紫苑永離《しおんえり》の見ている風景と、遠藤未遠《えんどうみおん》の見た光景
今回は掲示板ありません。
話の内容的には閑話、他人視点です。
『紫苑永離』の居場所が無くなったのは、幼かった彼女の母が、病に倒れ亡くなった時。
元々体の弱かった母は、子を産めば長く生きられぬと理解していた上で彼女を産み、そうして『永遠の別離』という名を付けたのだ。
決して避けられぬ、永き離れに涙を零しつつ。
――――――それは、子を思う母の愛なのか、それとも―――
裕福だった家に生まれた彼女は、それでも生きる事だけならば困らなかった。
望めば何でも手に入れられた。
―――ただ、それだけだった。
家に寄りつかなくなった父が、新しい“母親”を連れ帰って来たのはその3年後。
間も無く弟が生まれ――――――そうして、現在に至る。
始まりはそう、跡取りに困らなくなった両親や使用人に存在の無い物として無視された事から。
通い先の裕福な子らの集う学園では、事情を知る他家の親から子へと伝わった情報が学園の隅々まで駆け廻った結果、生徒の殆どがそれに倣い、腫れ物に触るかの様な教師陣の態度に全てを諦めたのは何時だっただろう。
何時でも暗く、淀んだ空気さえ漂わせている様だともっぱらの彼女に、薄気味悪いと言う者は居ても不用意に近づく愚かな者はおらず、いつしか永離は独りきりになっていた。
だが、それも構うまい。
やがて父の目合わせた相手と結婚し、子を産むのが“仕事”になるのだろう。
そう、考えていた。
それに比べて、後妻の胎から生まれた弟は対照的といってもいい程に明るく、無邪気に姉を慕った。
父や母が良い顔をしないどころか、はっきりと彼女の居る目の前で窘めたとしても、彼はきょとんと首を傾げるだけだった。
『だって、お姉さんなんでしょ?僕の友達の兄弟はみんな仲良いって言うよ?なのに僕と姉さんだと、何で仲良くしちゃいけないって言うの?』
そんな正論を、自分は決して間違った事は言っていないよね?とでも言いたげに吐くせいか、周囲もやがて見て見ぬ振りをする様になった。
単に甘やかしの延長というだけの事なのかもしれなかったが。
弟の望むままに相手をしてやり、時には勉強も見てやった。
決して拒みはしなかった。……正直、どうだって良かった。
成長した彼はやがて姉と同じ学園に入学し、間も無く華やかな学園生活を謳歌し始める。
年齢差から中等部と高等部に分かれはしたものの、容姿端麗、成績優秀な彼を慕う生徒は多く、陰では姉である永離に対して中傷めいた声も囁かれたが、彼と自分は違うのだと思えば、そう気にもならなかった。
姉に対して一家言ある者たちが弟に何か囁いた様ではあったが、姉と同様取り合う事は無い様だった。
しかしやがて気にしない弟にじれたのか、直接距離を置く様にと進言する者が現れたりもしたが、纏う空気がまるで生来のものであるとでも思っているのか、そんな彼女の様子が当たり前だとでも思っているのか、弟は何時だって擁護する側に回った。
それに対し、態々庇う事は無い、放って置きなさいと言っても『姉さんは姉さんだからなあ』と、彼にしては少し呆れ気味に苦笑するだけだった。
その余裕が、眩しかった。
自分は必死に余裕が在る様に見せかけているのに。
その余裕が、妬ましかった。
自分には余裕が在る様に見せかける事しか自己を保つ術が無いというのに。
弟に比べたら、学業も、運動も、地位や名誉や人望さえも、何もかも持ち合わせていない自分を、嘲笑うでも無く、憐れむでも無く、姉というだけで無条件に“許せてしまう”その余裕が、何より大嫌いで、少しだけ、愛しかった。
それでも。
気にしていたらキリが無いから気にしない。
必死で見ない振りをしていても、心の奥底には『全てが最初から約束され、全てを手に入れている光の化身のようなお前に、私の一体何が分かるというのか』という屈託があった事は確かだった。
そんな日常の中、ある日1人の男子生徒が近づいて来た。
彼の名は『遠藤未遠』
かなり厳しいらしい編入試験をあっさり突破したという彼は、編入当日の内に一躍時の人となっていて、余計に接点など無いと思っていたのだ。
だから、物凄く、驚いた。
『紫苑さん、俺と一緒にゲーム部作らない?』
そう、誘われた時には。
ゲームなどやった事が無かった。
マンガもアニメも知らなかった。
ネットサーフィンなんて言葉、初めて知った。
ただ、与えられる本を読み、本が無くなれば図書館に行って借りる。
ずっとその繰り返しだったから。
だからなのか、紫苑永離はその世界にのめり込んだ。
没頭した。
態々貯金を下ろしてまで自分用のノートパソコンまで用意した。
