1. 雪の音を聴く心臓
雪は音を消す。だから、音が残る。
ストックが突く乾いた「コッ」という響き。板が雪面を撫でる「サァ」という擦過。吐息がマスクの内側で濡れて、冷えて、また肺へ戻る感触。
雪の上にいると、自分の身体が“何でできているか”がよく分かる。筋肉の酸欠、心拍の波、指先の血の引き方。疲労は嘘をつけない。嘘をつけない世界に身を置くのが、僕は好きだった。
僕――ニルス・アルト。国籍は日本。生まれも育ちも北海道だ。けれど、姓の「アルト」は北欧の少数民族に由来する。曾祖母が、北の海を越えて来た人だった。
家には、祖母が大事にしまっている古い布――鮮やかな縁取りのある衣装の端切れと、銀のボタンがいくつか。言葉も儀礼も、僕はほとんど継いでいない。継いだのは、冬に強い身体と、妙に雪と相性のいい感覚だけだ。
僕はクロスカントリースキーの選手だ。雪原を、延々と、走り続ける。
それが、いつから“走る競技”になったのだろう。
僕の中に生まれた違和感は、オフの間に薄れるどころか、体脂肪よりもしつこく居座り続けた。
きっかけは、ひとつのコピーだった。
スポンサーの撮影現場で、誰かが決まり文句みたいに言ったのだ。
「最後まで走れた者が勝つ。これがクロカンの美学だ」
美学。
その言葉に、僕の喉の奥がきゅっと縮んだ。冷たい空気を飲み込むときに似ている。美学というのは、本来、誰かの人生の端っこから滲み出るものじゃないのか。
コピーにして配布されるものじゃない。
練習後、コーチに「質問がある」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
僕はたぶん、答えが欲しいんじゃない。問いを手放したくなかった。
その冬、ミラノ・コルティナの五輪が近づいていた。
開会式は2026年2月6日、閉会式は2月22日。
ニュースは街の液晶の中で、もう始まっている祭りの顔をしていた。
僕の出場枠は、まだ確定していない。確定していないのに、確定しているもののように扱われる。期待と不安の両方が、同じ重さで肩に乗る。
夜、寮の自室で、僕はスマホを置いて、祖母から貰った古い写真を眺めた。
曾祖母が写っている。氷点下の光の中で、彼女は笑っていない。
目だけが、静かに遠くを見ている。
その視線の先にあるものは、勝利なのか。
それとも――生存なのか。




