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14 国民食は偉大


市場を出た私達は、一旦食堂まで戻ってきた。

ニキアスは初めて訪れる食堂を興味深そうに眺めている。


アンは突然現れたアレックスとニキアスに驚いていたけれど、ごゆっくりと微笑むとキーデルと共に奥へ戻っていった。

キーデルも私同様、状況に驚いたままだったが、ただならぬ雰囲気は察したようだった。

後で謝りにいこう。



どうしても今すぐにカレーを作りたいとわがままを言って、二人を食堂のテーブルで待たせながら私は厨房でカレーを作り始めた。

ニキアスと顔を合わせるのが気まずくて、逃げるようにカレーの仕込みに入ってしまった私に二人とも文句を言わない。気遣いが更に気まずさを増長させ、未だに二人の前へ顔を出せないでいた。



「姉様」

厨房に入ってきたアレックスをぼんやりと振り返って見つめる。


アレックスはコトコトとカレーを煮込む鍋の前に立っている私の横に並ぶと「いい香りですね」と鍋の中を覗き込んだ。

「うん、食欲がそそられる香りでしょ」

「もう出来上がりですか?」

「もう少し煮込めば出来上がりよ」

目を輝かせて鍋を覗き込んでいるアレックスが可愛くて「味見する?」と尋ねると嬉しそうに頷いた。


それならお米も残っていたから少なめのカレーライスにしようと用意をし始めると、「ニキアス様の分もお願いします」と言われてしまう。

思わず手が止まった私に「この香りが向こうにも届いているんですよ。お姉様の料理をニキアス様も食べたいと思いますよ」とアレックスが無邪気に笑った。


「……いつの間にニキアスと仲良くなったの?」

「三ヶ月程前から親しくやり取りをしてますよ」

三ヶ月前って、私が毒で倒れていた頃ね。

確かにあの時アレックスも王都にいたから、ニキアスと会うことは出来たとは思うけれど。

まさか婚約解消した後まで続く交流を二人が持っているなんてね。


ニキアスと一体何を話せばいいかわからない。この食堂のことも領地で行っている事業のことも全部内緒にしてきた。


私の心の中の不安を読んだかのようにアレックスが「大丈夫ですよ」と笑いかけてくれる。

「ニキアス様は姉様に会いたくてここまで来たのですから」


覚悟を決めて、二人分の料理とお水が入ったコップを盆に載せると食堂のテーブルへと向かった。



ニキアスは憂いを帯びた顔で窓の外を眺めていた。

うん、美青年がそんな顔をすると様になるわね。それにしてもまた少し痩せた?やつれた?

どちらにしても精悍さが増してますます格好良くなったわね。


「お待たせしてごめんなさい」

こちらを向いたニキアスが私の手元の盆を見て、目を丸くしたのがわかった。

「ニキアス様、姉様が作った料理食べたがっていたでしょう。新作の試食をさせてくれるようですよ」

揶揄うように言ったアレックスの言葉にニキアスは表情を緩めた。

「レーネが……。勿論頂くよ」

「姉様、話の前に先に料理を頂いてもいい?」

「え、ええ……そうね。冷めないうちにどうぞ」


二人の前にカレーライスとお水が入ったコップを置くと、レーネも同じ円卓に座った。


さすが育ち盛り。

試食といいつつも、多めの一人前を用意したカレーライスは、あっという間に二人の胃袋へ収まった。


「初めての味だが美味しかった。ピリッとした辛味と香りが堪らないな。この穀物は初めて食べるが美味しいな」

「姉様、僕、今度またこれ食べたい。屋敷の料理人に作り方を教えてくださいね」

二人からの賞賛の言葉を聞いて、ほっとする。

これなら従業員の皆にも喜んでもらえるかしら。


「食べてくれてありがとう。食後のお茶を用意してくるわ」

「僕が用意しますよ。姉様は座っていて」

席を立とうとしたレーネを押し止めるかのように、先にアレックスが立ち上がり食器を厨房へと運んでいった。

何度かここにきているアレックスにとっては勝手知ったる場所だ。

「う……うん、ありがとう」


アレックスが気を利かせてくれたのは、わかっている。

けれど、何から話していいのかわからない。ニキアスとの間に落ちる沈黙がなんだか居心地が悪い。

婚約者の時は沈黙なんて全く気にならなかったのに。


視線をどこに向けていいかわからなくて、膝の上に置いた自分の手をじっと見つめていた。

ニキアスがレーネを見つめる視線を感じて、余計に顔が上げられない。

(アレックス早く戻ってきて)


