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09.死にゆく杖


「ありがとうございました! ガンダールヴル様! またのご来店をお待ちしております!」


 帝都の一等地、王侯貴族御用達の高級魔道具店が立ち並ぶ大通り。

 豪奢な扉から出てきた老人に、店主が地面に額を擦り付けんばかりの最敬礼をしていた。

 その背後で、従業員達全員もまた、深々と頭を下げている。


 老人は、長く伸びた白い髭に、深紅のローブを纏っている。

 その身から放たれる清廉かつ圧倒的な魔力のオーラは、道行く人々を自然と畏怖させ、モーゼの海割りのように人混みを開かせていく。


 彼の名は、ガンダールヴル・アルヴ・ゲイル・スソン。

 帝国魔法学園校長にして、世界に八人しかいない最高位の魔法使い――『神域の八賢者(プラネテス)』の一人である。

 彼は偉大な賢者として世界的に名を馳せている。

 かつて大災害級の魔獣を単身で鎮め、枯渇しかけた大地の龍脈を復活させた。

 数々の伝説は吟遊詩人によって語り継がれ、子供から老人まで、彼を知らぬ者はいない。生きる伝説そのものだ。


 だが、そんなガンダールヴルの表情は優れない。

 彼は店主の声を背中で聞き流し、深くため息をついた。


「……ここも駄目じゃったか」


 今日だけで、もう五軒目だ。

 彼は懐から、一本の折れた杖を取り出した。

 長年連れ添った愛杖。それが昨日の出来事で、無惨にも真っ二つに折れてしまったのだ。


 学園で、魔法事故が起きた。

 生徒の一人が誤って禁じられた書庫に入り、封印された禁書を開いてしまったのだ。

 解き放たれた魔神の爪牙から生徒を守るため、ガンダールヴルは戦った。

 彼は己の魔力を極限まで振り絞り、魔神の再封印に成功した。

 だが、杖は主人の無茶な要求に応え、生徒を守りきり――そして、砕け散ったのだ。


「はぁ……」


 先ほどの店主の言葉を思い出す。


『八賢者様の杖! 修理ですか? お任せください! 私どもの技術にかかれば、新品同様に直してみせますとも!』


(誰も彼も、同じじゃ……)


 杖の状態をまともに見ようともせず、「八賢者」という肩書きに目が眩み、安請け合いをする。

 八賢者に気に入られたい。この杖を直したという実績で、名声を得たい。

 そんな浅ましい考えばかりが、透けて見えてくる。

 皆、杖を直せるかどうかより、杖を直した後にどう利益につなげるのか、それしか考えていないのだ。


 彼らは気づいていないのか。それとも、気づいていて誤魔化そうとしているのか。

 この杖が、もう手遅れだということに。

 賢者は寂しげに目を伏せた。


「……やはり、あやつに見せるしかないかのう」


 ガンダールヴルはきびすを返した。

 煌びやかな大通りを背に、薄暗い下町の路地裏へと足を進める。

 昔馴染みの偏屈な魔女、マダム・グランの店へ。


     ◇


 数年ぶりに訪れたその店は、看板こそ当時のままだったが、どこか雰囲気が変わっていた。

 埃っぽさが消え、小綺麗になっている。

 ガンダールヴルがカランコロンとドアベルを鳴らすと、奥から元気な声が飛んできた。


「いらっしゃいませっ。……って、ひぃっ」


 出迎えたメイド服の女が、ガンダールヴルの顔を見るなり、素っ頓狂な悲鳴を上げて固まった。

 見覚えがある。ヴォルグ公爵家のメイドだ。なぜこんなところにいる?


「ほっほ。驚かせてすまないのう、お嬢さん。マダム・グランは……留守かな?」

「マ、マダムなら引退されました! 今は、あの子が店主です!」


 メイドが震える指で示した先、カウンターの奥から、一人の少女がひょっこりと顔を出した。

 艶やかな黒髪に、あどけない顔立ち。

 どこにでもいそうな平凡な少女だ。


「いらっしゃいませ。……マダムにご用でしたか?」


(……おや?)


 ガンダールヴルは眉をひそめた。

 魔力を全く感じない。空っぽだ。

 あの審美眼を持つグランが、魔力を持たない少女に店を譲るとは。

 だが、グランが何の考えもなしに跡継ぎを選ぶはずがない。

 それに。

 ガンダールヴルは足を止め、少女の瞳を覗き込んだ。

 その瞳は、ガンダールヴルの放つ「八賢者」の威圧感など微塵も感じていないように、澄み切っていた。

 まっすぐで、嘘のない目だ。


「……ふむ」


 この娘なら、あるいは。

 ガンダールヴルは懐から、折れた杖を取り出し、カウンターに置いた。


「いいや、わしはこの杖屋の主に会いに来たのじゃ。それが君だというのなら、君に会いに来たことになる。初めまして、わしはガンダールヴルと申す、老いぼれじゃ」

「初めまして、ソフィア・クラフトです」


(……ふむ。わしの名前を聞いても他の店の連中のように、媚びへつらうこともしない。……この子は、ちょっと違うかもしれん)


