18.吹雪く夜の再会
メンテナンスを終え、ギルバートが帰ろうと扉に手をかけた時だった。
ゴォォォォッ!
窓ガラスが割れんばかりの轟音と共に、猛烈な吹雪が吹き荒れていた。
視界は白一色。とても馬車も、魔導カーを出せる状況ではない。
「……いつの間にこんな吹雪いていたんだ」
しかも、時刻はとっくに日が落ちている。
ソフィアの作業完了を待っていたら、いつの間にか夜になり、そして吹雪になっていたようだ。
「あらあら~、これは酷いですわね~」
窓の外を覗いたヨランダが、ニヤリと口角を上げた。
彼女はギルバートに向き直り、悪魔の囁きを口にする。
「坊ちゃん。こんな嵐の中をお帰しするわけにはいきませんわ。遭難してしまいますもの」
「何を言ってるんだお前は……」
「ちょうど客間が空いておりますの。着替えも、先代の物が残っておりますし……泊まっていかれます?」
ソフィアも心配そうに眉を寄せ、上目遣いで彼を見つめた。
「そうです、ギルバートさん。無理して帰って、何かあったら大変です。どうか、泊まっていってください」
その言葉に、ギルバートは……静かに、しかし力強く首を横に振った。
「ありがとう、ソフィア殿。気持ちは嬉しいが、それはできない」
「えっ? どうしてですか?」
ソフィアが小首を傾げる。
ギルバートは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、告げた。
「未婚の女性が営む店に、男が泊まったなどと知れれば、君の評判に傷がつく」
「評判、ですか?」
「ああ。君は今、注目の職人だ。変な噂が立てば、君の名誉に関わる。……俺は、君を守りたいんだ」
自分の安否よりも、ソフィアの世間体を優先する。
それが、ギルバートという男の愛し方であり、矜持だった。
(ギルバート様……やっぱり大人だわ。私と、店を……気遣ってくれるだなんて)
杖の扱い方で少し下がっていた好感度が、これで元に戻った。
とはいえ、ソフィアはギルバートのことを『頼れる大人の男性』としか思っておらず、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「ギルバート様……。ありがとうございます、そこまで考えてくださって」
その時である。
バンッ!!
激しい音と共にドアが開き、人影が飛び込んできた。
「遅くなってごめんよー! ソフィアちゃん!」
大きなカバンを両手に持った女性が入ってきたのである。
「マリアさんっ!」
マリア。ソフィアがザフールに居た時から、懇意にしている行商人だ。
彼女は雪を払いながら、ドカドカと店に入ってくる。
その顔を見た瞬間、ギルバートが驚愕に目を見開いた。
「お前は……マリア殿!? 『OTK商会』のマリア前総帥か!?」
(OTK……商会? 変な名前。それに……元総帥?)
初めて聞く単語の連続に、ソフィアが戸惑っている。
「ん? おや、ヴォルグの坊やじゃないか。こんな所で何してんだい?」
マリアは悪びれもせずニカッと笑った。
OTK商会。
かつてザフール商会と帝都の覇権を争い、今は並ぶ者なき最大手となった巨大商会だ。
マリアはその創業者であり、現在は息子に実権を譲って隠居しているはずの「生ける伝説」である。
「なぜ、OTKの女帝がこんな店に……」
「隠居した身だよ。堅苦しいのはナシだ。今はただの、気ままな行商人さ」
マリアはカウンターにドカッとカバンを置いた。
「ソフィアちゃんに頼まれていた、『水銀鳥の羽根』と『月光石の粉末』、仕入れてきたよ」
「わぁ……! ありがとうございます!」
帝都は都会であり、品揃えは良い。
しかし杖のメンテナンスに使うような高級品、かつ専門的な道具は、市場でも揃わないことがある。
そこで、マリアである。
マリアはザフールの時から、欲しい道具や素材を、たちどころに仕入れてきてくれるのだ。
こっちに越してきて、杖屋を始めるにあたり、マリアには連絡を取っていたのである。
以降、何度かこうしてここに足を運んできて、必要な物を揃えてくれるのだ。
「ふむ……」
ギルバートは、マリアとソフィアの関係を聞いて……険しい表情になる。
「なんだい、ヴォルグの坊ちゃん?」
ギルバートは鋭い視線を彼女に向けた。
「……マリア殿。一つ聞きたい」
「どうした怖い顔して」
「貴女は以前から、ソフィア殿と面識があったという。……貴女ほどの目利きが、なぜソフィア殿の才能に気づきながら、ザフールで彼女が冷遇されていた時、助けなかった?」
OTK商会の力があれば、ザフールから彼女を引き抜くことなど容易だったはずだ。
ギルバートの声には、わずかな怒りが滲んでいた。
マリアは真剣な眼差しでギルバートを見返した。
「……商売には『仁義』ってモンがあるんだよ、坊や」
「仁義?」
「ああ。あたいはソフィアちゃんの才能には気づいていたよ。ザフールの製品を見るたび、『本物がいる』ってね」
