15.双子の星
パーティの翌日。
銀のフクロウ亭は、今日も静かな朝を迎えていた。
「昨日は楽しかったですね、ヨランダさん」
「ぬぅ」
カウンターを拭いていたヨランダが、なんとも言えない唸り声を上げる。
その表情はなんだか晴れない。
(楽しくなかったのかな……?)
ソフィアは不安げに眉を下げた。
自分が何か、ヨランダを不愉快にさせるようなことをしてしまっただろうか。
ソフィアの視線に気づいたヨランダは、ハッとしてすぐに笑顔を作った。
「あ、すみませんソフィアちゃん。楽しかったですわ、ええ。ええ。しかしアタシはですね、物足りないのですわ!」
「? もっとパーティをしたかったと?」
「そーじゃなくてっ。もっとこう……進展してもよかったのではと思ったのですわ!」
ヨランダは身振り手振りを交えて力説する。
結局、昨夜はご飯を食べて談笑し、夜も早い段階でギルバートは帰って行ったのだ。
(坊っちゃんのヘタレー! 飯食って帰るだけとかっ。学生の恋愛ですかって、もー! もっとぐいぐい推してかないと、ソフィアちゃんは特に鈍感なんだからもー!)
ヨランダは昨日、何度も理由を作っては二人きりにした。
完璧なアシストに徹したつもりだった。
しかし結果は、さっきのソフィアが発したセリフに収束する。
単に、楽しい食事会で終わってしまったのだ。
(まあいいですわ。急いては事を仕損じると言いますし。じっくり、くっつけていきましょう。ソフィアちゃんはやっぱり、誰かが傍にいた方がいいですわ。この子、目を離すとすぐに無茶するから……)
ヨランダは別に下世話心だけで、二人をくっつけようとしているわけではない。
ガンダールヴルの件が顕著だ。
ソフィアは、五日間ぶっ通しでの作業を平気でやる。
そんなに集中して作業ができるなんてすごい、と言う人もいるだろう。
しかしヨランダの目には、ソフィアという少女の作業が、見ていて痛ましく感じてしまう。
まるで、己の魂を削るかのような作業だ。
彼女の杖作りは、見る者に神聖さを感じさせる。
それは多分、己の魂を犠牲にし、作品を作り上げているところから発する、儚さからくるのだろう。
(このままじゃ、人間としてのソフィアちゃんは、すり減って死んでしまいますわ)
単なる、杖を作る機械に、ヨランダはなって欲しくないと思ったのだ。
出会ってまだ日は浅いけれど、ヨランダはこの頑張り屋な職人のことを、一等気に入っていた。
(ソフィアちゃんに、職人としてではなく、人としての幸せを感じさせたい。そこで、恋愛ですわ!)
そんな考えもあり、ヨランダはソフィアとギルバートを応援しているのだ。
その時だった。
カランカラン♪
軽やかなドアベルが鳴り、本日最初のお客様がやってきた。
◇
銀のフクロウ亭に入ってきたのは、煌びやかなドレスを纏った貴族の夫人と、二人の少年だった。
少年たちは同じ顔立ちをした双子だったが、雰囲気はまるで対照的だった。
(双子の兄弟かしら……?)
一人は、金髪を綺麗に整え、自信に満ちた表情の兄。
もう一人は、前髪が目にかかるほど長く、背中を丸めておどおどしている弟。
それがソフィアの第一印象だった。
「はじめまして。私は兄のレオン・フォン・ベルンシュタインと申します」
レオンはソフィアに丁寧に頭を下げた。
「んま、礼儀正しいお坊ちゃんですこと」
ヨランダが率直すぎる感想を漏らす。
ソフィアがもう一人の、おそらく弟の方を見やる。
「……あ、その……あの……」
弟は視線を泳がせ、ソフィアと目が合うとビクリと体を震わせた。
「こちらは、私の弟のグリフィスです」
「よ、よろしく、です……」
ヨランダは二人を見て、ニコッと笑う。
「レオン様とグリフィス様ですね。ようこそ、銀のフクロウ亭へ。それで、本日はどのようなご用向きですの?」
ヨランダがカウンターから声をかけると、夫人が扇子を仰ぎながら口を開いた。
「この子が今度、魔法学園に入学するのです。レオンに相応しい、最高級の杖を頂けるかしら?」
夫人はレオンの肩に手を置き、自慢げに微笑んだ。
その目は「我が家の傑作」を見つめる輝きに満ちている。
「かしこまりました。……そちらの弟さんの分は?」
ソフィアが後ろに隠れているグリフィスに目を向けると、夫人は鼻で笑った。
「ああ、その子はどうでもいいのです。魔力がほとんどない『出来損ない』ですから」
夫人の言葉には、嘘偽りも、悪意すらも感じられなかった。
ただ事実として、グリフィスを見下している。
グリフィスは何も言い返さず、俯いたままだ。
(この人たち、本気でそう思ってるみたい)
魔力ゼロゆえの特殊な感受性を持つソフィアには、人の感情を魔力の波長から読み取ることができる。
母も、本人も、本気でそう思い込んでいるようだ。
しかし、である。
ソフィアの目には、もう一つ別のものが映っていた。
(どういうことなの……?)
