初回の人生 とある昼下がり
それなりに大きな屋敷。その庭にある温室で、ハーブの栽培に精を出していた青年がいた。
名はクレイン・フォン・アースガルド。
先祖代々の領地をごく普通に治めている、18歳の青年だ。
一通りの日課を済ませた彼は、手袋についた土を軽くほろってから、腰に手を当てて伸びをした。
「うん、今日もいい天気だな」
領地は大して広くなく、特産品があるわけでもなく、かといって極端に寂れてもいない。
領主のクレイン自身も平々凡々で、特段何かに優れていることもない。
金回りもそれほどよくないが、のんびりと趣味の家庭菜園に没頭できる程度には、平穏な暮らしを送っていた。
とにかく統治は、上手く回っているはずだったのだ。
少なくとも今日、この日までは。
「クレイン様! 一大事でございます!」
大声を出しながら駆けてきたのは、祖父の代から仕えている執事のノルベルトだ。
普段は礼儀正しい初老の執事。それが、取り乱した様子で現れたのだから、何かがあったことは確かだろう。
しかしこの平和な街の一大事など、たかが知れている。
そう思い、ゆっくりと温室を出たクレインは、暢気に手を振った。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて。……あ、もしかして、牧場の牛が産気づいたか?」
「左様なことではございません! こちらをご覧ください!」
「手紙? ええと、なになに……?」
ノルベルトは息も絶え絶えの様子で、一枚の紙きれを手渡す。
クレインが封を切り、まず飛び込んできた、冒頭の文章は――
「開戦、通知書?」
正式な手続きによる、宣戦布告の通達だ。
言い換えれば、アースガルド子爵家滅亡の知らせだった。
「ラグナ侯爵家より、宣戦布告を受けました!」
「はぁ!?」
その家は、クレインと同じ王国に属している大貴族だ。
国の北西から北東にかけて広大な領地を持ち、傘下の寄子も多い、生粋の名門貴族である。
しかしクレインの領地であるアースガルド領は、国の中心となる王都から見て、東の方角にある。
北部に本拠地を置く侯爵家との接点など、一切なかった。
直に会って話したことも、手紙をやり取りしたこともないのだ。
全く知らない相手からの暴挙に、クレインは度肝を抜かれていた。
「な、何かの間違いじゃないのか?」
「使者はもう引き揚げていきましたが、通知は本物です。ただちに内容をご確認ください!」
「あ、ああ」
届いた手紙をよくよく見れば、開戦理由は「交易路の延伸計画を妨害したから」と書かれている。
しかしクレインはもちろん、そんな命令など出してはいない。
「えっと、全く身に覚えがないんだけど……」
そもそもラグナ侯爵家が、東方に交易路を開通させる計画など、今知ったくらいだ。
訳の分からない通知を見て、彼はひたすらに困惑していた。
「そもそも、地方のしがない子爵家に、そんな計画を妨害する力があるとでも?」
突然の事態に混乱していたクレインだが、彼がラグナ侯爵家の評判を思い浮かべると、何となく話は見えてきた。
「叩き潰した商家の財産とか、没落した貴族の領地や利権を、根こそぎ奪い取ることで有名……なんだっけか?」
クレインは噂でしか知らないが、当代の侯爵はやくざ者も真っ青なやり方で、次々に土地や産業を強奪している野心家。という評判だ。
事実として、ここ数年の拡張速度には凄まじいものがあった。
クレインは少し時間を置いて、難癖を付けられた理由を思い浮かべる。
そうすると、大体の事情は理解できた。
「東の領地をいくつか併合したから、間にいる俺たちが邪魔になったんだろうな」
「……なるほど」
つい先日にも王宮で事変があり、数多の貴族家が粛清された。
そして、召し上げになった東方の領地については、いくつかがラグナ侯爵家に割り当てられている。
縮尺を広げて、改めて考えてみると、アースガルド領はラグナ侯爵家の支配圏と、彼らが手にした新たな領地の中間にあるのだ。
つまり間に存在しているだけで、妨害になっていると言えなくもなかった。
「確かに俺たちのせいで、陸の孤島になっているけどさ。交易の邪魔って……それが理由じゃないだろうな」
要は自分の領内で、子飼いの商人に商売をさせるなら、他家に関所の通行料を払わなくてもいいのだ。関税がかからない方が、儲けは大きくなる。
道を塞いで、関税を徴収しているアースガルド家は、確かに邪魔だ。
完全に難癖だが、一応のロジックはある。
ここまで聞くと、ノルベルトにも事態は飲み込めた。
「侯爵にも色々と、黒い噂がございますからな」
「悪評と言えば、麻薬とか……禁制品で荒稼ぎしている噂もあったな」
風聞をもとに考えれば、他家の人間に荷物を検査されないことが、最大のメリットだろう。
中間の領地を潰してしまえば、何事も自由にできる。
宣戦布告が送られてきた理由は、大方そんなところだろうと予想した。
「つまり俺たちに因縁をつけて、脅しをかけて、思い通りに商売がしたいわけだ」
侯爵家の矛先が、自分たちの方に向いた理由は推測できた。諸々の事情も何となく分かった。
