14.緋色(ホンモノ)の輝き
その日の午後。
ソフィアとヨランダは、パーティの買出しのために、帝都でも指折りの大型スーパーマーケットを訪れていた。
広大な店内には、冷気を放つ『魔導冷蔵ケース』がずらりと並び、新鮮な肉や野菜、色とりどりの果物が並んでいる。
(さすが帝都のスーパー。こんなにたくさんの魔導冷蔵ケースがあるなんて。元いた世界のスーパーと遜色ないわ……)
ソフィアはキョロキョロと周囲を見渡した。
「そんなに物珍しいです?」
「ええ、まあ」
「そっか、ソフィアちゃん、こっちへ引っ越してきたばかりでしたね」
「はいっ。おっきなスーパーですね」
「もっともっと大きなとこもありますよー」
「そうなんですかっ? すごい……」
ヨランダは純粋な反応をするソフィアを見て、にっこりと微笑んだ。
「ソフィアちゃんてば、こっち来てからの食材ってどうしてましたの?」
「マダムが残してくれた保存食をかじってました。帝都のこと、あまり知らなかったですし」
それに、こっちに越してきてからは仕事に集中していて、自分の食事や買い物をずっと後回しにしてきたのだ。
それを聞いたヨランダは、ソフィアをぎゅっと抱きしめた。
「ソフィアちゃん、せっかく都会に来たんですし、もっと都会生活を楽しみましょうよ」
「そ、そうですね……」
「ぐす……かわいそうに。若いのに、仕事の奴隷だなんて……」
どうやらヨランダは、「仕事が忙しくて自由に遊びに行けないソフィア、可哀想」とでも思っているようだ。
同情してくれるのは嬉しいけれど、ソフィア自身は仕事を嫌だと思ったことは一度もなかった。
杖を調整し、魔道具を修理する時間は、彼女にとって何よりも楽しい時間だ。
作業に没頭している時、それはすなわち、誰かのためになることをしている時。
前世、皆の足を引っ張って生きていた自分にとって、誰かの役に立てる労働とは素晴らしいものだ。
ソフィアは心からそう思っていた。
さて、二人がどうしてスーパーに来ているのか。
ザフール商会の一件が片付き、頑張ってくれたギルバートへの慰労会を開こうとなったのだ。
場所については、ヨランダが「ソフィアちゃん家にしましょう」と提案した。
ギルバートの実家である「フォン=ヴォルグ家」は、格式高い貴族の屋敷だ。
そこに行くのは気が引ける。
かといって、外のレストランへ行くにも、ソフィアはまだ帝都の店事情に詳しくない。
相談の結果、気兼ねなく過ごせる「銀のフクロウ亭」でやることになったのである。
「それにしてもすごい品揃えですわね! これなら坊ちゃんのお祝いに相応しいご馳走が作れますわ!」
「あ、お酒コーナーはあっちみたいですよ」
「了解ですわ! ちょっと高いワインを見てきます!」
ヨランダがカートを押して勇ましく進んでいく。
ソフィアは微笑ましくそれを見送ると、日用品コーナーへと足を向けた。
棚には、生活雑貨や魔導具のメンテナンス用品が並んでいる。
その一角にある「美容用品」の前で、ソフィアの手が止まった。
「……あ」
無意識のうちに、ソフィアは『強力黒色染料・烏濡れ(カラスヌレ)』の瓶を手に取っていた。
鏡を見るたびに気になっていた、生え際のリタッチ。
もう習慣のようになっていた。
「なにを買おうとしてますの?」
突然、横からひょいと顔を出され、ソフィアは「ひゃっ!?」と声を上げて肩を跳ねさせた。
いつの間にか戻ってきたヨランダが、不思議そうな顔で手元の瓶を見ている。
「染料? なんでまた、そんな真っ黒なやつを?」
「あ、いえ……その。実は私、髪を染めてて……」
「染めてる? 今の黒髪が地毛じゃありませんの?」
ソフィアは気まずそうに頷き、ぽつりとこぼした。
「……元々は、赤系の髪なんです。でも、デリックさんに言われて」
脳裏に、あの冷たい視線と言葉が蘇る。
『おい、なんだその色は。目がチカチカする』
『お前のその髪は、自己主張が激しすぎて不快なんだよ』
『客は俺を見に来てるんだ。お前みたいな裏方が、俺より目立つ色をしてどうする?』
彼は、ソフィアが「個」を持つことを極端に嫌った。
自分の引き立て役である「影」として、無個性な黒であることを強要したのだ。
『女が職人気取りで、ギラギラした色をちらつかせるな。見苦しい』
その言葉は、今も呪いのようにソフィアを縛っている。
「……だから、黒くしておかないと、また怒られる気がして」
説明を聞き終えたヨランダの顔から、すぅっと表情が消えた。
彼女は無言でソフィアの手から染料瓶を取り上げると、棚の奥の奥へ強めに押し込んだ。
カチャン、と硬質な音が響く。
「……ソフィアちゃん」
「は、はい」
「あのクソボケカス野郎の話は、もう金輪際聞きたくありませんわ。思い出すだけで胃液が逆流しそうです」
「ご、ごめんなさい」
「謝るのは貴女じゃありません! ……はぁ」
ヨランダは大きくため息をつくと、真剣な眼差しでソフィアを見た。
「ちょうど良い機会ですわ。もう染めるのはやめましょう?」
「え……」
「ザフール商会は潰れました。あの男も捕まりました。貴女を縛るものは、もう何一つないんですのよ?」
「それは、そうですけど……」
「それに、今日は新しい門出のパーティです。区切りをつけるには最高の日だと思いません?」
区切り。
その言葉が、ソフィアの胸にストンと落ちた。