マリアは悔しそうに唇を噛んだ。
「だがあの時、彼女はザフール商会と契約を結ぶ専属職人……言わば『他社の身内』だった。よその商会のお抱えに、外部の人間が口出ししたり、引き抜いたりするのは業界のタブーさ。それをやれば、商会同士の全面戦争になる」
たとえ相手が無能なデリックであっても、商いにおいて契約と筋は絶対だ。
マリアは歯痒い思いをしながらも、商会のトップとしてルールを破るわけにはいかなかったのだ。
「指をくわえて見ているしかなかった。……あたいにとっちゃ、地獄だったよ」
マリアの言葉には、重い実感が籠もっていた。
ソフィアは驚いたように目を丸くしている。
自分が知らないところで、そんな葛藤があったとは。
「だが、今は違う」
マリアはニヤリと笑い、ソフィアの肩を抱いた。
「ソフィアちゃんは独立した。もう誰のモノでもない。……これからは、OTK商会が、いや、あたいが全力でバックアップするよ。もう二度と、誰にも邪魔はさせない」
それは、大陸最強の商人が味方についた瞬間だった。
ギルバートはフッと表情を緩め、マントを羽織った。
「……それを聞いて安心した。マリア殿がいてくれるなら、俺も心置きなく帰れる」
「えっ? ギルバートさん、やはり帰るのですか? この雪の中を?」
ソフィアが不安そうにギルバートの袖を掴む。
ギルバートは優しく彼女の手を包み込んだ。
「ああ。では、また明日来る。……おやすみ、ソフィア殿」
「は、はいっ……おやすみなさい、ギルバート様」
彼は微笑むと、雪の吹き荒れる中を、一歩ずつ歩いて帰っていった。
(寒くないのかな……。泊まっていっても、私は……別に良かったんだけどな)
それよりは、ギルバートが寒い思いをしない方がいいと思ってしまう。
前世、役立たずな、何もできない自分だったからこそ、ソフィアは自分のことを軽く見てしまう。
自分の看板が傷つくよりも、ギルバートの体調を優先してしまうのだった。
◇
ギルバートが去った後。
店に残されたのは、ソフィア、ヨランダ、そしてマリアの三人だ。
「へえ。言うじゃないか、あの朴念仁」
「ふふ、さすがは坊ちゃんですわね。土壇場での引き際が鮮やかですわ」
「まったくだ。……さて!」
マリアは背負っていた荷物をドサリと下ろした。
中から出てきたのは、極上の魔導素材……ではなく、年代物のワインボトルと大量のつまみだった。
「吹雪で帰れなくなっちまったし、今夜はここで泊まらせてもらうよ! 家賃代わりに、ぱーっとやろうじゃないか!」
マリアは何度か、ここに泊まったこともある。
ソフィアとしても、気心の知れたマリアと泊まること、飲み会をすることには、何の抵抗もなかった。
「あら素敵! ちょうどチーズがありますのよ」
「ええっ、飲み会ですか!?」
ソフィアが目を白黒させるが、マリアとヨランダは既にグラスを準備している。
雪の夜の女子会、開幕だ。
「カンパーイ!」
グラスが触れ合う軽やかな音が響く。
マリアはワインをグイッと煽り、意地悪そうな笑みをソフィアに向けた。
「で? どうなんだいソフィアちゃん。あの坊やとはどこまで進んでるんだい?」
「? どこまでって……お得意様と店主ですけど……」
本気で、心の底からの返答だった。
(むしろそれ以外に何があるんだろう……進むって……?)
マリアはそんなソフィアの、困惑している顔を見て、深くため息をついた。
「……あんな熱烈なラブコールを受けておいて、その答えは罪作りだよ」
「そうですわよソフィアちゃん。坊ちゃん、耳まで真っ赤でしたもの」
「?????」
二人の大人な女性にからかわれても、しかしソフィアは困惑顔だ。
(ラブコール? 真っ赤? そんな様子はなかったわ。それに……魔力も……)
彼の魔力は、いつも通り力強いものだった。
別に刺々しい感じはしなかった。
悲しいかな、彼女は自分に向けられる魔力をより鋭敏に捉える。
そして、ソフィアは今まで、誰かから好かれるという経験がなかった。
前世を含めて、ザフールを出るまで一度も。
それゆえに、ソフィアはわからない。
自分に好き、という感情が向けられた時、魔力はどういう音をするのか。
好意という単語にしても、それが親愛という意味合いもあるのだ。
ソフィアは心が読めても、思考が読めるわけではない。
だから、ソフィアは、二人が言うところの、ギルバートから向けられる恋愛感情に全く気づけないのである。
「こりゃあまあ、長い道のりだね」
「ええ、ええ。ですが、アタシは諦めませんの! 明るい未来のために!」
「ふふ……そうかい。嬢ちゃんはそっち派なのね。おばちゃんもソフィアちゃんの幸せを望んでいるからさ、味方しちゃおうかな」
「おー! 同志~!」
「同志~」
盛り上がる二人。
何の話題で盛り上がっているのかは、さっぱりだったが……。
外は激しい吹雪。
けれど、銀のフクロウ亭の中は、暖炉の火よりも温かい笑い声に包まれていた。




