16.双子の杖選び
レオンとグリフィス、双子の魔法使い見習いが、ソフィアの店で杖選びをしている時のことだった。
カランカラン、と軽やかなドアベルが鳴り、一人の老人が店に入ってきた。
「こんにちは」
長い白髭を蓄え、深緑のローブを纏った老紳士――「大賢者」ガンダールヴルだ。
『神域の八賢者』の一人であり、帝国の魔法使いなら知らぬ者はいない、魔法学園校長その人である。
「ガンダールヴル様!?」
ベルンシュタイン夫人が、あんぐりと口を開けて絶句した。
歴史の教科書に載っている偉人が、街の小さな店にふらりと現れたのだ。腰を抜かしそうになるのも無理はない。
「こんにちは、奥方。それに……坊やたち。驚かせてすまないのぅ」
ガンダールヴルは片手を上げ、申し訳なさそうに微笑んだ。
その仕草は、魔法界の頂点に立つ者とは思えないほど気さくで、温かい。
しかし、夫人は固まったままだ。
一方で、ソフィアはニコッと、実に自然に笑いかけた。
「こんにちは、ガンダールヴル様」
「はいこんにちは、ソフィア嬢」
これもまた、夫人の度肝を抜いた。
あの超有名な大賢者と、孫娘のように親しく会話しているのだから。
しかも、朗らかに、対等に。
(この店主さん、ただの職人ではありませんの……!? あの賢者様とあんな風に話せるなんて……!)
「杖のメンテナンスを頼みに来たのじゃが、お邪魔だったようじゃのう。少し待たせてもらってもよいか?」
「えっと……ごめんなさい」
ソフィアはガンダールヴルに丁寧に頭を下げた。
「これから、このお二方の杖を選ぶところなのです。時間がどれくらいかかるか分かりません。ご迷惑をおかけしてしまうと思うので、日を改めていただけますと……」
夫人は、またも驚愕した。
あの、大賢者の依頼を、断る。
しかも、「子供たちの杖選び」を優先して?
普通なら、他の客を追い出してでも賢者を優先するはずだ。
だが、ソフィアにとっては「先に来たお客様」が最優先なのだ。
「うむ、了解じゃ。まあ不具合があるわけでもなく、単にソフィア嬢が元気か様子を見に来ただけじゃからな。気にせんでよいぞ」
「ありがとうございます。また今度、お茶をご用意してお待ちしておりますね」
賢者は嫌な顔ひとつせず、鷹揚に頷いた。
二人の間には、確かな信頼関係がある。
夫人は震える手で扇子を握りしめた。
(わたくし、とんでもない方に無礼を働いてしまったのではなくて……?)
「出直すとしよう……む?」
ガンダールヴルは店内の様子を見回し、左手に杖を持って立ち尽くすグリフィスに目を留めた。
「ほう……左手? 坊や、君は左利きなのかい?」
彼は孫を見るような優しい目で、グリフィスの頭を撫でた。
「い、いいえ……右利きです」
「? では、どうして左手で杖を握っておるのじゃ?」
「その……ソフィア殿に、左手で杖を持った方が良いって言われて」
グリフィスは自然と、ソフィアに「殿」をつけて呼んでいた。
無理もない。あのガンダールヴルと対等に話す大人物だと思ったのだから。
「ふむ……」
ガンダールヴルは目を細めた。
先ほどの好々爺然とした表情から一転、知識の深淵を覗く猛禽類のような鋭い眼光へと変わる。
「ソフィア嬢、どういうことか、説明していただけないかの?」
「え、あ、はい。『杖手』といいまして……」
ソフィアは「杖手」の概念と、グリフィスの魔力回路について説明した。
ガンダールヴルの表情が、真剣なものから驚愕へ、そして畏怖へと変わっていく。
「なる、ほどの……」
ガンダールヴルはグリフィスの腕をそっと取り、静かに詠唱した。
『魔力探知』。
対象の魔力回路をサーモグラフィーのように視覚化する高等魔法だ。
恐るべきは、大賢者が魔法を使ってようやく視えるものを、ソフィアは何の魔法も使わず、ただの目で正確に感じ取っていたことだ。