だが、腑に落ちないのは、届いた手紙の文面だ。
「攻め滅ぼされたくなければ、何か譲歩しろって話なんだろうけど……」
何度も手紙を読み返して、怪訝そうな顔をしているクレインに、ノルベルトは恐る恐る尋ねる。
「先方は何と?」
「それが、要求らしいものは何も書いていないんだよ。ただ、開戦を報せるだけの手紙なんだ」
考えられる線は、「俺たちの要求を呑め、さもなくば痛い目を見るぞ」と、そんな流れである。
脅した上で、何か利益を引き出そうとしているのだろう。クレインはそう判断した。
だが、手紙の中身をどう意訳しても、そんなことは書いていない。
内容は、ただ一つ。
「痛い目を見せてやる」
どう読み解いてもそれだけだ。その他には主張も要求もない。
これが逆に不安を煽っていた。
「でも、とりあえずは、そうだな……身に覚えがないことを、王宮に訴えようか」
散々焦って、戸惑った末に、選ばれたのは普通の解決法だ。
相応の理由があれば領地戦の許可も降りるが、国は基本的に、味方同士の争いを禁止している。そしてアースガルド家は、実際には何もしていないのだ。
この状況であれば、法務官が買収でもされていない限り、勝訴は確実と言えた。
「まずは手紙の返信だ。それで時間を稼いで、裁判の用意を進めよう」
裁判にするまでもなく、王宮が仲裁に入る案件だ。王家が間に入れば、流石に派兵は控えるだろう。
どれもこれも、極めて常識的な判断だった。
「……あの、クレイン様」
「心配しなくていいよ。正義はこちらにあるんだから」
クレインは正攻法で、まともなやり方を選んだ。法に則って、正面から対処できると思ったからだ。
一方でノルベルトの顔は、急激に青ざめていく。
「違います、その、何と申し上げればいいか……」
「どうしたんだ? 手続きならすぐにでも――」
それなりに由緒ある家の御曹司なのだから、クレインはそれなりに高水準な教育を受けてきた。
法律知識を総動員し、訴状の内容を検討する領主の横で――執事は、西の方角にある山の頂を指して言う。
「あれは、軍勢では?」
「は?」
一拍遅れてクレインが振り向くと、山の向こうからぞろぞろと、大軍が姿を見せ始めていた。
武器や鎧の山が移動している様は、さながら黒い雪崩だ。
それは一直線に、迷わずに、アースガルド家の本拠地である、領都に向かってきている。
「クレイン様ぁぁああ! 大変です!」
敵軍を視認するのとほぼ同時。衛兵隊長のハンスが、屋敷の庭に転がり込むように乱入した。
クレインの前に平伏してからすぐに、彼は悲報を叫ぶ。
「軍勢が攻めてきました! 報告によれば、数は3万ほどです!」
「さ、3万!?」
クレインが兵を集めたとしても、集まるのは2000人がいいところだ。
これはどう考えても、片田舎の子爵家に投入する兵力ではない。
ケチな小競り合いをするつもりなど、一切なし。
一族郎党まとめて滅ぼしてやろう。
そんな意図が、透けて見えるほどの数だった。
「しかも、奇襲戦争かよ!」
「……残念ながら」
「……そうみたいですね」
これも本来であれば、事前に話し合いが行われる。
戦場をどこにして、何日に開戦するか、どこで手打ちにするかなど、ある程度の台本を用意するのだ。
国内の味方が本気で殺し合えば、笑い話にもならない。
大半は小競り合いで終わるが、念のため、戦地から民間人を逃がす時間も設けられる――はずだった。
しかし彼らが宣戦布告の手紙を受け取ってからは、まだ10分も経っていない。
「使者の到着が、どうしてここまで遅れたんだ?」
「あの、いえ……ここまで準備万端ならば、意図的ではないかと」
クレインはぼんやりと、現実逃避に近いことを考えていた。
しかし、敵はもう動き出しているのだから、急かすようにハンスは叫ぶ。
「防戦は無理です! すぐにお逃げください!」
「使者を送ったところで無駄だろうな。……確かにここは、逃げるしかないか」
既に軍事行動を起こしているのだから、今さら平和的な話合いなど、望むべくもない。
クレインはすぐに、馬を繋いである厩舎に向けて走り出した。
「冗談じゃないぞ、くそっ!」
ラグナ侯爵家は戦争の決まり事を無視した、違法な戦争を仕掛けている。
国内で軍を興すなど、場合によってはお家取り潰しになる大罪だ。
しかし相手は、宮中にも影響力を持つ大貴族なのだ。
被害者が全員亡くなっていれば、深く追及はされないだろう。
「開戦の通知は送ったのに、アースガルド家は防衛の準備をしていなかった。そのため勢い余って滅ぼしてしまった」
そんな弁明をしたとしても、反論する相手が墓の下ならば、王宮に罰金を払うだけで終わりかねない。
――死人に口なし。少なくともこの街の人間は、一人残らず抹殺されるだろう。
クレインにもこれからの展開は、容易に想像がついた。
「こんなことが……許されるのか?」
呆然とする彼らの前に、怒涛のように押し寄せてくる敵軍。それは平和な街を蹂躙して、あっという間に全てを呑み込んでいった。
王国暦503年3月30日。
この日アースガルド領は、奇襲戦争によって滅びた。




