表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2. 速さの神と、逃げるための板

クロスカントリーは、単純に見えて、単純ではない。

同じ距離を滑っても、誰と、どこで、どのタイミングで風を受けるかで、消耗はまるで変わる。集団の後ろにつく「ドラフティング」。上りで刻むピッチ、下りで休む角度。雪質の変化に合わせたワックス。呼吸と心拍の管理。

勝つためには、身体だけでなく、頭が要る。

僕が違和感を抱いたのは、戦術そのものではない。戦術が“目的”に寄っていくときの、あの硬い音だ。

勝つための合理性は、いつも魅力的だ。合理性は世界を整理してくれる。整理された世界は居心地がいい。だけど、整理の過程で捨てられるものがある。

ある日、僕は資料室に籠もった。雪上で苦しむ代わりに、紙の上で息を切らす。

「クロスカントリーの歴史」

「スキーの起源」

「北欧の少数民族 狩猟 移動」

検索ワードが増えるほど、僕の中の違和感は輪郭を得ていった。

クロスカントリーは、もともと生活の技術だった。雪に閉ざされる土地で、移動するため、狩るため、運ぶため。そうした実用が積み重なって、のちに競技へと“翻訳”された。

サーミの人々が何千年も前からスキーを使ってきた、という見方もある。

生活の文脈では、速さは確かに重要だ。でも速さは“勝利”のためではない。

速さは、夜に間に合うため、吹雪に追いつかれないため、獲物を逃がさないため、つまり「死なないため」だ。

古い記録にも、雪の上を滑る人々が現れる。6世紀、ビザンツの歴史家プロコピウスが、スキーで移動し狩る人々について書いたという資料もある。

その一文を読んだとき、僕の背骨の奥が熱くなった。競技の観客席では決して触れられない温度だ。


一方で、近代に入ると、スキーは軍や競技の形を取り始める。クロスカントリーが「スポーツ」として整えられていったのは19世紀後半で、軍隊での実践や、組織された大会の記録が語られる。

公式の競技会が19世紀前半に行われた、という説明もある。

生活の技術が、測定可能な“記録”へ変換されていく。そこに、文明の指紋がつく。

問題は、変換そのものじゃない。

変換した瞬間に、元の意味を「古いもの」として忘れてしまうこと。

そして、忘れたまま、勝利を美学と呼ぶこと。


夜更けに資料室を出ると、窓の外は白かった。

街灯の光が雪面に溶けて、地面と空の境目が曖昧になっている。

僕は不意に、曾祖母の視線を思い出した。

あの目は、勝利を見ていない。

あれは、帰れる道を見ている目だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
知識と感覚がきれいに噛み合っていて、思考が雪を踏み固めていく感じがありました。 「速さ=勝つため」から「速さ=死なないため」への転換が鮮やかで、競技化が切り落としてきた温度を静かに取り戻しています。 …
競技史と生活史が重なり合う、知的密度の高い回。 クロスカントリーが生活の技術から競技へ“翻訳”された過程を辿ることで、 「勝つための合理性」が、何を切り捨ててきたのかが浮かび上がります。 曾祖母の“視…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