「……本当に、左手からの方が、魔力がスムーズに出力されておる。ワシは八十年魔法を見てきたが、この『杖手』の不一致という理論は盲点じゃった」
ガンダールヴルは震える声で呟いた。
「これは、魔法学会がひっくり返るぞ……。教育の基礎を覆す、世紀の大発見じゃ。ソフィア嬢、お主は歴史を変えたかもしれんぞ」
賢者からの最大級の賛辞。
夫人のソフィアを見る目が、今日何度目か分からないが、尊敬と畏怖に変わる。
しかし、当のソフィアは、賢者の言葉を軽く一礼して受け流した。
「それは光栄です、ガンダールヴル様。そんなことより……さて、レオン様、グリフィス様」
夫人は唖然とした。
歴史を変える発見を「そんなこと」で済ませて、すぐに仕事に戻ろうとしている。
ガンダールヴルとヨランダは顔を見合わせ、苦笑した。
ソフィアにとっては、世紀の大発見なんかよりも、目の前のお客さんに最高の杖を届けることの方が重大なのである。
「まこと、あっぱれな杖職人じゃのう、ソフィア嬢は」
「ちょっと杖に傾きすぎですけどねー」
ヨランダたちを他所に、ソフィアはパンと手を叩いて空気を変えた。
「杖選びをしましょうか」
ソフィアは、兄弟から聞き取りを行う。
何が好きか、好きな色、何を貶されると怒るのか。
ソフィアは、兄弟にかなり細かな質問をした。
すると、レオンはこう誤解した。
「ソフィア殿! 僕らに合わせて新しく作ってくれるの?」
レオンが期待に目を輝かせて尋ねる。
「いいえ。お店にある杖の中から、お二人にぴったりの一本を探し出します」
ソフィアは迷わず答えた。
レオンが少し残念そうな顔をするのを見て、彼女は優しく諭すように語る。
「オーダーメイドは確かに良いものです。ですが、それは『魔力回路が完成された大人』の話。成長期にある貴方様たちは、身長と同じで魔力回路も日々変化しています」
「魔力回路って、成長するんですね」
「ええ。肉体の一部ですから」
無論、成長速度や成熟具合は人によって異なる。
だが、この兄弟の回路は瑞々しく、まだまだ発展途上だ。
「今、完璧に調整したオーダーメイドを作っても、次第に『窮屈な服』になってしまい、かえって成長を阻害してしまうのです」
「そっか……」
「それに、杖になる木材には、一本一本『性格』があるのです」
「性格?」
「ええ。育った環境や樹齢によって、頑固だったり、素直だったり、お喋りだったり。……それを無理やり削って形にするよりも、お客様の魔力の波長とぴったり合う『性格』の先輩に導いてもらった方が、ずっと早く上達できる場合があるのです」
(……ギルバート様の場合は、体内の回路が完全に固定化され、さらに既存のどの杖も出力に耐えられず爆発してしまうという特例でしたから、オーダーメイドにするしかなかったのですけれど)
ソフィアは心の中で苦笑しつつ、補足した。
それは、魔力だけでなく「素材の声」を聞くソフィアだからこその理論だった。
ガンダールヴルは「素晴らしい」と感嘆の息を漏らした。
「どういうことですの? 素晴らしいって」
「ソフィア嬢が語っておるのは、魔法杖の高等理論なのじゃ。人の性格に例えることで、難しい理論を子供にも分かりやすく説明しておる。やはり、あの子は特別な杖職人じゃな」
普通の店なら、高いオーダーメイドを売りつけるところだ。
だが彼女は、客にとっての「最善」を優先する。
「まずはレオン様。貴方様の魔力は、矢のように真っ直ぐで、熱い」
「うん!」
「繊細な細工の杖だと、貴方様の熱量に耐えきれずに焼き切れてしまいます。ですから……こちら」
ソフィアが棚から選んだのは、『白トネリコ』の杖だった。
装飾は少ないが、骨太で、白く美しい木肌をしている。
「これは衝撃に強く、とても芯が強い木です。また芯材には鳳の尾羽が使われており、火の魔力を余すことなく伝達する。迷わず突き進む貴方様に、ぴったりの相棒ですわ」
レオンがその杖を受け取り、ぎゅっと握りしめた。
その瞬間。
ボッ!
