表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/29

10.八賢者の杖作り


 工房の空気は、張り詰めた弦のように鋭利だった。

 窓から差し込む光さえも、遠慮がちに床を照らしている。


 作業机に向かうソフィアの背中は、ここ数時間、微動だにしていなかった。


 彼女が行っているのは、修理ではない。

 「転生」させるための、大手術だ。


 ソフィアは、ガンダールヴルの折れた杖を万力で慎重に固定すると、拡大鏡ルーペを目に装着した。

 手には、針のように細いノミが握られている。


 まずは、死んでしまった木材の中から、未だわずかに魔力を帯びる「芯材」――杖の心臓部分を摘出しなければならない。

 芯材と外殻の木材は、血管と肉のように複雑に癒着している。


 少しでも手元が狂えば、芯材を傷つけ、杖の魂を殺してしまうことになる。


 カリッ……カリッ。


 静寂の中に、微かな音が響く。

 ソフィアは、炭化した木材の繊維を、一本、また一本と剥がしていく。

 それはまるで、薄紙を一枚ずつ剥ぐような、いや、蜘蛛の巣を解くような、気の遠くなる作業だった。


「……ふぅ」


 ソフィアが小さく息を吐き、作業を一瞬止めた。

 その隙に、ヨランダが濡れた布でソフィアの額の汗を拭う。

 その様子を見守りながら、ヨランダが小声で囁いた。


「ねえ、ガンダールヴル様」

「なんじゃ、お嬢さん」

「くっつけるだけなら、もっとパパッとできないんですの? 強力な接着剤とかで、えいって」


 ヨランダが不思議そうに首を傾げると、ガンダールヴルはうなずく。


「そうじゃのう。普通の木なら、それでいい」

「違うんですの?」

「ああ。少し、想像してごらん。例えば、折れた小枝を繋ぎ合わせるとする。おぬしならどうする?」

「そりゃあ、のりでくっつけますわ。アタシにもできます」


「ふむ。では、糊が使えないとすると?」

「えっと、じゃあテープで巻きます」

「テープも使えぬとなると?」

「……えっとえっと、じゃあ……針と糸で……?」


 ヨランダが自信なさげに答えると、ガンダールヴルは穏やかに頷いた。


「ふむ、それはおぬしにできるかな?」

「でき……ると思いますわ。木は硬いですけど、まあまあ太いですし」

「では、その木が、針のごとく細かったら?」

「……は?」


 ヨランダが目を丸くする。


「針のごとく細い枝を、それより細い針と糸を使って縫合することはできるかな?」

「え、えっと……」

「しかも、木の繊維の一本一本を、ズレなく正確に繋ぎ合わせることは?」

「……できない、というか、不可能ですわ。そんなの、現実的じゃありません」


 そう、現実的ではない。

 物理的な木材ならまだしも、目に見えない魔力回路の接合など、人間の領域を超えている。


「しかし、あの娘は今、現実にそれをやっておるんじゃよ」

「……うそぉ」


「嘘ではないよ。魔力回路を切り取り、新しい木材へと繋ぎ合わせる作業は、針を、より細い針で縫うような神業じゃ。虚空に絵を描く方がまだ簡単かもしれんのう」

「いや、そっちも無理ですって……」


 ヨランダは顔を引きつらせ、改めてソフィアを見た。

 彼女は今、ピンセットで摘出した「芯材」を、青く透き通った特殊な溶液に浸しているところだった。

 活性化させ、鮮度を保つための処置だろう。


「ソフィアちゃんは、そんくらいヤバいことやれちゃうんですね……」

「うむ……まさに、神業じゃ。あんな芸当ができる職人、ワシの知る限り伝説の『八宝斎はっぽうさい』くらいしかおらん」


「はっぽう……さい? 料理ですの?」

「違う違う。伝説の鍛冶師じゃよ。ヴィル・クラフトといって……クラフト? まさか……」


「それ、ソフィアちゃんのお祖父様ですよ?」

「! なんと…… そうだったか……。やはり……ただ者ではないと思っておったが」


 ガンダールヴルは驚き、そして嬉しそうに目を細めた。

 かつて世界を驚かせた天才職人の技術が、この小さな背中に受け継がれている。

 ならば、奇跡も起きようというものだ。


     ◇


 それから、長い戦いが始まった。

 芯材の摘出と活性化が終わると、次は新しい「体」となる木材の調整だ。

 ソフィアの目は、目の前の老人が秘める膨大な情報を正確に捉えていた。


(なんて……緻密な魔力回路……)


 人間の体には、魔力の通り道である「魔力回路」が刻まれている。

 回路が複雑であればあるほど、高度な魔法を組み上げることができる。

 ガンダールヴルの体には、気が遠くなるほど精緻な回路が、それこそ大迷宮のごとく、全身を駆け巡っていた。


(なんて……魔力量……)