……もっともこれは弟に知られて、その後随分騒ぎになったものだが……。
弟が『姉とお揃いのパソコン』に浮かれている間に、姉は『友人の遠藤』と一緒にネットゲームを楽しむ事を覚えた。
最初はおっかなびっくりと。
次第に調子も出てきてネットスラングまで覚える始末。
しかし誰も何も言わなかった。
大きな屋敷、知らぬ筈も無いのに。
そして今日も彼女は待っている。
放課後の“誰もいない教室”で、彼女を構ってくれるたった1人の友人『遠藤未遠』が来るのを。
ただぼんやりと『窓の向こうに広がるオレンジ色をした空』を見上げながら――――――
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その変貌は、一瞬だった。
カッ、という一瞬の目も眩む閃光が、いったい本当はどんな色をしていたのかも分からないくらいの。
思わず瞑ってしまった瞼を開ければ、そこには先程までの金ぴかでだだっぴろい決戦武舞台は無く、代わりに見覚えのある光景が広がっていた。
ただし全て無機質な―――灰色となって。
事情を知る遠藤未遠からすれば、恐らくも何もまさにそれは彼女の心情そのものの様な、という表現がぴったりの場所。
温かみの無い灰色コンクリートの外壁。
黒板も、椅子も机も、ロッカーも、全てが灰の色。
奇しくも“彼女”の名前と“同じ”色。
恐らく廊下側なのだろうこちらから、中窓を通して見える教室の中には―――1人の少女。
それが誰であるかが、もう自分には理解ってる。
背中まである真っ直ぐな濡れ羽の髪。
“空”の向こうを眺めるその瞳の色も、きっと髪と同じ色。
黒と見紛う濃紺のセーラーの、衿や袖は間違い無く黒で、まるで喪章の様だと常々思っていた―――
「これは……一体……」
「ちょっと王子ちゃん!ダメよ喋っちゃ!」
聖女の奇跡で持ち直したらしいエドが、何とか体を起こそうとする。
無理するなと支えるより先に、幾本もの腕がその体を支えたので、自分は素直にその手を引っ込めた。
「……エド、よく聞いてくれ。これは」
口がからからに乾くのを我慢して何とか口にする。
「『灰かぶりが創り出した“俺たちの世界”』だ」
それから、簡単に事情を説明する。
戻って来た記憶を頼りに、出来るだけ簡潔に。
当時、何故一番最初に紫苑と出会おうと思ったのかといえば、偶然“彼女の家の事情”を聞いたからで、その時には多少同情も入っていたかもしれない。
同級生らの独自の価値観に、バカバカしいと内心唾を吐いていたせいもあるだろう。
その、たった独りきりの女子生徒が読書好きだと知って―――もっともそれは、他に時間の潰し方を知らなかっただけだと後に知る事になるのだけれど―――とりあえずそれを取っ掛かりにして話しかけた。
ただ、それだけだった。
交友を持ってからは意外に楽しく、気付けば自分と彼女は互いに信頼し合う程度には仲良くなっていた様に思う。
現在―――いや、当時というべきか―――は、残念ながら俺の前でだけ限定だが、笑顔も増えた。
他の誰もが入るのを拒否した為、たった2人きりの同好会は、毎日の放課後活動していた。
どちらかの教室で待ち合わせて、鍵当番が借りた鍵でパソコンルームを占拠する。
下校時刻限界まで粘ってからは、それぞれの自宅でもう一度合流。
それが普段の流れだった。
だからあの日も、俺たちは何時もの様に校内でログインしていた筈だ。
誰も“何も”言わなかったのは、相手があの“紫苑”と、そして“IQ250の超天才児遠藤”だったからだろう。
正確には、俺たちだからじゃ無く、俺たちの親に配慮したんだろうとは思うけど。
その日のゲームの進行状況は、数日前からの限定イベントに参加していて、イベントボスを倒す直前まで進めていた筈だ。
「だから多分、『彼女』は“待ってる”んだと思う。……俺を」
「……行くのか」
エドの言葉に苦笑する。
そりゃ勿論。
「行くだろ?待たせてるんだからさ」
何せこれから『ボス』に挑むんだ。
相手がゲームのボスだろうとディオスだろうと、そんなのどちらだって同じ事。
まわれ右、なんて選択肢は在り得なかった。
がらり、というよりは、ごりごり、と音を立てて引き戸が開く。
中に入るとすぐに、『彼女』がこちらを向いた。
黒を体現したかの様な、市松人形みたいな女の子。
さっきまでの『金の髪に青い瞳、漆黒の魔女の戦闘服に身を包んだ妙齢の女性』の面影など何所にも無い。
だけど間違い無く、これは『灰かぶり』だ。
そして、さらに注視すべき事があった。
彼女の額には今、煌々と……いや、雰囲気的には爛々と『記憶の紋章』が輝いていたのだ。
常ならば右手に在るべき紋章の移動。
