55 あなたの側妃に
「今日、エルゼ王女にお会いしましたわ」
妻の言葉に、皇太子アルブレヒトは一瞬動きを止めた。
……わざわざ宣言しなくとも、ヨゼフィーネの元までエルゼを連れて行ったのはアルブレヒト――試験官アーベルなのだ。
ヨゼフィーネとエルゼが会ったことなど当然知っている。
だが彼女があえてもったいぶった言い方をするのは……単なる世間話ではなく真剣な話がしたいのだろう。
アルブレヒトはソファでのんびりとくつろぐヨゼフィーネの向かいの席に腰を下ろし、問いかける。
「それで、君の目から見てエルゼ王女はどうだった?」
「あなたが気に入るのがよくわかりましたわ」
「っ……!」
いきなり笑顔でそう言われ、アルブレヒトは言葉に詰まってしまう。
……確かに、アルブレヒトはエルゼに肩入れしている。
彼女ならば凍り付いたリヒャルトの心を解かし、笑顔を取り戻すことができるのではないかと希望を抱いているのだ。
だが妻の口から「他の女性を気に入っているのですね」と言われると……どうにも動揺せずにはいられなかった。
「きっと彼女なら、リヒャルトに……そしてエルンスタール王宮全体に新しい風を吹き込んでくれるだろう」
「えぇ、そうでしょうね。ですが……」
ヨゼフィーネは一息置いて、真剣な表情で口を開く。
「彼女の純粋さは、他人の悪意によってあっけなく潰されかねません」
「あぁ、実際にルイーゼの誕生祭の場ではあんなことが起こってしまった。私も試験官として潜り込み、できる限りの妨害工作は防いでいるつもりだが……花嫁選考会の構造は特殊だ。皇太子として内部へ切り込むこともできない」
アルブレヒトもアーベルとして、できる限りエルゼを支えているつもりだ。
だが、どうしても花嫁選考という場では彼女自身の力で道を切り開かねばならない場面が多い。
「わたくしたちがどう思おうと、花嫁選考自体は彼女自身の力で勝ち抜いてもらわねばなりません」
「あぁ、厳しい戦いになるかもしれないが……」
エルゼの春風のような自由な振る舞いは、アルブレヒトにとっては好ましく映る。
だが、「エルンスタール皇族の妃」という観点から見ると、いささか奔放すぎると映っても仕方がない。
今のところ彼女はうまく選考で高評価を得ているが、いつそれがひっくり返るともわからないのだ。
「もしもエルゼ王女が、選考から落ちるようなことがあれば……」
「あなたの側妃にして差し上げてはどうかしら」
「!?」
ヨゼフィーネの口から出てきたとんでもない言葉に、アルブレヒトは思わずせき込んでしまった。
「ヨゼフィーネ! 何を……」
「あら、わたくしは本気ですわよ」
ヨゼフィーネは何を考えているのかわからない悠然とした笑みを浮かべ、アルブレヒトを見つめている。
「彼女の存在は、将来的に考えればエルンスタール全体にとって良い影響をもたらすでしょう。ここで潰されてしまうのには惜しい人材です。リヒャルト皇子の妃になっていただくのが最善でしょうが……それが叶わないのならあなたの側妃にするというのも一つの手ですわ」
まるで政策を語るかのように、ヨゼフィーネはつらつらと言葉を並べ立てた。
絶句するアルブレヒトに、ヨゼフィーネはにっこりと笑ってみせる。
「あなたも、彼女のことを気に入っているのでしょう?」
アルブレヒトはすぐに言葉を返すことができなかった。
……ヨゼフィーネの言葉は、まさにその通りだったからだ。
エルゼは、アルブレヒトが今までに出会ったことのないタイプの人物だった。
エルンスタール王宮という陰謀渦巻く魔窟の中でも、決して純粋さを失わない無垢な花。
だからだろうか。
……彼女のことを、守りたいと思うのは。
彼女ならリヒャルトを救えるのではないかと、希望を抱いているのは確かだ。
だがそれ以外にも……アルブレヒト自身が、エルゼという存在に惹かれているのは確かだ。
それがどんな感情に起因するものかは……あえて見ないふりをしていた。
ヨゼフィーネに不満はない。
彼女よりも皇太子妃にふさわしい女性など大陸中探しても存在しないだろう。
だがアルブレヒトにとってのヨゼフィーネは、ある意味妻や恋人というよりも「同志」に近い存在なのだ。
だが、エルゼはそうではない。
彼女を見ていると、つい手助けをしたくなってしまう。
その笑顔に、弾んだ声に、意識を傾けずにはいられない。
黙り込んで視線を逸らしたアルブレヒトに、ヨゼフィーネはくすりと笑う。
だが彼女は、アルブレヒトを糾弾するようなことはしなかった。
「わたくしも、あの方好きですわ」
「えっ?」
「きっと仲良くやれると思いますわ。義理の姉妹としても……あなたの妃同士としても」
まるでこちらをそそのかすかのような言葉に、アルブレヒトは汗ばんだ拳を握る。
精神を落ち着け、大きく息を吐き……アルブレヒトはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……エルゼ王女はリヒャルトの妃になるためにこの国に来たんだ。きっと……二人はうまくいくさ」
アルブレヒトの言葉をどう受け取ったのかはわからない。
ヨゼフィーネはいつもと同じように悠然とした笑みを浮かべ、優しい声を出した。
「えぇ、それが一番ですわ」
その後はいつものように、二人でとりとめのない話をした。
それでも、アルブレヒトはエルゼやリヒャルトのことを頭の片隅で考えずにはいられなかった。
アルブレヒト自身に罪はないとしても、アルブレヒトの存在が皇后である母を凶行に駆り立て、リヒャルトの母親と妹の命を奪ってしまった。
以来、リヒャルトはずっと心を閉ざしたままだ。
歴史の闇に葬られた凄惨な事件は、エルンスタールの皇族に……そして、アルブレヒトの心にも影を落とし続けている。
だがエルゼなら……リヒャルトを救えるかもしれない。
自身の母が奪ってしまった異母弟の平穏を取り戻してくれるような人を、アルブレヒトはずっと待っていた。
だがエルゼが花嫁選考から落ちるようなことがあり、それが叶わないとなったら……どうするのが最善なのだろうか。
どうしても、考えずにはいられないのだ。




