10 いつの間にか標的になっていた
今日も王妃に呼ばれて、学校帰りに王宮にやってきた。
あれから何度か招待を頂き、今ではお茶を楽しみながらお喋りする仲にまで進展したことに自分でも驚いている。
「レーネ、来てくれてありがとう。ニキアス様と一緒に来たの?」
「王宮は広くて迷子になるからって。もう道も覚えたのに心配性なんです」
「ふふふ、相変わらず仲が良くて何よりね」
ニキアスが誠実に婚約者としての責務を果たしてくれているから、周りから良好に見えるのだろう。
……いつになったらヒロインが現れるのかしら。
卒業まであと一年。きっともうそろそろよね。
覚悟しておかないと。
(……覚悟?予定していたことだから、何も辛いことじゃないはずなのに)
自分の気持ちに違和感を感じながらも、エイダ様との会話に意識を戻す。
「エイダ様、体温はその後いかがでしょう?」
そう言うと侍女が体温表を見せてくれた。
「毎朝測っていらっしゃって素晴らしいです。このまま頑張って続けてくださいね。表のここを見て下さいますか?ここで体温が高温期と低温期に綺麗に分かれていますね。次に月の障りがある時、この表を元に妊娠しやすい日を具体的に予想できると思います」
「そうなのね!良かったわ。でも、今日はモリーが一日不在なの。また改めてモリーに説明してくれるかしら?」
「もちろんです。モリー様はお出かけですか?」
「詳しいことは判らないのだけれど、ミラー侯爵領で大きな事故があったみたいなの。応援要請を受けて王宮や王都の医師達が手伝いに行っているのよ」
「まぁ……大変ですね」
ミラー侯爵といえば、ソフィーの家だ。
「そうそう、珍しいお茶を頂いたのよ。レーネと一緒に楽しもうと思っていたの。今から侍女に用意させるわね」
大輪の花が咲いたかのような華やかな笑顔でエイダが微笑みかけてくれた。
「ねぇ、レーネ、アバーテ領の図書館に置いてある絵本を王都でも出せないかしら」
女性の体について学んだエイダ様に思うところがあったのだろう。王妃として女性達に何かできることがないか考えていると相談を受けた時に、領地で行っている私の施策を伝えたら興味を持たれたのだ。
何故事業を始めたかの理由は伝えていないけれどね。
七歳の時、物語の様に婚約破棄される未来が有るかもしれないと、居場所作りのために始めた施策だった。
貴族女性のように修道院へ逃げ込めない貧しい領民の為に、離婚したり死別して行く宛のない女性や子供達の民間シェルターをまず作った。そして、食堂やアクセサリー屋、ドレスショップなど、女性が子連れでも働ける場所を作った。仕事中に預かる格安の託児所も作った。
次に、前世の小学校をモデルにして、孤児院や領民の子供達の識字率を上げるために、無償の学校を作った。
お母様に最初提案した時は目を白黒させていらしたのよね。平民の生活向上のための施策はこの世界ではほとんどない。
領地の実務をほぼ請け負っているお母様にプレゼンを何度もして企画を通したのだった。
前世の企画書作りの記憶がこんなところで役に立つなんてね。
図書館を作ろうとしたら子供向けの本が少ないことを知った。それなら作ってしまえと、レーネが覚えている前世の物語をいくつか書き下ろし、絵が上手な絵師に頼んで絵本を作ってもらったのだった。これがまた、予想以上に子供達に好評だった。
眠◯姫やシン○レラのお姫様物語は女の子に、男の子には○太郎や一寸○師をアレンジしたものが人気。
覚えている物語も限界があったのだけれど、続々と絵本作家や小説家が現れて、この世界独自の物語がどんどんと生まれている。
おかげで領地に出版会社も設立できた。推理小説や冒険譚のヒントを渡すと、新進気鋭の作者達から面白いように新作が出てきたので調子に乗って、今度はホラーや怪奇小説なんかも出てこないかとヒントを渡しているところだ。
「ちょうど新作が何冊か出たんです。エイダ様に読んで頂こうと思って持ってきてよかったです」
鞄から絵本と小説を何冊か出して、エイダ様に手渡した。