グリフィスを見て、ソフィアは困惑した。
「グリフィス、邪魔にならないように隅にいなさい」
「……はい、お母様」
グリフィスは消え入りそうな声で答え、店の隅へと移動した。
夫人は興味なさげに、「私は少し外の空気を吸っていますわ。ここはニス臭くて」と言って、店から出て行ってしまった。
(どうしよう。グリフィスくんのことは気になる……けど、まずは仕事をこなさないと)
ソフィアがレオンのためにいくつか杖を見繕おうと棚へ向かった、その時だ。
兄のレオンが、カウンターに身を乗り出して小声で叫んだ。
「店主さん、お願いします! グリフィスの杖も選んでやってください!」
「…………」
レオンの突然の行動に、しかし、ソフィアは驚かなかった。
レオンの魔力は、母と違って、弟を見下していなかったのだから。
夫人がレオンの杖だけ買うと言った時、兄レオンの心は深い悲しみの音を発していた。
レオンの魔力は、はっきりと、弟思いのお兄ちゃんであることを告げていたのである。
それゆえに、ソフィアは驚くことはなかった。
「あいつは出来損ないなんかじゃないんです! 僕よりずっと魔法の知識があるし、魔力制御の理論だって完璧なんだ!」
「兄さん、やめてよ……」
隅にいたグリフィスが、悲痛な声で止める。
「無駄だよ。何度やっても、ボワッて煙が出るだけで、魔法なんて出ない。僕は無才なんだ」
ソフィアは眉を顰めた。
魔力が本当に「ない」のなら、煙すら出ないはずだ。
まあそもそも、ソフィアの目には、グリフィスが魔力ゼロでないことはわかっていたが。
それより不思議なのは、『魔力があるのに、魔法が不発である』という現象だ。
何かが引っかかる。
「…………」
夫人の依頼はレオンの杖を選ぶことだけ。でも、レオンは、弟にも杖を選んで欲しいという。
どちらを優先すべきか。
商人ならば、金を払う人の意見を最優先させるだろう。
レオンは立派な貴族とはいえまだ子供だ。金は持っていないだろう。
財布を握る人物の依頼を、商人なら優先させていたかもしれない。
けれど、だ。
(私は商人じゃない、杖職人。杖を必要とする人のために、杖を選び、与える者)
今、杖を誰より必要としているのは、弟のグリフィスだ。
(……夫人の機嫌を損ねることになったとしても、私は、やるわ)
ソフィアはカウンターから出て、グリフィスの前に立った。
「グリフィス様。少し、体を見せていただけますか?」
「え……?」
「お兄様の依頼通り、貴方様の杖を選びます」
「! で、でも僕は魔力が……」
「あります」
ソフィアは、真っ直ぐにグリフィスの目を見て言った。
「魔力は、ありますわ。完全な魔力ゼロだった場合、そもそも手から煙が出ません」
グリフィスが困惑するのがわかる。
一方で、兄レオンは表情を輝かせた。
「僕も同意見だっ。グリフィス、お前にはちゃんと魔力があるんだよっ」
(レオンくん、本当に嬉しそう。優しいお兄ちゃんだ。……いいな)
なおのこと、ソフィアはこの優しい兄のため、そしてどこか自分に似た弟のため、全力を尽くすことを決意した。
「私を信じて、身を預けていただけないでしょうか」
「…………」
グリフィスが、ソフィアを見る。
彼女の目は、本当に真っ直ぐだ。
とても、澄んだ目。
母のように見下すのではない、対等な目。
その目は、大好きな兄と同じ色をしていた。
だから……。
「わかり、ました」
「ありがとうございます。では、じっとしていてくださいね」
ソフィアはグリフィスの全身を、職人としての目でじっと観察した。
彼女には、人の体内を流れる魔力の奔流が「視える」。
(……なるほど。そういうこと)
原因はすぐに判明した。