「元気だった?」

沈黙が辛くて思い切って話しかけてみたけれど、他に言葉が浮かばずにしょうもない質問になってしまった。

「ああ……、レーネは?」

それでも返答がきて、ほっとする。

「ええ、私も」

しまった。一瞬で話が終わった‥…。

ええと……ええと……

頭を必死に回すけれど焦っているからか何も浮かばない。


「……ずっとレーネに会いたかった」

あまりに悲壮な声に思わず顔を上げてニキアスを見つめる。

「ごめん、俺がこんなこと言うのは卑怯だってわかってる。でも、こんなにも長くレーネに会えなくて死ぬかと思った」

ん?なんか、友人に言うセリフじゃない気がするのは気のせい?

婚約者の振りがまだ抜けていないのかな?


「うん、私も会いたかったよ」

それでも、思わず口にしてしまっていた。

「寂しかったよ。ニキアスとのお喋りも恋しかったな」

自分で言って自分で気付く。

そうだ、私は寂しかった。会いたかった。話したかった。

「親友なのに連絡していなくてごめんね」


「……レーネが俺のこと男として見ていないのはわかってるよ」

ため息をついたニキアスが自嘲気味に笑いながらぽつりと呟いた。

「市場で一緒だったあの男はレーネの何?」

「男って……キーデルのこと?ここの食堂を任せているアンの息子で、伯爵家騎士団に在籍しているの。今日は護衛でついてきてくれただけよ」

「……そうか」

ふっと安堵したような顔を浮かべたニキアスへ、考えずに言葉をかけていた。

「学校はどう?ソフィー様とは……ニキアスのことだから上手くいってるわよね……ごめんなさい、私が心配することではなかったわね」


ソフィー様とのことなんで聞いちゃったんだろう……。思い出さないようにしていたけれど、二人が並ぶ姿はずっと心の中に棘のように残っている。

でも、親友だもの。親友の幸せは願わないと。

尋ねながら胸に痛みを覚えたけれど、気づかないふりをする。


顔を上げてみると、ニキアスの顔からすっかり表情が抜け落ちていた。

「え?どうしたの?うまくいっていないの?」


「姉様……ニキアス様を追い詰めないであげて」

厨房からお茶のセットを持ってきたアレックスが苦笑しながら声をかけてきた。


(追い詰める?って、ソフィー様と何かあったのかしら)


「ニキアス様、さ、お茶でも飲んで落ち着きましょう」


「なんだか……アレックスが一番余裕な感じ?」

「ええ、僕が二人の状況を把握しているからですよ」

二人の状況……。なんじゃそりゃ。


アレックスの淹れてくれたお茶は美味しかった。うん、確かに落ち着く。

ハンサムで賢い上に、貴族なのにお茶を淹れてくれる甲斐性のある男性って最高じゃない?

推せる弟を持って本当によかったわ。



「俺は王妃毒殺未遂の調査を命じられているんだ」

お茶のカップをテーブルの上に戻したニキアスが話を始めた。

「レーネが飲んだお茶の葉は、伯爵領の市場でしか取り扱いのないものだった。今日仕入れた情報で、王妃とレーネに毒を飲ませようとした黒幕を表舞台に漸く引き摺り出せる」

力強い目をして、ニキアスは空を睨んだ。


(そっか、ずっと調べていたんだ。だからニキアスがやつれているように見えるのかな)


「レーネ、一緒に王都に戻ってくれないか?」

「私も王都へ?」

「ああ、この件は片をつけるからレーネの身も安全になる。それに、全てが片付いたら今は話せないことも全部話したいから聞いて欲しいんだ」

王都へ行くのはまだ気が重い。

それなのに、ニキアスの縋るような視線に心が揺れてしまう。


アレックスを見ると「僕も一緒に行くから大丈夫」と力強く頷いてくれた。


「……わかったわ」


「ありがとう」

ニキアスが安堵したような柔らかな顔で微笑んだ。


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