杖の先端から、赤い炎のような揺らぎが立ち上り、レオンの前髪を煽った。
「うわっ、あったかい!」
「え、すご……。呪文を唱えてないのに、魔法が発動しましたわ! 無詠唱の使い手なのでしょうか?」
ヨランダが目を丸くして叫んだ。
しかし、ガンダールヴルは首を横に振った。
「違うぞ。あの子は無詠唱魔法を使っておらぬ。杖が、自発的に、レオン少年の魔力を使って魔法を行使したのじゃ」
「!? つ、杖が……自分で魔法を使うなんてことあり得るんですか……?」
「うむ……使い手と杖、その波長が本当にぴったり合った時、稀に起こる現象じゃ」
ガンダールヴルは懐かしそうに自分の杖を撫でた。
レオンは嬉しそうに杖を掲げた。
「次はグリフィス様ですね」
ソフィアは同様に、棚に向き合う。
取り出したのは、奇妙にねじれた杖だ。
「これは『捻じれ葡萄の木』。自然に螺旋を描いて育った杖です」
「変わった形……」
「貴方様の魔力は、体内で複雑な渦を巻いています。普通の真っ直ぐな木目だと、摩擦が起きてしまうのです」
ソフィアはグリフィスの左手に、その杖を握らせた。
「ですが、最初からねじれているこの杖なら、貴方様の渦巻く魔力を加速させる『レール』になります」
グリフィスが、恐る恐る指を絡める。
カチッ、と見えないパズルが嵌まる音がした気がした。
フワァッ……。
今度は爆音ではない。
優しい風が店内を吹き抜ける。
そして、杖の先から溢れた緑色の粒子が……レオンの杖にまとわりつく。
レオンの杖も、呼応するように赤く光る。
赤と翠。二つの風が、螺旋を描いて舞い上がった。
それは幻想的で、息を呑むほど美しい光景だった。
「わあ……綺麗……」
グリフィスは感嘆の声をもらしながらも、ふと、気づく。
「あの、ソフィア殿。僕の杖、兄と何か呼応しているように思えたのですが」
「よく気づきましたね。グリフィス様の杖には、鳳の風切羽が使われています」
「! これにも、兄と同じ、鳳の羽が?」
ソフィアはニコリと笑う。
「その杖も、実は双子なんです。同じ鳳の、同じ日に生え変わった、尾羽と風切羽。いわば双子の芯材を使った杖なのです」
鳳という伝説の鳥から、同時期に採取された素材。
それは魂のレベルで共鳴し合う。
「お互いが存在を認めて、高め合う、そんな力を持つ一対の杖。貴方様方に、ぴったりの杖だと、僭越ながら代弁させていただきました」
「「代弁?」」
「ええ。この子たち……杖が喜んでいます。……やっと、持ち主に出会えたって」
ソフィアが微笑むと、グリフィスは涙ぐみながら、愛おしそうに杖を抱きしめた。
◇
会計の際、夫人は相場の倍額の金貨を置いていった。
過剰な分は、今までの非礼に対する謝罪と、感謝の印だと言う。
「素晴らしい杖を、本当にありがとうございました」
夫人は深々と頭を下げ、息子たちと共に帰っていった。
グリフィスは店を出る際、何度も振り返り、ソフィアに手を振っていた。
店に残ったのは、ソフィアとヨランダ、そしてガンダールヴルの三人。
賢者は深い溜息をつき、頭を抱えた。
「……さて、ソフィア嬢。お主、とんでもないことをしでかした自覚はあるか?」
「はい? お客様に合う杖を選びましたが、何か不手際でも?」
キョトンとするソフィアに、ガンダールヴルは天を仰いだ。
やはり、この娘は自分の価値を分かっていない。
「ソフィア嬢……。悪いことは言わん。しばらく客とは会わず、裏の工房に籠もって杖作りだけに専念した方が良いぞ。老いぼれからの、忠告じゃ」
「それはできません」
きっぱり、とソフィアが断る。
「どうして?」
「杖は使い手あっての杖です。杖だけを見て、杖は作れません」
ヨランダは頭の上に「?」を浮かべたが、ガンダールヴルはその言葉の意味を正しく理解した。
杖は、使い手とのコラボレーションである。
それゆえに、杖を作る時は、使い手の性格、魔力回路、癖……多くの情報を直接見聞きする必要がある。
彼女にとって、接客は「杖作り」の一部なのだ。
(しかし……人前に出るということは、彼女の実力が白日の下に晒されるということ。今日の客は良かったが、それが悪人だった場合……)
ポン、とヨランダがガンダールヴルの肩を叩く。
「ガンダールヴル様。お気持ち、分かりますわ。ソフィアちゃん、ちょっと凄すぎるせいで、悪い人が寄ってきちゃいますよね」
「うむ……杖手理論に、あの鑑定眼……。こんな噂が広まれば、ソフィア嬢の価値は天井知らずだ。悪い貴族や商人が、お主を『金の卵』として囲い込みに来るぞ……」
ソフィアの才能は、あまりにも無防備すぎる。
利益よりも「良い仕事」を優先する彼女は、悪意ある大人からすれば格好の獲物だ。
賢者が苦悩していると、ヨランダが胸を張った。
「ご安心ください、賢者様。……実は、心当たりがありますの」
「ほう?」
「権力もあって、腕も立って、ソフィアちゃんを大切にしてくれる……『ちょうどいい優良物件』が」
ヨランダが不敵な笑みを浮かべる。
ガンダールヴルは瞬時に察し、ニヤリと笑った。
「……なるほど。あの『破壊神』の坊主か。フォン・ヴォルグ家なら家柄も申し分ない。奴なら悪い虫も寄り付かんじゃろう」
二人の視線が絡み合う。
守るべき対象と、その手段が一致した瞬間だった。
ガシッ! と固い握手が交わされる。
「交渉成立じゃな」
「ええ、お任せくださいませ!」
最強の「ソフィア守護同盟」が結成された瞬間だった。
「? あの、何のお話をしてるんですか?」
当のソフィアだけが、何も知らずに首を傾げているのだった。