 次に驚くべきは、彼の内包する魔力量だ。

 それはマダム・グランなど比ではないレベルだった。

 底が見えない。

 まるで、どこまでも続く深い大海原のように、その魔力の器は広大だった。


 迷路のごとき複雑な魔力回路。

 大海原のごとき無尽蔵の魔力。

 そのどちらか片方を持つ者は、稀にいる。


 だが、両方を同時に持ち合わせている者は、そうはいない。

 多くの魔力を持っていても、それを使いこなせない者。

 逆に、複雑な回路を持っていても、ガス欠を起こす者。

 ガンダールヴルという老魔法使いは、莫大な量の魔力を、超高レベルに使いこなす、まさに化け物級の魔法使いだった。


(とんでもない魔法使いだ……)


 世間の人々は「八賢者」という肩書きしか見ていない。

 だがソフィアは、唯一、彼の実力を「構造」として完璧に見抜いていた。


(とんでもない魔法使いさんの杖。となると、木材はそれに耐えうる……ううん、そのチカラを更に飛躍させる素材がいいはず)


 ソフィアは立ち上がり、資材保管庫へと向かった。

 そこには、マダムが残してくれた世界中の銘木が眠っている。

 ソフィアはその棚の前に立ち、ブツブツと呟いた。


「……芯材は、七種類だった。不死鳥を含めた七つの芯材を組み合わせて作った、オンリーワンのもの……それほどまでにたくさんの芯材を使ったのは、きっとガンダールヴル様の魔力が七種類あるから……となると木材も全ての属性を、余すことなく通すものがいい……」


 独り言を聞いたガンダールヴルが、戦慄の表情を浮かべた。


「……ガンダールヴル様、どうしたんですの?」

「……あのお嬢さんは、凄まじい。魔力の属性を、なんの道具も使わずに見抜いておる」


「? 魔力に属性なんてありますの?」

「ああ。人には得意な属性というものがある。詳細は省くが……とにかく、魔力には色が付いておるのじゃ。わしの魔力は七色。地、水、火、風、光、闇、そして無。その全てを使う」


「へー……それってすごいですの?」

「わし以外に七つ持つものはおらんよ。じゃが、一番凄いのはあのお嬢ちゃんじゃ。魔力の属性は、専用の高級魔道具を使って、やっと分かるものなのじゃ。あの子は見ただけで見抜いてみせた」


「……ソフィアちゃんの目が、その高級魔道具と同じレベルに凄いってことなんですの?」

「そういうことじゃ……」


 驚き、戦慄する二人など気にも留めず、ソフィアは木材選びに没頭する。

 何本も、何本も、枝を取り出しては首を捻る。

 やがて、一本の枝の前で手が止まった。


「うん……これだ……『極光樹きょっこうじゅ』! これしかない!」


 ソフィアが手に取ったのは、不思議な枝だった。

 樹皮は白磁のように滑らかだが、見る角度によって、青、紫、緑と、オーロラのように色彩が揺らめいて見える。

 全ての光を内包し、全ての魔力を透過させる、幻の霊木だ。


「完成したの、ソフィアちゃん……?」


 だが、ヨランダの問いかけは、ソフィアの耳には届いていなかった。

 彼女は枝を宝物のように抱え、作業机へと走っていった。


「杖の木材が選び終わっただけじゃよ。ここから、枝を加工する作業に入る」

「……それってどれくらいかかるんでしょうねえ」

「わからぬ……職人次第じゃ。ただ、あの子はこの枝を選ぶのに、半日以上かけておったからの」

「……じゃあ、加工は……もっと……」

「うむ……覚悟する必要はあるのう」

「このままじゃ……あの子倒れちゃうわ!」


 ヨランダは、キッチンへと向かった。

 そしてパパッと、手軽に食べられるものを作って、ソフィアの元へ戻る。


「ソフィアちゃん、お口あーん!」

「……ん」


 ヨランダが差し出したサンドイッチを、ソフィアは視線を外さぬまま機械的に噛み砕き、水で流し込む。


「ファイトですよっ」

「……ん」


     ◇


 その後も作業は続いた。

 睡眠も、作業の区切りに机に突っ伏して数十分眠るだけ。

 ヨランダが何度も「休んで」と声をかけたが、ソフィアは首を振った。

 一度完全に手を止めてしまえば、繋ぎかけた「魂」の糸が切れてしまう。

 そんな強迫観念めいた集中力が、彼女を突き動かしていた。


 そして。


「……もう、五日じゃ」


 工房の椅子に座り込み、付きっきりで見守っていたガンダールヴルが、心配そうに呟く。


「凄まじい集中力じゃ……。人間技ではない」

「ソフィアちゃん、顔色が……」


 ヨランダが不安げに見つめる先で、ソフィアの頬は少しこけ、目の下には隈ができている。

 だが、その瞳の光だけは、衰えるどころか、星のように鋭く輝いていた。

 彼女の世界には今、杖と自分しか存在していないのだ。


 カチッ。


 静寂の中で、何かが嵌まるような、小さな音がした。

 ソフィアの手が止まる。

 張り詰めていた糸が緩むように、彼女は深く、深く息を吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。


「……できました」


 その声は掠れていたが、確かな達成感に満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
少し読者に理解を委ねてる感が凄まじい
文面に職人の凄みを感じさせる、主人公から目が離せないな凄く引き込まれる
世界最高の賢者!みたいなすごい人だったら5日間も急に暇になることないと思うんだけどこの間の仕事全部すっぽかしてるのかな あんまり気にしないほうが良いのか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