22.妖精の休日
未曾有の大雪による混乱から、一週間ほどが経過した頃。
帝都の除雪作業もあらかた進み、街にはようやく平穏な日常が戻りつつあった。
そんなある日の朝。
ソフィアはいつものようにパチリと目を覚ました。
「よし、今日も頑張るぞっ」
気合を入れてベッドから飛び起き、手早く着替えて一階の店舗へ降りる。
大雪のトラブル対応ラッシュも落ち着いた。今日からはまた、本業である杖職人業に専念できる。
(魔道具修理も、人の役に立てるからいいけど。でも、私はやっぱり杖職人だから)
杖を求めにやってきた人に、最高の一本を用意する。
壊れた杖を、元通りに、いやそれ以上の最高の一振りに再生させる。
それこそが、ソフィアの魂が渇望する営みだ。
今、ソフィアの「杖を作りたい欲」は最高潮に高まっていた。
「バリバリ働くぞっ。まずは……お店の前のお掃除ね」
まだヨランダは起きてきていない。
掃除をしようと店の鍵を開け、外に出る。
少し暖かくはなったが、それでも季節は冬。凛とした冷気が肌を刺す。
スゥ……ハァ……と白い息を吐きながら深呼吸をし、ソフィアがドアを雑巾で拭こうとした――その時だった。
扉には、デカデカと『本日休業』の札が掛かっていたのだ。
「きゅう、ぎょう……? あれ、掛け間違えかな」
今日は営業日だったはずだ。
ソフィアが不思議に思い、札を外そうと手を伸ばした瞬間。
バンッ。
扉が乱暴に開いた。
「わっ、ヨランダさん」
中から飛び出してきたヨランダの手が、ソフィアの手首をガシッと掴んだ。
「ノォーッ、なりませんわ」
パジャマ姿のヨランダが、扉の前で仁王立ちしていた。
「今日は絶対にお休みです」
「ええっ、そんな。どうして……」
(せっかく杖屋に専念できるって時に。それに、お休みしちゃったら、その間に来たお客様をガッカリさせちゃう)
ソフィアが露骨に嫌そうな顔をしているのを見て、ヨランダは大きくため息をついた。
「この一週間、ソフィアちゃんは働きすぎました。マリア様からも『絶対に休ませろ。無茶させちゃダメ。店を開けたら承知しないよ』と厳命されておりますの」
確かに、大雪が降ってからの一週間、ソフィアは毎日休まず帝都を駆け回り、魔道具の修繕を行っていた。
疲れていないと言ったら嘘になる……が。
「でも、毎日夜は寝てましたよ?」
偉いでしょう、とばかりに胸を張るソフィア。
(杖作りの時は徹夜とか普通だけど、この一週間は一度も徹夜してないわ。無茶なんてしてない)
否、傍から見れば十分に無茶をしていた。
朝起きるとマリアを連れて街へ飛び出し、夜になるまで一度も帰らず、帰宅後は風呂に入って魔石が切れたように気絶。
翌日また朝飛び出していく……という生活だったのだ。
「ソフィアちゃん。夜は寝るものですわよ? 貴女、ちょっと基準がおかしいです」
「そんな……普通です」
「そんな普通があって堪るもんですか。働きすぎです」
ソォ……とソフィアがヨランダの脇から『本日休業』の札を取ろうとする。
しかしヨランダのガードは鉄壁だった。
扉の前で両手を広げ、通せんぼをする。
「今日一日、ソフィアちゃんを……この家に入れてあげません」
「ええっ、そんな。それじゃ杖屋をやれないじゃないですかっ」
ここの持ち主がソフィアだということは、一旦横に置いておいて。
「今日はお休み。体を休めてください」
「ええっと……ええっと……じゃあ、店内の掃除とか、棚の整理を……」
「掃除も仕事のうちです。……さあ、外へ行ってらっしゃいませ」
ソフィアはモコモコの上着を着せられ、マフラーと手袋を嵌められ、冬の街へ放り出されてしまった。
「いってらっしゃいませ。夕方まで帰ってきてはダメですわよー」
なんだか妙な送り出しだった。
ソフィアは何度も振り返るが、ヨランダが店の前から退く気配はなく……。
渋々と、ソフィアはその場を後にするのだった。
◇
「……追い出されちゃった」
仕方なく、ソフィアは帝都の街を歩き始めた。
本当は仕事をしたくて仕方なかったが……。
(ヨランダさん……意地悪で追い出したわけじゃないものね)
彼女も、そしてマリアも、ソフィアの体を本気で心配してくれているのだ。
それは、ヨランダの魔力を見れば分かることだった。
自分が休まないという選択をしたら、本気で怒って、そして悲しむだろう。
(……分かったわ。今日は大人しく休みましょう)
とはいえ、行く当てもなければ、やることもない。
除雪されたばかりの道は歩きやすいが、寒さはまだ厳しい。
目的もなくブラブラしていると、すれ違う住民たちがソフィアを見て、何やらヒソヒソと話し始めた。
「あら、あの子じゃない?」「この間の……」「ああ、『緋色の妖精』さんだ」
(……妖精?)
