18 エピローグ
ニキアスはソフィー様と婚約を結んでいない?
どういうこと?
「ちなみにレーネと俺の婚約は解消されていない」
ええ?
ニキアスの言っている意味がわからない。
泣きそうな気持ちで横のお父様を見ると、お父様が柔らかく微笑んで繋いでいる手をぎゅっと握りしめてくれた。
「レーネとニキアス君との婚約は成立したままだよ。彼の今までの行動は全て、レーネを守るためだったんだよ」
「私たちの婚約は解消されていないの?」
「ああ、そうだ。ニキアス君はレーネの身を守るために、対外的に、というよりミラー侯爵家に対して婚約を解消したと示す必要があったんだ」
「守るって?」
「先ほど伝えたように、ミラー侯爵はニキアスの婚約者の座を狙っていた。前回はニキアスが解毒薬をレーネ嬢にすぐに飲ませたおかげで助かったが、また狙われる可能性が強かった」
国王が答えてくれる。
「だからニキアスはミラー侯爵令嬢の前でレーネ嬢と婚約解消したと思わせる必要があったんだ。私の指示でもある。レーネ嬢には心身ともに辛い思いをさせて申し訳なかった」
と国王が頭を下げる。
そんなことをさせられないと分かってはいるのに、体も口も動かない。
「それと……この場で言うべきでもないのかもしれないのだが、レーネ嬢のおかげでエイダのお腹に子供が宿ったんだ。君に感謝してもしきれない。我々ができることは事件が片付くまで君の身の安全を守ることだけだった」
国王の慈愛に満ちた視線がエイダ様とエイダ様のお腹に向けられた。
「レーネのおかげで、無事子供を授かることができたわ。事件が解決するまで誰にもいえなかったの。本当はレーネに真っ先に伝えたかったのだけれど。レーネ、ありがとう」
色んな情報がありすぎて頭の中が処理ができていないけれど、エイダ様の幸せな報告はすんなりと心に入ってきた。
「よかった……おめでとうございます……」
涙が溢れて止まらない。もう何の涙かさえもわからない。喜びと安堵と……。
嗚咽がこみ上げてくる私をお父様がずっと背中をさすってくれる。
「レーネ嬢、今まですまなかった。国王の指示とはいえ、婚約解消することをニキアスは受け入れられず苦しんでいた。でも、君の安全を第一に考え抜いた方法だった。ニキアスと私達を許してほしい」
ドルシ公爵の言葉にぼんやりと頷く。
「私達はここで席をはずそう。二人でしっかりと話し合いなさい」
国王の言葉に皆が立ち上がった。
微笑んだお父様が私の頭にキスを落とした後、優しく言い含めるように言う。
「レーネも色々辛かったと思うがニキアス君も辛かったんだ。それを忘れずにな。話が終わったら執務室に来なさい。一緒に帰ろう」
国王が壊れ物を扱うみたいに、エイダ様を優しくエスコートして退席するのをぼんやりと眺めていた。
エイダ様は国王の腕の中から聖母のように優しく微笑んで頷いた。
まるで、頑張れって言ってくれているみたいだった。
テラスには私とニキアスの二人だけになる。頭の中が混乱していて何から話せばいいのか……。
「レーネ」
掠れたような弱々しい声でニキアスが私を呼んだ。
「今の状況はわかった?」
「私はまだニキアスの婚約者で、ニキアスは私の身を守るために婚約解消を宣言したってこと?」
「その通りだよ」
「ニキアスはソフィー様を好きになったから婚約解消したのではないの?」
「ミラー侯爵が関与していることは分かっていた。でも、肝心の証拠がなかなか見つけられなくて。俺の婚約者でいるとレーネがまた狙われる可能性があったから婚約を解消する振りをしたんだ。だから裏の事情は伯爵家は皆知っていたよ」
だからアレックスとも親しくなっていたし、両親もニキアスと交流があることを反対しなかったのね。
知らないのは私だけだったんだ。
いつの間にかニキアスが私の前で跪いていた。
「俺はずっとレーネが好きだった。桜の木の下にいたレーネを初めて見た七歳の時からずっと、今も変わらずに好きだ」
膝に置いてある私の両手をニキアスの両手がそっと包み込む。
「私は女避けじゃなかったの?」