そうだ。いつまでも彼の言葉に怯えて、自分を隠し続ける必要なんてないのだ。
自分はもう、ザフール商会を追い出されたのだから。
「……そう、ですね。やってみます」
「ええ、その意気ですわ! そうと決まれば……これです!」
ヨランダが迷いなく棚から取り出したのは、『魔法脱色液』だった。
「ついでに、髪も切っちゃいましょうか。ずっと伸ばしっぱなしでしたし」
確かにソフィアの髪は、伸びっぱなしだった。
後ろ髪は肩甲骨のあたりまで伸びているし、前髪も目にかかっている。
作業をする時は、髪の毛をその都度まとめていた。
正直、ちょっと鬱陶しいとは思っていたところだった。
「えっ、切るんですか?」
「ええ。心機一転、サッパリと!」
「で、でも……私、床屋さんが苦手で……」
人と話すのが得意ではないし、自分の顔をじっと見られるのも恥ずかしい。
ソフィアが尻込みしていると、ヨランダが胸を張った。
「床屋? ノンノン。大丈夫ですわ、アタシが切りますから」
「えっ? ヨランダさんが?」
「こう見えても、髪のセットやカットは得意なんですのよ。メイドの嗜みってやつです!」
「す、すごい……」
料理もできて、散髪もできるなんて。
ソフィアは目を輝かせて、頼もしいメイドを見上げた。
◇
買い物を終えて「銀のフクロウ亭」へと戻ると、早速「断髪式」が始まった。
この家には、小さいながらも浴室がついている。
ソフィアは薄着になり、洗い場に置かれた椅子に座った。
ヨランダがリムーバーでソフィアの髪を洗うと、黒い滴がボウルへと流れ落ちていく。
タオルで拭き上げると、そこには燃えるような「緋色」が現れた。
「うわぁ、すっごく綺麗な色! 宝石みたい!」
「そ、そうですか……? 派手すぎませんか?」
「全然! さあ、切りますわよー!」
ジョキ、ジョキ。
小気味よい鋏の音が響く。
視界を遮っていた長い前髪が切り落とされ、重たかった後ろ髪も肩のラインで軽やかに整えられていく。
「はい、完成!」
鏡を見たソフィアは、目を見開いた。
そこに映っていたのは、緋色の髪をふわりと揺らす、活発そうな美少女だった。
髪型は、丸みを帯びたボブカット。
毛先が内側にくるんと巻かれていて、可愛らしい。
何より、前髪がなくなったことで、大きな瞳がはっきりと露わになっている。
「これが……私?」
「びっくりどっきりですわ……。磨けば光るとは思ってましたけど、ここまでとは……」
ヨランダ自身も、自分の手腕以上の仕上がりに驚いているようだった。
その時、入り口のドアベルがカランコロンと鳴った。
「坊ちゃんが来ちゃったようですわねっ。ソフィアちゃんは髪の毛を乾かして、後からゆっくり、勿体ぶるように出てきて!」
ヨランダはそう言って、足早に部屋から出て行ってしまった。
(なんだか……浮かれてる? なんでだろう……)
ソフィアは不思議に思いながらも、髪の毛をタオルで拭いた。
入浴したわけではないので、すぐに乾き終えた。
(いつも着ている作業着……ううん。一応お祝いの場なんだし、ちゃんとしたのを着ないと)
ソフィアはクローゼットを開けた。
持っている服の中で、一番小奇麗なものを選ぶ。
淡い若草色の膝丈スカートに、クリーム色のカーディガン。
派手すぎず、下品すぎず、今の自分に似合うはずだ。
着替えを終えたソフィアは、深呼吸をしてから、店の入り口へと向かった。
「こんばんは。少し早いが、来てしまった」
低い声と共に、ギルバートが入ってきたところだった。
手には祝いのワインボトルを持っている。
「いらっしゃいませ、ギルバートさん」
ソフィアは笑顔で出迎えた。
その姿を見た瞬間、ギルバートが固まった。
「あ……」
彼は持っていたワインを落としそうになり、慌てて抱き止める。
そして、信じられないものを見るような目で、まじまじとソフィアを見つめた。
その顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。
「ソ、ソフィア……殿、か?」
「は、はい。あの、変でしょうか? 急にこんな派手な色にして……」
ソフィアがおずおずと尋ねると、ギルバートは喉を鳴らし、ようやく言葉を絞り出した。
「……いや。すごく、似合っている」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。前の髪も良かったが……その色は、君によく似合う。とても……綺麗だ」
真っ直ぐな瞳で言われ、ソフィアはカッと頬を熱くした。
心臓が早鐘を打つ。
けれど、すぐに「はっ」と冷静さを取り戻す。
(さすがギルバートさん。大人だわ……)
急なイメチェンで驚かせたのに、動揺を見せずに褒めてくれるなんて。
これはきっと、紳士としての社交辞令だ。
本気にしてはいけない。
「ありがとうございます。……ふふ、お世辞でも嬉しいです」
ソフィアはぺこりと頭を下げた。
その謙虚すぎる反応に、ギルバートが「世辞ではないのだが……」と何か言いたげに口籠もるが、ソフィアは気づかない。
「さあさあ! 入り口で立ち話もなんですし、始めましょうか! 新生ソフィアちゃんのお披露目パーティを!」
奥からヨランダが、ニヤニヤ顔で手招きをした。
こうして、新しいソフィアの第一歩となる夜が始まったのだった。