それが意味する所としては恐らく、紋章の本来持っている力を抑制する事無く、無制限に在りのまま発揮しているという事実。
ならばこの状況も、紋章の力を最大で発揮し、創られたものなのだろうか。
あるいは、それこそ『神』が絡んでいるのかもしれない。
「ああ、遠藤か。遅いよ、待ち草臥れた」
振り返り微笑んだその笑みに、ぞっとする。
紋章の発動に本人が気付いていないという事が1つと。
もう1つ。
今の『自分』は『遠藤未遠』じゃない。
―――間違い無く、かつてプレイしていたMMORPG『メルヘンワールド』で作成した自分のアバター『エメラルドの都の魔法使い、オズ』
その姿をしているのに『自分』を迷う事無く『遠藤未遠』だと断定した彼女の精神の在りかに、ぞっとしたのだ―――
「……紫苑」
恐る恐る問いかける。
『オズの魔法使い』としてで無く、かつての友人『遠藤未遠』として。
今この状況で『灰かぶり』などと呼びかけた所で、きっと分からないだろう。
そしてその判断は間違っていなかったと悟る。
「何?」
ああ、この僅かなやり取りで、不本意ながらも分かってしまった。
完全に彼女は“元に戻って”しまっている。
魔女の演技では無く、この世界の彼女としての演技でも無い。
本来の、素の彼女。
「……今、俺がどんな格好してるのか、分かってる?」
「変な遠藤。随分可笑しな事を訊くね。普通に制服じゃないか」
にこにこと機嫌良く笑う彼女に焦る。
ここは未だ戦場で、あの『神様』だって何処に居るのか分かったものではない。
不意打ち狙い?いやいや、あの邪神野郎のする事だ、恐らくタイミングを計っているのだろう。
俺たちが絶望する、その瞬間を見計らって嗤うのだ。
アレは、そういう“イキモノ”だから。
「……俺の他に、誰が“見える”?」
頼むから、疑問に思ってくれと願う。
だけど、彼女は。
「?誰って……“遠藤以外誰がいる”って言うんだ?」
「「!?」」
これには、今まで黙って見守っててくれた最終パーティーの皆も動揺したらしい。
うわ……最悪。
「……オズ、もしや」
「そうさ、彼女こそが『灰かぶり』その本人さ」
色々とチートじみたスペックの王子様だ、薄々気付いてはいたんだろうけれど、やはり確かめずにはいられなかったんだろうな。
それ程に、彼女の外見や言動は違って見えたから。
「何の話?お前が独り言なんて珍しい。しかも誰かと喋っているみたいな……まさかお前、電波受信したとか言わないだろうな」
あはは、と笑う彼女のその目は何処か虚ろで、それはきっと現実が見えてない……だけじゃない、と信じたかった。
「電波なんかじゃないよ。……紫苑、紫苑の方こそ目を覚ませよ」
「……えーと?何の話?」
「今ここが『何処』で、俺たちが『本当は何をしていて』、ここに誰が、どんな『仲間たち』がいて、お前が『何の役割で動いていて』『今何しなきゃいけないのか』その全てをだよ……っ!!」
「……悪い。全然話が見えないんだけど」
「紫苑っっ!!」
「“灰かぶり”」
「「!?」」
横からの声に驚いたのは、知らずヒートアップしていた自分だけじゃなく……紫苑、いや、灰かぶりも、だった。
「灰かぶり、俺の声が聞こえないのか?本当に?それは“誰のせい”だ?原因は何だ?灰かぶり、俺は此処に居る。認識しろ。“俺は此処だ”」
この世界の住人が忌避し続けた『魔法』
進化発展を拒否し続けてきた『魔法』
だから“この世界の”現代において、新たな『魔法』を創り出せるほど魔法に可能性を見い出せるのは俺たちだけ。
なのに、エドは―――この世界の中央、セントラーダ王国の第2王子という生粋の『在来者』は、真剣な瞳で、ここ数百年誰も成し得なかった事をやってのけた。
「“灰かぶり”こちらを“見ろ”」
誰も知らない新たな魔法。
創り出した新しい魔法。
言葉に込めた思いと魔力を相手の『奥』に届けるという。
それは単純であるが故、ダイレクトに相手へと伝わり作用する。
向こうの世界の母国なら、あるいは『言霊』と呼ばれる類の物だったかもしれない。
その様子を見て、不意に安堵した。
『ああ、こいつに任せておけば安心だ』と―――
「…………えっと、誰?急に出て来たからびっくりしたよ。もしかして“皆”遠藤の知り合い?……ええと、そのコスプレ、良く似合ってるね?」
驚いて、次いできょときょとと周りを見渡し、困った様にこちらに顔を向けて微笑む彼女。
認識されただけでも少しほっとしたらしい仲間たちに、自分自身もほっとする。
「“灰かぶり”」
「?えっと?」
「“状況を思い出せ”“理解しろ”」
「――――――っ」
顔をしかめた紫苑。
抵抗されているのか!?