ソフィアは確信を持って頷くと、優しくグリフィスに語りかけた。
「グリフィス様。貴方、いつも杖を『右手』で持っていますね」
「へ? あ、はい。みんなそうだし、お母様にもそう教わったから……」
「それが原因ですね」
ソフィアは店にあった、何の変哲もない練習用の杖を手に取った。
「『杖手』って言葉、聞いたことありますでしょうか」
「杖手……?」
「ええ。人間には『利き手』があるように、魔法を放つのに適した『杖手』があるの。大抵の人は利き手と一致するのですが、貴方は違う」
ソフィアはグリフィスの右腕と左腕を交互に指差した。
「貴方の右腕は、魔力の回路が細くて、流れが滞っています。だから右手で杖を持つと、出口が詰まって煙しか出ない」
「そ、そんな……」
「けれど左腕は違う。――驚くほど太くて滑らかな、魔力の通り道があります」
利き手と杖手の不一致が、魔法をうまく扱えなくしていた原因だった。
その不具合を、普通の人間は見抜けなかった。
魔力の通り道が見える、魔力ゼロのソフィアだからこそ、気づけたのである。
「騙されたと思って、この杖を『左手』で持ってみてくださいまし」
ソフィアは杖を差し出した。
グリフィスは戸惑いながらも、恐る恐る左手で杖を握った。
その瞬間。
ドクン、とグリフィスの心臓が跳ねた。
指先から全身へ、熱い血が巡るような感覚。
今まで感じたことのない、魔力との一体感があった。
「いけっ!」
ソフィアの声に弾かれ、グリフィスは無心で杖を振った。
カッ――――!!
店内の空気が震え、目が眩むほどの極大の光が放たれた。
それは暴走ではない。
純白に輝く、極めて純度の高い魔力の奔流だった。
「うわぁ……!」
「すごい……! やっぱりグリフィスは天才だ!」
レオンが歓声を上げる。
騒ぎに驚いて、外から夫人が部屋に入ってくる。
光の中心にいるグリフィスを見て、彼女は絶句した。
「な、何事ですの!? これ、グリフィスが……?」
腰を抜かしそうな夫人に、ソフィアは凛として告げた。
「弟さんは無才ではありません。貴女の思い込みのせいで、才能の出口を塞がれていただけです」
「そ、そんな……わ、わたくしのせいで」
「ええ。なぜ、子供の味方であろうとしないのですか。親は、たとえ他者から落ちこぼれの烙印を押されたとしても、その内に眠る才能を、誰より信じてあげるものではないですか?」
脳裏によぎるのは、祖父ヴィルの笑顔だ。
あの人だけは、魔力ゼロのソフィアの才能を信じてくれた。
祖父に救われた過去があるからこそ、ソフィアは、夫人の言動が許せなかった。
……完全に、出過ぎた真似だとしても。
それでも、自分は杖職人だ。
利益のためでなく、杖を持つ人の幸せのためにある。
だからソフィアは、夫人を叱ったのである。
「わたくしは、間違っていましたわ……」
夫人は自身の不明を恥じ、崩れ落ちた。
グリフィスは涙を流しながら、自分の左手と、そこにある杖を強く握りしめた。
「僕……魔法、使えた……」
「ええ。とっても綺麗な光でした」
ソフィアが微笑むと、グリフィスは前髪の間から、初めて希望に満ちた瞳で彼女を見つめ返した。
「グリフィス、ごめんなさい……愚かな母を許して」
レオンの魔力は怒りの音をしていた。
けれど、グリフィスは首を横に振る。
「気にしないで、母様」
「グリフィス、ああ、グリフィス! ごめんなさいね!」
二人が抱き合う。
レオンはそれを見て、怒りを収めていたのがわかった。
(大人だわ。本当に)
するとレオンが笑顔で、ソフィアに向き直った。
「ありがとうございました。ソフィアさん」
「いえ。さぁ、杖選びを始めましょう。ぴったりの杖を選んでみせますわ、お二人の」