こっちに転生してから十数年、ソフィアは妖精の類を見たことがなかった。
祖父曰く、居るらしいのだが、ソフィアは見かけたことがない。
(どこっ、どこかなっ)
ソフィアはキョロキョロと辺りを見回す。
ファンタジー冒険映画大好きっ子だったので、妖精には興味津々なのだ。
しかし周囲をいくら見渡しても、それらしい影は無かった。
(残念……どこかへ行ってしまったのかしら)
すると、雪かきをしていたおじさんが、ソフィアに向かって手を振った。
「おう、緋色の妖精ちゃん。この間は除雪車を直してくれてありがとな」
「…………へ?」
老人は真っ直ぐに、ソフィアを見て言った。
『緋色の妖精』と。
ソフィアは自分の髪を摘まんで、呆然とした。
この髪色は、確かに緋色(深い赤)に近い茜色だが。
「もしかして……私のこと、でしょうか」
「ああ。あの大雪の日、獅子奮迅の働きでトラブルを解決して回ったあんたのことを、みんなそう呼ぶようになったんだよ」
いつの間にかそんな気恥ずかしい二つ名が定着していたらしい。
(よ、妖精だなんて……。可愛すぎて私には似合わないわ……。ただの職人なのに……)
顔から火が出るほど恥ずかしい。
しかも、ソフィアは魔力を見れば、おじさんがからかっていないことが分かる。
本当に、そんな二つ名が出回っているらしい。
(私みたいなのに、妖精なんてあだ名、不釣り合いすぎるわ)
ソフィアは「い、いえ、どういたしましてっ」と早口で答え、逃げるように路地裏へと駆け込んだ。
◇
逃げ込んだ先は、以前ギルバートと訪れたカフェ『白銀の猫』だった。
ここなら静かに過ごせるだろう。
本来なら、ここは選ばれた人間しか入れない高級店だが、ソフィアは以前ここのストーブを修理してから、顔パスとなっていた。
ソフィアは紅茶を注文し、窓際の一般席に着いた。
以前は個室に案内されたが、今日は誰かと会う予定もないので、普通の席で十分だ。
手元には修理する杖もなければ、魔道具もない。
当然、スマホなんて便利な暇つぶしアイテムもない。
「……暇だ」
運ばれてきた温かい紅茶を一口飲む。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
しかし、それ以外にやることがない。
周りの席では、着飾った女性たちが買い物の話や恋バナで盛り上がっている。
だがソフィアには、そんなキラキラした話題はない。
(考えてみれば、私には仕事以外に趣味がなかった……)
前世でもずっと病室のベッドの上だったし、遊び方なんて知らない。
休日を与えられても、どう過ごしていいのか分からないのだ。
ティーカップの中の茶柱を見つめながら、ソフィアはズーンと落ち込んだ。
その時だった。
「もうっ。なんで言うこと聞かないのよ。これじゃ明日の実技試験に落ちちゃうじゃない」
隣の席から、苛立った少女の声が聞こえてきた。
見ると、魔法学園の制服を着た女子生徒が、テーブルに分厚い魔道書を積み上げ、頭を抱えている。
ボリュームのあるオレンジ色の髪に、知的な瞳。
いかにも成績優秀で、真面目そうな雰囲気だ。
しかし今は、その表情は焦りと怒りで歪んでいる。
バシッ、バシッ。
彼女は手に持った杖を、テーブルに叩きつけていた。
「理論は完璧なのに。発音も、杖の振り方も、教科書通りなのに。なんで魔法が発動しないのよ。このポンコツ杖」
彼女は杖を親の仇のように、両手で「ぎゅーっ」と力強く握りしめている。
ソフィアの耳がピクリと反応した。
職人魂が、警鐘を鳴らす。