 見知らぬ、こんな年端もいかない小娘に、杖を直せるものだろうか、と普通は考えるだろう。

 だが、ガンダールヴルは、ソフィアに他の者にはない「何か」を感じ取った。

 マダム・グランが店を譲ったことも、加点要素だった。


「これを、直せるかの?」


 少女――ソフィアは、杖を手に取った。

 世界に八人しかいない大賢者を前にしても、彼女は動じない。

 挨拶も、世間話もしない。

 ただひたすらに、目の前の「折れた杖」だけを見つめている。

 まるで、怪我をした子供を診る医者のような、慈愛に満ちた目だ。


「ソフィアちゃん、お茶。最高級の茶葉を持ってきますわ! だってこの方、世界に八人しかいない『神域の八賢者プラネテス』様で……!」


 横でメイドが慌てふためいているが、ソフィアの耳には入っていないようだ。

 なんという集中力だろう。周りの音情報が、完全に入っていない。

 彼女は杖の断面を指でなぞり、耳を澄ませ、そして静かに杖を置いた。


「……無理です」


 その言葉に、メイドが「ひぃっ!」と息を呑む。

 だが、ガンダールヴルは穏やかな声で問い返した。


「ほう。無理とな……」

「はい、無理です。直せません」


 少女の目は、真剣だった。

 おそらく冗談で言ってるわけではない。

 彼女には何らかの、無理というだけの根拠があるように思えた。

 他の連中は、一言目、あるいは二言目に、「すぐ直します!」「すぐに修理に取りかかります!」だったのに。


(ふむ、もう少し話してみるか)


「どういうことじゃ? 他の店の者たちは、皆『直せる』と言ったぞ?」

「嘘です」


 ソフィアは即答した。


「あるいは、見えていないか。……この杖は、もう寿命です。死んでしまっています」

「…………!」


 ガンダールヴルは息を呑んだ。

 心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような衝撃が走る。

 こんな小娘が、自分と同じ予測を立てたことへの驚き。

 そして何より、本当に相棒が死んでしまったのだという確信を突きつけられたことへの、深い悲しみが胸に広がった。


「見た目は、きれいに折れているだけに見えます。でも、内部の魔力回路が完全に焼き切れて、炭化しています。たぶん、ガンダールヴル様を守るために、身代わりになったんですね」


 少女の声は、淡々としていたが、どこか杖をいたわるような響きがあった。


「物理的に繋ぐことはできます。新しい木材で補強して、回路を継ぎ足せば、杖としての形にはなるでしょう」

「……ならば。ならば、直せるということじゃろう?」


 彼の言葉には、どこかすがるようなニュアンスが含まれていた。

 杖の死を受け入れつつも、しかし、どうにか生き返らせることができないだろうか、と。


「いいえ。それはもう、あなたの知っている杖ではありません」


 ソフィアは、真っ直ぐにガンダールヴルを見上げた。


「木材の一筋、傷のひとつひとつに、あなたと過ごした時間の癖がついています。それを継ぎ接ぎして、別の木を混ぜてしまえば、魔力の通り道が変わってしまいます」

「…………」


「形だけ似ていても、それはもう『別人』です。あなたにとって大切な相棒だからこそ、私は嘘をついて『元に直る』とは言えません」


 店内が、沈黙に包まれる。

 ガンダールヴルは、杖を見つめた。

 そうか。やはり、そうか。

 薄々は気づいていたのだ。杖に魔力を通そうとしても、何の反応も返ってこないことに。

 だが、認めたくなかった。

 誰かの「直せる」という甘い言葉に縋りたかった。

 しかし、この少女だけは、残酷な真実を、誠実に告げてくれた。


「……ありがとう」


 ガンダールヴルの目尻から、一筋の雫が伝った。


「君の言葉を聞きたかったのかもしれんのう。……そうか、死んだか。生徒を守って、よく頑張ってくれたのう」


 彼は震える手で杖を撫でると、布に包んだ。

 諦めがついた。これで、相棒を安らかに眠らせてやれる。


「すまなかったのう、お嬢さん。辛いことを言わせてしまって」


 ガンダールヴルは背を向け、店を出ようとした。

 だがその時。


「待ってください」


 凛とした声が、彼を呼び止めた。

 振り返ると、ソフィアがカウンターから身を乗り出していた。

 その瞳は、諦めではなく、強い決意の光を宿していた。


「その子を『元に直す』ことはできません。……でも、その子を『生まれ変わらせる』ことなら、できます」

「……! なん……じゃと?」


「死んでしまった肉体は戻りません。でも、あなたと共に魔法を行使してきた『魂』――杖の芯材を、新しいにくたいに移し替えることなら」


 ソフィアは手を差し伸べた。


「私に、そのお手伝いをさせていただけませんか。……最高の杖に、転生させてみせます」


(ああ……なんて、綺麗な、澄んだ目をしておるのじゃ……)


 今日会った商人達の目は、皆、濁っていた。

 名誉欲、金銭欲。

 そういった汚い欲に支配された目だ。

 でも、この子は違った。

 本物の、職人の目をしている。

 そして、その目は使命感に燃えていた。

 必ず杖を、生まれ変わらせてみせると。


(真剣に、杖と、杖の使い手のことを考えてくれてるのがわかる。若いのに……素晴らしい職人じゃ。この子になら……)


「あい、わかった。おぬしに、我が愛しい相棒を、託すとしようぞ」

「お任せくださいっ。ベストを……ううん、全力を尽くします!」

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― 新着の感想 ―
なぜ言い換えたし!?
杖にフォーカスしたお話は初めて。今後の展開に期待してます。
こういう職人のお仕事モノ、好きだな
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