「まぁ、この本には絵がついているの?」
児童用の本には挿絵を入れてみた。その方が読みやすいし、世界観に入りやすいからね。
「はい、そうなんです。挿絵を入れてみました。あと推理小説もありますよ」
「推理小説?」
「起こった予期せぬ事件を主人公が解決するっていう話です。読み終わっても結末をまだ読んでいない人に伝えてはいけない本なんですよ」
「まぁ、面白そう。いつもありがとう」
「これからも新作が出たらお渡ししますので楽しみになさっていてください」
「嬉しいわ」
エイダ様はかなりの本の虫だった。本を献上するとしっかり読み込んで、次にお会いしたときに熱心に感想を教えてくれる。作者に伝えれば王妃からの言葉に感激しやる気も出るし、出版社側も貴重な意見を頂けて参考になる。他の方とのお茶会でも本を紹介してくださっているらしく、ありがたいの一言に尽きる。
熱心に本を眺めていたエイダ様が気がついたように声をかけてきた。
「冷めてしまうわね。どうぞお飲みになって」
侍女が置いてくれた紅茶からは花の香りが漂い、部屋中にいい香りが広がっている。
「とても良い香りですね。お花が入っているのですか?」
「何種類かのお花が茶葉に入っているんですって。南方から取り寄せたものと聞いたわ」
「まぁ、珍しいお茶をありがとうございます。頂きます」
一口飲むと、花の香りがふわぁと口の中に広がった。
「すごくいい香りですね」
エイダ様へ微笑もうとした時、頭から血の気が引いたかのように目の前が暗くなってきた。
同時に喉に奇妙な違和感を覚える。
(これ、だめなやつだ!)
暗くなっていく景色の中で、エイダもお茶のカップに口をつけようとしているのが見えた。
喉が焼けるように痛くて声が出ない。
咄嗟に体をテーブルの上に乗り出し腕を伸ばして、エイダが持っていたカップを叩き落とした。
目を見開いたエイダがレーネを見て口を動かしている。
火傷はされていませんか?大丈夫ですか?
必死に口を動かしたけれど、目の前が暗くなっていき……そのまま意識を手放した。
「……レーネ!気がついたの?」
懐かしい声が聞こえてくる。
重い瞼を開けてみると見慣れた天井と、泣き顔のお母様が視界に入ってきた。
『お母様……』
呼びかけようとしても声が出ないことに気がついた。声を出そうとすると喉が痛い。
お母様の横で三歳年下のアレックスも泣きそうな顔をしてレーネを覗き込んでいる。
「姉様、喉を痛めてしまってるんです。今は辛いでしょうが声を出さないようにしてください。お薬で治りますから」
なんで領地にいる二人がいるんだろう。
頭の中に靄がかかっているようで、アレックスの言葉に頷くのも精一杯だった。
「お医者様からお薬を貰っているの。暫く安静にして、お薬を飲んでいたら喉の調子は戻るそうよ」
差し出されたコップを見て自分が倒れる前の光景が目に浮かんだ。思わず縋るようにお母様を見る。
「王妃様のところでレーネは倒れてしまったの。飲んだお茶に……毒が入っていたの」
お母様が涙ぐみながら教えてくれる。
「倒れてからずっと目を覚さなくて…でも意識が戻ってよかったわ」
『エイダ様は?』
声が出ないことを忘れて、口を動かしてしまう。
喉を使おうとすると痛みで涙が出てきた。
「王妃様は無事だったわ。口に入れる前にレーネが阻止してくれたって。感謝していらしたわ」
口元を読み取ってくれたお母様が教えてくれる。
(無事でよかった)
安堵したせいか一気に体が重くなってきた。さっき覚醒したはずなのに、また酷い眠気に襲われる。
「姉様、薬を飲んだら休んでください。僕もお母様もそばにいますから」
匙で薬を口元まで運んでくれながらアレックスが優しく囁いた。
薬はドロリと甘かった。
「目を瞑って休んでいいわよ。そばにいるから」
お母様の手がレーネの頭を撫でる。
その手に甘えながら、また眠りに落ちた。
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