの兵を出して、本隊を中央側に参戦させる場合でも、いずれにせよ子爵家は真っ先に障害となる。
アースガルド家を中心にして王都周辺の勢力が集まれば、侵入口を失うことになるのだ。
彼らが西に進撃するなら、どう考えても邪魔になる存在だった。
だから、自分の領地にできなくてもいい。
ただ適当な理由を付けて滅ぼし、王国軍が駐留する拠点となれないように――荒れ果てていればそれでよかったのだ。
そうなるための策謀も前々から、盤石に用意されていた。
「アースガルド子爵は友軍を受け入れるフリをして、夜襲を仕掛ける予定だと。複数の情報網から掴ませておきましたでな」
反乱軍の手勢を招き入れた子爵家が、王国軍を背後から襲うつもりだという情報。
その誤情報はヘルメス商会の手の者から、各方面に流布されている。
王宮に近い勢力から裏切り者と見られていることは想像に難くなく、それを聞いたヘイムダル男爵は、調子を合わせるために笑った。
「それでは国も北侯も、滅ぼすしかありませんな。ははは!」
「……あまり、愉快なやり方ではないと思うが」
よしんばクレインがその場で裏切らなかったとしても、王国軍からすれば厄介な存在となる。
もしもアースガルド家が敵方へ、反乱軍側に回っている状態で東へ進めば、中央からの補給路を断たれるからだ。
敵方に付いたと噂される子爵家に真偽を確かめようとして、動きが筒抜けになるくらいなら。
ラグナ侯爵家としても王家としても、黙って滅ぼした方が早いし確実だった。
「何にせよだ。アースガルド家を味方に引き入れるくらいなら、そちらの方が有効活用できている」
「ひぇひぇ。そうでございますなぁ」
子爵領が焼け野原になれば、北侯を中心とした連合軍は防御設備の整わない土地で、しかも反乱の恐れを抱えた地域での決戦を強いられる。
何も知らないクレインを引き入れて乱を煽れば、かなり邪魔になることだろう。
連合軍から見れば多少の不利を承知で、徹底的に滅ぼした方が後腐れが無い。
東側勢力からすれば、もちろん滅んでいた方が都合がいい。状況はそんなところだ。
「おかげで生贄も揃いましたしね」
「は、はは……そうですね、まさに」
つまりは中央からしても東からしても、手間をかけるくらいなら滅ぼしていい領地だと。そう認識されていたのがアースガルド子爵領だった。
そしてここまでに、いくつかの謀略を失敗してきた王女にとっては天祐となる。
アースガルド領で大量の人間が死ぬことによって、全てを帳消しにするための切り札。
時間を巻き戻す術の、生贄すら揃うことになった。
「そこに生まれた不幸を呪え、としか言えぬな」
「そうですな。う、うむ。子爵は運が悪かった」
一歩間違えれば自分がそうなっていただろうヘイムダル男爵だけは、周囲に媚びるような、引きつった笑みを浮かべたが。
アースガルド領に住んでいた人間以外は皆、この結末で構わないと思っているのだ。
「さて。発動したとして、どこからやり直しましょうか。宴席でお兄様を殺めるところから?」
既に滅びた存在などはどうでもいいとばかりに、陣の全てを描き終えて、筆を置いた王女は考える。
「ひぇひぇ。あの王子にはできるだけ長生きしてほしいものですがな」
「そうだな。無能な敵は、生かすに限る」
ヘルメスは囃し立てるように言い、東伯は相変わらず退屈そうに言った。
そして東侯は時折相槌を入れつつ様子を見ていたが、頃合いと見て話を終わらせにかかる。
「……皆の衆、そろそろ良いか。六十を過ぎてから、この時間に起きているだけで辛いものがあるのでな」
「ええ、細工は流々」
軽やかに頷いたアクリュース王女は、懐から小刀を取り出して。
鞘から刀身を抜くと、にこやかに微笑む。
「あとは私の血を、ここに少しずつ垂らしていくだけです」
「……そんな邪法、試す価値も無いと思うが」
この中で一人、東伯だけは依然として渋面ではあるものの。王女はようやく仕上げを終えたのだ。
彼女は指先を軽く切り、流血で描かれた陣へ、己の血を流していった。
――彼女が起動を試みているのは、時を遡る秘術。
反乱して国を亡ぼすという博打を打つなら、例え神頼みでも保険は欲しいところだろう。
しかしそれは成功するかどうかも分からない、おとぎ話のような魔法だ。
そんなもののために、何万人もの人を犠牲にしたと聞いても、普通は理解できない。
「もう一度言いますが、実際に使えると記録が残っています」
