プロローグ
本日のBGM
生物の生存・生育に微量に必要な栄養素のうち、炭水化物・タンパク質・脂質以外の有機化合物の総称(ウィキペディアより)―――そのZから。
「はあ、だから何遍来られたって無理なものは無理なんだよ、とにかく今すぐは無理!」
森の奥、魔女の館にて。
普段余裕ぶった物言いの多い魔女にしては珍しく、妙に苛立った声が聞こえて来る。
それもの筈、先だってこの国―――セントラーダの第2王子と―――今や灰かぶりと名を変えた魔女が婚約を発表し、その日から彼女の自宅には、相手の王子が日参する様になったのだから。
「毎日来られたってね、持て成すにしても限度ってもんがあるんだよ。荷造りだってまだ済んでいないんだ。もう少し落ち着いて待っていたらどうだい?それにねえ、こうも頻繁にこっちに来られちゃ、あんただって周りにどう言われるか分かったもんじゃないよ?」
苦々しげに吐き捨てる魔女―――灰かぶりに、王子は顔色一つ変えずに言い放った。
「特に気にする要素はないと思うが」
「気にしな。あんたは一応王族だろう?」
眉間にくっきりと青筋を浮かべ、びしっと言い切った魔女は、本日何度目になるか分からない溜息を吐いた。
「そんなに周囲に『女に骨抜きにされた色ボケ王子』なんて呼ばれたいのかい、あんたも随分変わっているね」
「言わせておけばいい。それはそれで好都合だ」
「……どう都合がいいんだか、あたしにゃ分からないよ」
灰かぶりはげんなりし、処置なし、と頭を振った。
心地良い日差しが降り注ぎ、軽快な音楽が流れる温かみのある部屋で、そぐわない恰好をした2人は問答を続ける。
その部屋は片付けられているとは言い難く……そう、まるで荷作りの途中であるかの様……というか、まさにその最中であった。
あれやこれやと分類し鞄に詰め込む彼女の表情は、あまり楽しそうなものではない。
有り体にいえばフキゲンというやつだった。
その理由はそう、目の前にいる男しかないだろう。
偽装であることも含め、婚約という国からの命令に今さら異を唱えるつもりはないが、都合というものがある。
そうそうすぐに引っ越しできる訳ではなかった。
まず、今まで携わって来た薬師としての仕事がある。
道具の一部は城で借りるにしろ、それでも無くてはならない物というものはあった。
この仕事は仲間の命にも関わる。
一時的とはいえ、城に身柄を移すからと休む訳にはいかなかった。
道具に関してはねこの王を通じ搬入使用許可を得ているものの、これまで一般向けに卸して来ていた分はさすがに休業せざるを得ない。
こちらも城に行く前に一度きちんと顔を見せ、挨拶しなければならないだろう。
塔の見張り役は交代を余儀なくされた。
灰かぶりの前任者である『ラプンツェル』は、諸事情あって夫となった『ジャック(と豆の木)』と共に森へと戻って来てはいたが、すでに子がいる上、なんと現在第2子を妊娠中。(さすがの灰かぶりも、爆ぜろ、と思ったとか思わなかったとか)
今や襲われる危険もあるのだ。おいそれと職場復帰しろなどと言える筈が無かった。
他にも一応後任を任せられそうな人材に心当たりが無い訳ではなかったが、……果して森の住人達に受け入れられるかどうかが問題だ。
それに何より、今後城から寄越されるという調停役とも協力しなければならない。
非常に難しい立場だ。試練といってもいいかもしれない。
何事も無ければ良いと思いつつ……、結局嫌な予感をぬぐい去る事は出来ず。
時間だけが過ぎていく中、引き継ぎの為の準備として新たに魔法を開発設置したりとやる事は多い。
「父や母も、お前が来るのを心待ちにしている様だ」
表情を変える事無くしれっと言ってのけた王子に、『待っている訳無いだろう、こちとら泣く子も黙る悪い魔女様だぞ!やんごとない事情で改名したがなっ!!(怒)』と灰かぶりは心の中で盛大にツッコミを入れる。
悪鬼の如き形相に変貌した彼女に構う事無く、早く来いとうるさい王子に、いい加減キレた灰かぶりが文句を言おうと振り返り―――
『“オマエシカイネーンダヨォ”!!』
一瞬の後、静寂が訪れた。
どうやら先ほどからダダ流しにしていたBGMが、サビを迎えたらしい。
聴けば中々に情熱的な内容の曲ではあるのだが、いかんせんネタ曲としての側面が強く、そういう意味でまともに聴いたのは、恐らく最初の頃だけだ。
今や聞き流すほどには余裕がある。……慣れというのは本当に恐ろしい。
「……お前は“ああいうの”が良いのか?」
「は?」
やはり真顔だった。
「ああいう風に口説かれるのが良いのか、と聞いている」
「……まあ、ドキッとはするかもしれんが―――」“アイシテルゼ”
「ふむ、なるほど」
何がなるほどだ、と灰かぶりは思った。
とてつもなく、嫌な予感がした。
「せめてこの森に帰って来られるまででいいんだ、何も大きな事が起こらなければねえ」
神にでも祈りたい気分だよ、とこぼした灰かぶりは、気の抜けた表情で天井を仰ぎ、ふう、と息を吐いた。
街頭に立つ“誰か”が、「へくちっ」とくしゃみをした。




