19.大雪の朝
翌朝。
ソフィアが目を覚ますと、部屋の中は昨晩の冷え込みからは考えられないほどの、温かい空気に満ちていた。
「ん……」
もそもそと布団から顔を出す。
ここは銀のフクロウ亭の二階にある住居スペースだ。
かつてマダム・グランが使っていたこの杖屋には、店舗部分とは別に、人が寝泊まりできる十分なスペースがあった。
予備のマットレスの上では、ヨランダとマリアが幸せそうな顔で眠っている。
ソフィアは部屋の隅を見やった。
ゴォオオ……。
部屋を暖めているのは、旧式の無骨な魔導ストーブだ。
元々この店にあった骨董品だが、動かずに放置されていたものを、ソフィアがオーバーホール(分解整備)して再生させたのである。
ただ直しただけではない。
彼女は独自の魔力回路を組み込み、時間になると自動で点火する仕組みを作っていた。
いわば、タイマー機能である。
お陰で、布団から出る前に部屋が暖まり、こうして快適な朝を迎えることができたわけだ。
(朝からご苦労様です)
働き者のストーブに、ソフィアは小さく敬礼をする。
ベッドから抜け出し、窓へと近づく。
ガラスにはびっしりと結露が付いていた。
服の袖でそれを拭い、外の世界を覗き込む。
「わあ……真っ白」
ソフィアは窓に張り付き、目を輝かせた。
昨夜からの吹雪は止んでいたが、帝都は分厚い雪の毛布に覆われ、完全に沈黙している。
道は塞がり、屋根からは巨大なつららが垂れ下がっていた。
本来、帝都は温暖な気候であり、これほどの積雪は数十年に一度の異常事態だ。
「ふあぁ……よく寝た。……ん? なんだいこの暖かさは」
起きてきたマリアが、不思議そうに辺りを見回した。
外気温は氷点下だというのに、店内はTシャツ一枚でも過ごせそうなほどポカポカしているからだろう。
「あ、おはようございますマリアさん。ストーブを少し改造したんです」
「改造?」
「はい。ウチにあった骨董品をオーバーホールしたものです」
ソフィアが指差した先では、頼もしい炎が赤々と燃えている。
「魔導ストーブって確か、点火してから暖かくなるまで時間がかかるんじゃなかったかい?」
「はい。なので、時間が来れば自動で点火できるように、タイマー機能を組み込んでおいたんです」
「た、タイマー……? 自動……?」
マリアは目をぱちくりさせた。
一見、便利な機能に聞こえる。
だが、マリアは商売柄、魔導製品の構造にも詳しい。
魔力を特定の回路上でプール(停滞)させておき、時間が来たら切り替えて全体へ回す。
理論上は可能だ。
しかし実際には、プールさせた魔力が熱を持ち、最悪の場合は発火や暴走の原因となる。
ゆえに現代の魔導技術では、安全なタイマー機能の実装は不可能とされていたはずだ。
それを、この少女は涼しい顔でやってのけている。
一般人であるヨランダは「便利ですよねー」で済ませてしまうだろうが、凄腕商人であるマリアには、その異常性が痛いほど理解できた。
(相変わらず、とんでもない技術だね……)
マリアはため息交じりに尋ねる。
「これ、手放すつもりはないだろう?」
「とんでもない! この子はまだまだ頑張れますよっ」
商品化しないのか、と聞きたかったのだが、ソフィアには「捨てるつもりはないのか」と聞こえたらしい。
彼女は自分の作った物が、どれほどの高値で取引されるかなど微塵も考えていないのだ。
凄まじい技術力を持ちながら、金儲けにはとんと無頓着。
そんな純粋すぎる「職人」である彼女を、マリアは好ましく、そして少しだけ危なっかしく思う。
(改めて……ごめんよソフィアちゃん。つまらん商人のゴタゴタに巻き込んで、あの時アンタを守れなくて……)
マリアはソフィアに近づき、背後からきゅっと抱きしめた。
「わ、どうしたんですか、マリアさん?」
「……おばちゃんが、守っちゃるからね。これから、ずぅっと」
「えと……ありがとうございますっ」
◇
起きたヨランダも加わり、三人でリビングで朝食を取る。
ヨランダ特製のホットケーキに舌鼓を打っていると、テーブルに置かれた『魔導テレビ』から緊迫したニュース音声が流れてきた。
『――緊急放送です。記録的な大寒波の影響により、帝都の交通網は麻痺状態です』