「婚約を申し入れた時の俺は……レーネに結婚願望がないと思い込んでいたんだ。だから、好きだなんて伝えたら婚約を断られると思っていた。女避けなんて馬鹿なことを言ったってすぐに後悔したよ」
「……なんで今まで訂正してくれなかったの?」
「レーネは愛し愛される関係の夫婦になりたいって言っただろう。俺を男として見ていないレーネに愛していると伝えたら断られるかもしれないって、気持ちを伝えるのが怖かったんだ。それなら振りと思われようと良好な関係を続けていたら、いつかは俺のことを意識してくれるんじゃないかって思っていた」
何事にもいつも自信ありげに飄々としているニキアスが、そんな風に思っていただなんて。
「意気地がなくてごめん。もう隠さない。レーネを愛している。レーネを傷つける方法しか取れなくてごめん。俺のこと好きになってもらえるよう頑張るから、今までみたいに婚約者としてそばにいさせてほしい」
無理よ……。そんな言葉を聞いた後では無理だわ。
「無理だよ、今更」
ニキアスの顔が苦しそうに歪んだ。
「レーネが無理でも、もう離してあげられないほど愛しているんだ。お願いだ。もう一度だけでいいからチャンスをくれないか?決して裏切ることはしない。誰よりも大切にするから」
「違うの。今までみたいにってのが無理なの。ニキアスが婚約者の振りをしていると思えたから大丈夫だったのに。気持ちがあるって知ってしまったら……どう接すればいいかわからないもの」
「それは……嫌だってこと?」
不安そうな声が聞こえる。
「違う!……緊張してしまうわ。だって、ニキアスの対応は完璧だったもの」
頬を緩ませたニキアスがそっと尋ねてくる。
「少しは意識してくれているってこと?」
ずっと意識はしていた。
ニキアスの優しくて誠実な言動が、振りじゃなくて本当だったらいいのにってずっと思っていた。ニキアスに好かれる人は幸せだろうなってずっと思っていた。
でも、悪役令嬢顔の私は好きな人とは幸せになんてなれないものって諦めていた。
「ニキアスが私のこと好きかもしれないって期待してはいけないと思っていたの。仮の婚約者の責務を果たしているだけだって思い込ませていたの」
「俺はレーネしか愛さないし愛せないよ。だから……たくさん嫉妬もした」
「嫉妬?誰に?」
「レーネの瞳に映るもの全てに。特に他のカップルをうっとりと見ている時。レーネの想像する理想の相手が俺じゃないことがわかってたから。俺がレーネを好きじゃないって思われているのも苦しかった」
「だって、女避けだって」
「うん」
「見目で言い寄ってこなかったから私に婚約を申し込んだって」
「うん」
「だから絶対にニキアスのこと好きになっちゃいけないんだって思っていた。だから親友になりたかったの」
「全部俺が悪い。レーネは何も悪くないんだ」
「ニキアスを好きな気持ちに蓋をしなくていいの?」
「うん、しないで。俺はレーネを愛しているよ。何度でも、レーネが安心できるまで伝えるよ」
いつの間にか溢れ出した涙を優しく微笑みながら拭ってくれる。
「私はどうやってあなたに想いを返せばいいの?」
「ずっと俺の隣にいて。一緒に幸せになろう」
「一緒に?」
ニキアスが優しく微笑みながらレーネの名を呼んだ。
「レーネを愛してる。俺とどうか結婚をしてください」
跪いたまま、ニキアスがレーネの手の甲にキスを落とした。
「はい」
心の底から湧き出る歓喜に震える。
「私もニキアスを愛しているわ」
嬉しそうに顔を輝かせたニキアスがレーネの頬にそっと手を当ててきた。
慣れ親しんだ温かさ、大きさを実感したくて、ニキアスの手に自分の手を添えて頬に押し付けた。
喜びに輝くアイスブルーの瞳がレーネの瞳を絡め取ると、端麗な顔がゆっくりと近付いてくる。
(愛している人から愛されるって奇跡だわ)
瞳を閉じてそっと愛しい人の唇を受け止めた。
Fin
沢山の作品がある中、この作品を読んでくださった皆様に感謝申し上げます。
お付き合いくださりありがとうございました。