ならそれは『神』によるものか、それとも『彼女自身』なのか。
「“思い出せ”“灰かぶり”っ!!」
「……っな、何だ“この人”は!?っく、よ、よく分からないけど、とりあえず“帰る”!」
在りもしない鞄を探し、机の脇に手をやる紫苑。
必死に手を振ったところで、無い物は無い訳で。
っていうかね、お前今、何言っているのか分かって……無いんだろうな。
掛けられた『魔法』と意図せぬ『抵抗』でパニックに陥っているらしい彼女を見て、さらに追撃する事を決める。
このまま揺さ振れば、『元の灰かぶり』が出て来ると信じた。
―――悪いけど『紫苑』には引っ込んでいて貰う。
そうじゃなきゃ、この状況は打破出来ないから。
「紫苑、お前『帰る』って言うけどさ、『何処』に帰るつもりだよ」
「え?」
エドの魔法の影響か、頭痛を堪えるみたいに片手を頭に当てたままこちらを振り返った紫苑は、怪訝そうに問い返す。
「お前、家に帰ったところで居場所なんか『無い』って言ってたろ。――――俺の家は、居る筈の家族が寄り付かない空っぽの家だって、そんな家、在っても無くても同然だって言ったら、同じだ、って」
「あ……」
今更気付いたみたいに呆然とする紫苑。
これを言ったら傷つけるかもしれない。
本当は『これ』が一番『思い出したくない、忘れたかった過去』かもしれない。
でも今は、この状況からどうにかして脱しなければいけないから。
俺だけじゃない、紫苑だけでも無い。
この場所にはエドがいて、仲間たちもいるんだ。だから。
「逃げ続けるのは、もう止めろよ紫苑。お前の居場所は、『紫苑晴』が、生まれた時に全部持って行っちゃったって、あの日確かにそう言っただろ!?そう言ってお前は『ネットゲーム』なんかに、『メルヘンワールド』何かに“逃げ込んだ”んだ!!思い出すなら、きちんと全部思い出せ!そんで、何をしなければいけないのか“思い出せ”“灰かぶり”!!」
「…………っあ、ああ、あああああああああああああああああああああっっ!!」
2度目の光の爆発は、哄笑と共に。
ああ、やっぱり見て居やがったか。
悪趣味め、死ね。
オズちゃんがブッキレた。
紫苑永離
斎の宮学園高等部2年。変則的シンデレラ、あるいはその姉。常に孤独と絶望を抱いている。
エリシュオン
遠藤未遠
同2年。ガラスの靴を授けた魔法使い。頭の良さと人格は別物、という良い典型。表には出さないが、やや斜めに世間を見下している。
天才児と持て囃されたが、それがきっかけでメディアや親族、ご近所等他者がかなり強引に介入した事により家庭が崩壊している。事件直前まで独り暮らし。
エンディミオン
紫苑晴
紫苑永離の異母弟。優しく穏やかで明るい、温かな春の日差しの様な少年。姉曰く光の化身。
永離が努力積み上げ型の秀才なら、彼は才能溢れる万能人間。
大企業紫苑グループの跡継ぎであり、常に人に囲まれている。
両親の事は愛しているが、その価値観には疑問を抱いている。
姉がいなくなった原因を知ったら、奪還に向かうくらいには好意を抱いている。
だが実際には、姉の存在自体、誰にとは言わないが抹消されているので気付いていない。
ハルシ(゛)オン、あるいはフ○ルーシュ