画面には、外の様子が映し出されている。
魔導テレビは、光魔法を応用した、前世のブラウン管テレビに近い構造の魔道具だ。
画質は粗いが、現地の状況を知るには十分だ。
大通りでは、小型・大型問わず多くの魔導カーが立ち往生していた。
「無理もないさね。帝都は雪なんて滅多に降らないんだから、対策してる車なんてほとんどないだろうよ」
「わー、道路がつるっつるですわ~。スケートリンクみたい」
これでは、魔導カーはスリップしてしまうだろう。
キャスターによれば、まだ大きな事故は起きていないようだが……。
(前の世界でもそうだったわ。雪が降ると交通網が麻痺したり、流通が滞ったりして……大変そう)
『また、気温の低下により一般家庭の魔導ストーブの故障が相次いでいます。市民の皆様は、毛布などで暖を取り、不用意な外出は控えて――』
「大変ですね……」
「こりゃあ、今日は商売あがったりだね」
マリアが肩を竦めた、その時だった。
トントン……。
消え入りそうな、弱々しいノックの音が響いた。
ソフィアはハッとして入り口の方を見やる。
扉の向こうから、知っている「色」の魔力を感じたのだ。
魔力ゼロのソフィアは、視覚情報として魔力を捉えることができる。
今の彼女には、壁を透過して、外にいる人物の弱り切った魔力の揺らぎが見えていた。
ヨランダが様子を見に行くよりも早く、ソフィアは立ち上がり、駆け出した。
「ソフィアちゃん? どうしたんですの?」
ヨランダの言葉を背中で受け流す。
前世、役立たずで誰にも恩を返せなかった自分。
だからこそ、今のソフィアは、困っている人を放っておくことができないのだ。
カランカランッ!
勢いよくドアを開けると、そこには雪に埋もれるようにして老婆が立っていた。
「バーバラさんっ! どうしたんですかっ?」
隣に住んでいる優しい老婆だ。
足が悪く、いつも杖をついている。魔法杖ではない普通の杖だが、ソフィアは時折メンテナンスをしてあげているのだ。
「ああ……ごめんよぉお……ソフィアちゃん……実はねえ……あまりに寒くて、ちょっと暖まらせておくれ……」
「大変! さあ、中へどうぞ! ヨランダさーん! 何か温かい飲み物を!」
ソフィアはバーバラを店の中に招き入れ、魔導ストーブの前の椅子に座らせた。
手を握ると、氷のように冷たい。
かなり長い時間、寒い思いをしていたのがわかった。
ソフィアは急いで部屋から毛布を持ってきて、バーバラの肩にかけてあげる。
そこへ、ヨランダが温かいコーヒーを持ってやってきた。
「ごめんねえ……ソフィアちゃん……まだお店、開く前なのに……」
「気にしないでください、バーバラさん。困った時はお互い様です」
言いながら、ソフィアの胸がチクリと痛んだ。
……困った時はお互い様。
言うのは簡単だ。
でも前世の自分は、困った時に助けてくれた人に、結局最後まで恩を返すことができなかった。
(だから……こっちでは、うんと、人の為になることをするんだっ)
「でも一体どうしたんですの? バーバラ様。外は危ないのに出歩いて」
ヨランダの問いに、老婆は青ざめた顔で事情を語り出した。
「家のストーブが、急に消えちまってねぇ。何度点けようとしても、うんともすんとも言わないんだよ。このままじゃ、凍えちまう……」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの肩がピクリと跳ねた。
道具が壊れている。人が困っている。
職人の本能が、今すぐ駆けつけて直せと叫んでいるのだ。
ソフィアはそわそわと視線を彷徨わせ、チラリとマリアを見た。
「……行きたいんだろ?」
マリアはため息をつき、ニヤリと笑った。
「行きたいならいけばいい。ただし! 部品代と技術料は、ちゃんと請求しなきゃだよ」
「えっ、でも……」
「タダ働きはダメさ。アンタが安売りすれば、他の修理屋が商売できなくなる。プロなら、適正価格で最高の仕事をしな」
「……はい! わかりました!」
ソフィアは力強く頷き、愛用の工具箱をひっ掴んだ。
「ヨランダは店番とおばあちゃんの世話を頼むよ。あたいもついて行く」
「ええ、お任せくださいな。いってらっしゃいませ」