「生憎と、呪いは信じない方だ」
本来のクレインは「気でも狂ったか」と吐き捨てていたが――今のクレインは、その目論見が成功すると知っている。
王女にも自信はあるようで、先ほどから全く信じていない東伯へ不満気な顔を向けた。
しかしその表情も、徐々に優しくなっていく。
「成功すれば全てが手に入るのですよ? それに、仮に失敗したとしても……良いではありませんか」
「うむうむ。流した血は、中立勢力のものですからなぁ」
ヘルメスが何を以って王女に追従しているのかは不明だ。
だが、クレインからすれば、その魔法自体には価値がある。
現にクレインは、今まで五十数回の人生を繰り返して、ここに辿り着いた。
眉唾物だろうが。
偶然の産物だろうが。
怪しげな黒魔術だろうが。
その陣法が問題なく作動すると、既にクレインは思い出している。
王女が血を垂らし続ければ、それは数分と待たずに赤黒く輝き始めるだろう。
それは間違いなく成功するはずなのだ。
そしてクレインは、もう一つ思い出す。
かつて裏取引を提案してきたジャン・ヘルメスが、いやらしく浮かべた笑顔に対して――何故、自分がコントロール不能になるほどの激情を抱いたのかを。
「彼奴らが血の海に沈もうと、こちらの懐は痛みませんし」
何気なくそう言った彼は、続いて。
用済みになった部下を始末した瞬間に浮かべたものと、全く変わらない笑顔で私見を述べる。
「試してみるだけなら、タダですからなぁ」
連合軍の足止めに使い、敵に混乱を与えた時点で仕事は終わっている。
そこで出た犠牲者は。用意できた生贄はあくまでオマケだ。
味方でない勢力が擦り減っただけで、仮に儀式が失敗しようと彼らの戦力や、財産に影響は無い。
それが彼の言い分だった。
「ええ、何の対価も無しに試せるのですから、やって損はありませんものね」
王女もその意見に同意して笑い、ヘイムダルも釣られて笑う。
暗く淀んだ、血液の臭いが充満する食堂に、三人の楽しそうな笑い声が木霊する。
呪文。魔法を試してみるための生贄。
ただの捨て駒。
彼らの中でアースガルド子爵領の役割は、それ以上でもそれ以下でもない。
――王女様が、魔法で時間を巻き戻したがっている。
そんなおとぎ話のような話を聞いて、初回のクレインはここで何を思っただろうか。
逃げる途中に見た全てが、血と炎で赤く染まる光景。
生まれ故郷の全てが滅び、昨日まであった全ての景色が消えていく様を見て。
その果てにあった理由が、これだ。
「……ああ」
十九年間、産まれてからずっと過ごしてきた領地だ。
彼は領民の顔を、大体覚えていた。
野菜が実ればお裾分けしにきた、近所の老婆。
川で一緒に水切りをして遊んだ、少し年上の青年。
いつか領主様に仕えると、未来を夢見ていた子どもたち。
誰もが取り立てて裕福というわけではないが、平和で、のんびりと、それぞれの幸せを謳歌していた幸福な日々。
その思い出が、彼の胸に到来する。
「……そうか」
しかし彼らの命は――未来は――ダメ元のお呪いを試すという名目で奪われた。
そして、最後のダメ押しに出てきた言葉。
ヘルメスとアクリュース王女が言い放った一言。
それは子爵領の人間、誰一人として無価値と言うに等しいものだった。
無感情に。
無感動に。
何となく。
ただ、「たまたまそこにいたから殺した」と言われたのと、大差は無い。
この真相を知った彼の胸中に押し寄せた感情。
それは絶望だった。
大した理由も無く、意味も無く。人生で出会った、ほぼ全ての知り合いが殺害されたのだ。
幼い頃に遊んだ思い出の場所も。
両親が遺してくれた屋敷も。
産まれてからずっと住んできた街も。
帰るべき故郷の全てが燃えて、破壊されて、無くなった。
クレインが生涯で得たもの――持っていた全てが、唐突に消滅した光景が脳裏に蘇り。
彼の心は、ここで壊れた。
全てを忘れてしまいたいと思い、何も思い出さないように、自然と記憶に蓋をして。
実際に、今この瞬間まで思い出すことはなかった。
「……そう、だったな」
確かに彼は絶望した。
しかしそれは本来のクレインが抱いた感情であり、今のクレインが胸中に抱えているものとは少し違う。
過去のクレインとて、持っていた感情。
それが絶望よりも大きく広がっただけの話で――
彼が今から取る行動は、本来の歴史と全く変わらないものになる。
次回。第五章真相解明編 最終話「灼熱の想い」




