63 痛みよりも
内心で歯を食いしばって耐えるエルゼに、隣のグロリアがちらりと視線を送ってくる。
(私が音を上げるのを待っているのかしら)
エルゼに対する妨害工作――その裏にいるのは、おそらくグロリア……そして彼女の後ろ盾であるリグナー公爵家だろう。
グロリアが靴の細工のことを知っているのなら、エルゼがいつ泣き言を言うのかと気にしてもおかしくはない。
だが、エルゼはグロリアに向かってにっこりと微笑んでみせた。
(それでも私、この場に立っていることが嬉しいんです。だから、絶対にリヒャルトと最後まで踊ってみせるわ)
そんな思いを込めて、エルゼは苦痛の欠片も見せずに微笑む。
すると、非常に珍しいことに……グロリアは驚いたように目を見開いたのち、気まずそうにエルゼから視線をそらしてしまったのだ。
グロリアのそんな殊勝な態度を見たのは初めてで、エルゼの方が驚いてしまう。
(何かあったのかしら……)
むしろ何かありすぎるのはエルゼの方なのだが、それでもグロリアの態度が気にかかった。
だがそうこうしているうちにも、刻一刻とエルゼの出番は近づいてくる。
(いよいよリヒャルトと踊れる……! 私、手汗とか大丈夫!?)
この期に及んで、エルゼはそわそわしっぱなしで些細なことが気になってしまう。
だがあわあわしている間に、ついにエルゼの出番が来てしまった。
リヒャルトがこちらに近づいてきて、エルゼはごくりと息をのむ。
(わわっ……!)
間近で見る正装の彼はあまりにまばゆくて、エルゼは自然と頬を紅潮させる。
「行くぞ」
エルゼの方へと手を差し出し、リヒャルトはそっけなくそう告げた。
「はっ、はい!」
ぽぉっとしていたエルゼは慌てて彼の手を取り、足を踏み出した。
だがその途端、足に激痛が走る。
「っ!」
なんとか悲鳴をかみ殺したが、リヒャルトはエルゼの異変に気付いたようで声をかけてきた。
「どうした」
……ほんの一瞬だけ、彼に話してしまおうかと心が揺らいだ。
それだけ、知らず知らずのうちに襲い来る痛みに打ちのめされていたのかもしれない。
だがエルゼは、何事もなかったかのように微笑みを取り繕ってみせた。
「いいえ、参りましょう」
リヒャルトは一瞬だけ訝し気に眉根を寄せたが、すぐに再び足を進める。
エルゼも彼に手を取られ、誇らしい気分でダンスフロアへと歩みを進める。
……痛みはどんどんと強くなっている。
少しでも気を抜けば、悲鳴を上げてうずくまりそうになってしまう。
だがエルゼは内心の苦痛を微塵も表には出さず、表舞台へと登った。
リヒャルトと向かい合い、彼に腰を引き寄せられる。
至近距離で見つめあうような形となり、その途端まるで周囲の存在が消えたような気がした。
まるで、世界に二人だけになったかのように。
目の前のリヒャルトの存在に、惹きつけられてしまうのだ。
彼の美しい瞳が、じっとエルゼを見つめている。
それだけで、エルゼは熱に浮かされたかのように夢見心地になってしまうのだ。
「今日の私、頑張って着飾って来たんですよ」
リヒャルトの性格からすれば、エルゼがぼろを着ていようが豪華なドレスを着ていようが気にしないのはわかっている。
だがエルゼは少しでも気づいてほしくて、小声でそう告げた。
無視されるか、それとも「いつもと変わらない」とそっけない答えが返ってくるか。
エルゼはそう予想していたが、リヒャルトの口から出てきたのは意外な言葉だった。
「知っている」
「え?」
「見ればわかる。当たり前だろう」
(わっ……!)
想定外の答えに、エルゼの頬は熱くなる。
だって、そんなの気にしない人かと思っていたのだ。
今までどんなに美しい花嫁候補が近くにいても、彼が反応を示したことはなかった。
彼が他者の美醜を気にする人間ではないことは明らかだ。
だけど……気づいてくれた。
エルゼが頑張って着飾ってきたことに、彼は気づいてくれたのだ。
(嬉しい……)
自然と頬が緩み、笑みがこぼれる。
そんなエルゼを見て、リヒャルトは驚いたように目を丸くした後……なぜか気まずそうにエルゼから視線を外してしまった。
「リヒャルト殿下?」
「……なんでもない、行くぞ」
「わわっ」
ぐい、と更に腰を引き寄せられ、間近に彼の体温を感じる。
顔を上げれば、じっとこちらを見つめるリヒャルトの瞳に吸い寄せられてしまう。
すぐに音楽が奏で始められ、エルゼはリヒャルトにエスコートされるようにして自然とステップに乗っていた。
……痛い。少しでも気を抜けば体が崩れ落ちてしまいそうな痛みが絶え間なく襲ってくる。
だがそんな痛みを凌駕するほど、エルゼの心は高揚していた。