(ああっ、ダメ。そんなに強く握ったら、杖が窒息しちゃう……)
杖は精密機器であり、生き物のようなものだ。
あんな風に乱暴に扱われては、魔力回路が圧迫され、余計に魔力が通らなくなる。
ソフィアの手がウズウズと動く。
今すぐあの杖を取り上げて、優しく撫でてあげたい。
しかし、今日はヨランダに「仕事禁止」と言われている。
(でも、あれは可哀想だわ。手は出さない。口だけなら……仕事じゃないはず)
ソフィアは意を決して、そっと声をかけた。
「あの」
「えっ、何?」
少女が顔を上げる。
話しかけられると思っていなかったのか、警戒心丸出しの、ツンとした態度だ。
「少し、杖が苦しがってますよ」
「はあ? 苦しがってる?」
少女は眉をひそめた。
変な人が来た、という顔だ。
だがソフィアは引かなかった。
「貴女、その杖を強く握りすぎています。それだと、貴女の手の平で、杖の呼吸(魔力の通り道)を塞いでしまっているんです」
「なっ……。でも、教科書には『しっかりと保持すること』って……」
「『しっかり』と『力一杯』は違います」
ソフィアは優しく諭すように続けた。
「小鳥を包むみたいに、優しく握ってみてください。指先の力は抜いて、掌全体で支えるように」
「……こ、こう?」
少女は半信半疑ながらも、言われた通りに力を抜いた。
「そうです。そして……杖に命令するんじゃなくて、心を開いて『お願い』してみてください。『力を貸して』って」
「お願い……?」
「はい。杖は道具じゃなくて、貴女の片割れ(パートナー)ですから」
少女は少し戸惑った様子だったが、深呼吸をし、杖を見つめた。
先ほどまでの「なんで動かないのよ!」という敵意を捨て、静かに魔力を込める。
――力を、貸して。
その瞬間。
ポゥ……。
杖の先端に、柔らかな光が宿った。
今までとは違う、淀みのない光だ。
「あ……。魔力が、スムーズに流れる……」
少女が驚きの声を上げた。
抵抗感が消え、自分の体の一部になったかのような一体感。
「すごい……。あんなに詰まってたのに、嘘みたいに軽い」
「ふふ。杖も、貴女と仲良くしたかったんですよ」
ソフィアが微笑むと、少女はパァッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます! お姉さん、凄いです! 私、理論ばかり気にして、一番大事なことを忘れていました!」
「いえいえ、お役に立ててよかったです」
少女は勢いよく立ち上がり、目を丸くしてソフィアを見た。
「あの。その髪色……もしかして噂の『緋色の妖精』さんですか?」
「ひっ」
またその名前だ。
ソフィアはブンブンと首を横に振った。
「ち、違いますっ」
「ええっ? でも……そんな綺麗な茜色の髪の人って、滅多に居ないし……」
「違います、妖精なんかじゃないですよ……。私……そんな可愛くないし」
「そうです? アタシ、お姉さん可愛いと思いますけど?」
真っ直ぐな瞳で言われ、ソフィアはドギマギしてしまう。
(優しい子だわ。こんな趣味=仕事な私にお世辞言ってくれるなんて……)
「アタシ、メルティア。お姉さん、名前は?」
「え、あ、えっと……ソフィア・クラフト、です」
「ソフィアね。お姉さん、アタシより年上なんだから、敬語は要らないわ」
「そ、そう……?」
「うんっ」
(メルティア……あれ? どこかで聞いたことがある名前のような……)
ソフィアは首を傾げた。
その名前が、第五皇女と同じであることを、一般人のソフィアはまだ知らない。




