45 血塗られた過去
「あの、リヒャルト殿下」
「なんだ」
「もし、無礼な質問だったり答えたくなかったら無視していただいて構いません。そのうえでお聞きしたいのですが……」
エルゼはすぅっと息を吸い、一息に告げる。
「あの廃教会は、リヒャルト殿下にとってどんな場所なのですか?」
エルゼがそう問いかけた途端、リヒャルトが大きく息をのんだのがわかった。
やはり、あの廃教会はリヒャルトにとって重要な意味を持つ場所なのだ。
しばらくの間、二人の間を沈黙が支配していた。
怒られるかもしれない、もう口を利いてもらえないかもしれない。
そんな後ろ向きの考えが頭を支配し、エルゼは「やっぱり今の質問はなかったことにしてください」と口を開きかけたが――。
「……逆に聞くが」
エルゼよりも先に、沈黙を破ったのはリヒャルトの方だった。
「お前は何故、あの廃教会を掃除しようと思った。あんな場所に行くのは俺とお前くらいしかいない。お前があそこを綺麗にしたところで何の評価にも繋がらないのはわかっているだろう」
「それ、は……」
エルゼは言葉に詰まってしまった。
確かに、あの廃教会を掃除したところで花嫁選考にはまったく影響せず、むしろ時間と労力が取られるだけだと考えるのが普通だろう。
だが――。
「……あなたにとって、大切な場所だと思ったから」
ぽつりとエルゼはそう零す。
エルゼはリヒャルトのことをよく知らない。
彼の過去に何があったのかも、どうしてこんなにも他者を拒絶しているのかも。
だから、少しでも彼に寄り添いたいと思ったのだ。
リヒャルトの大切にしているものを、場所を、エルゼも大切にしたい。
廃教会の掃除に乗り出したのは、その一心だった。
リヒャルトは何も言わない。
呆れられただろうかと、エルゼは不安になったが――。
「あの廃教会は……十年ほど前の火事で焼け、放棄された」
少し硬い声で、リヒャルトはそう口にする。
エルゼは思わず、ごくりと唾をのんだ。
……リヒャルトは語ろうとしてくれている。
彼がどうして、足繁くあの廃教会に通っているのか。
あの場所で、いったい何があったのか。
……彼の深層へと繋がる扉の鍵を、開けようとしているのだ。
本能的にそうわかって、エルゼは体を緊張させる。
「その際に、数人の人間が亡くなった。その中には…………俺の母と妹もいた」
「えっ!?」
エルゼはとっさに背後を振り返りそうになってしまった。
それほどまでに、リヒャルトの話した内容が衝撃的だったのだ。
(リヒャルト殿下の、母と妹……?)
……そういえば、現在の皇后は皇帝の三番目の妻だと聞いている。
第一皇子アルブレヒトの母親、そしてリヒャルトの母親がどうしているのかは、聞いたことがなかった。
まるで禁忌のように、誰もそのことを口にしないからだ。
リヒャルトに異母妹であるルイーゼ皇女以外の妹がいるという話も知らなかった。
……不自然なまでに、そのあたりの事情については伏せられている。
今にして思えば、何か隠したい出来事があったのだろう。
「その日、俺も母と妹と共に礼拝に出向いていた。母は信心深く、日々の礼拝を欠かさなかった。
だが俺はそこまで熱心に神に祈る意味が理解できず、礼拝の途中で飽きて教会を抜け出したんだ」
恐ろしいほどに淡々と、リヒャルトは過去の出来事を語っていく。
……一見冷たく感じられるかもしれない。だがエルゼには痛いほどに伝わってくる。
その声色から、背中越しに伝わる彼の緊張から。
(……リヒャルトにとってあまりに悲しい出来事だったから、今でも受け入れることができていないんだ)
だからこそ、他人事のように語ることしかできない。
彼が冷たいのではない。あまりに悲しみが深すぎるのだ。
リヒャルトは十年ほど前の出来事だと言っていた。
だが彼にとっては、決して過ぎ去った過去の話ではない。
今も彼の中には、深い悲しみと苦しみが渦巻いているのだ。
「結果的に、俺は……俺だけが、一人生き残った。母も、妹も、あの場にいた者は皆燃えてしまった」
「っ……!」
エルゼはぎゅっと唇を噛みしめた。
母が、妹が中にいるのに燃え盛る教会を見て、幼いリヒャルトは何を思ったのだろう。
そう考えただけで、胸が張り裂けそうだった。
「……原因は放火だった。皇帝は執念深く事件の全容を解き明かすように指示し、時間はかかったが首謀者は見つかった。……当時の皇后、第一皇子の母親だ」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまい、エルゼははっと手で口を覆う。
(だってそんなこと、誰も……)
エルゼとて、花嫁候補としてエルンスタールに赴くことが決まってから、エルンスタールの歴史や現在の皇族の状況などをレクチャーされている。
だが、かつての皇后が皇妃と皇女を殺害したなどとは耳にしたこともなかった。
「当時、第一皇子アルブレヒトが体が弱く将来を危ぶまれていた。それで、皇后は焦ったのだろう。皇帝が皇后の息子である第一皇子ではなく、第二皇子である俺を後継者に選ぶのではないかと。だから……俺さえ消せば万事がうまくいくという考えに取りつかれた」
(それって、まさか……)
「皇后が真に殺したかったのは……俺だ。母も妹も、何の罪もなく巻き込まれ命を落としたに過ぎない」
「っ……!」
エルゼは思わずひゅっと息をのんでしまった。
(どうして、そんなひどいことが……!)
この事件に関しては、リヒャルトは何も悪いことをしてしまう。
彼が罪悪感を覚える必要など何一つない。
だが……そう割り切れるわけがないだろう。
皇后のターゲットはリヒャルトだった。
リヒャルトの言う通り、彼の母と妹は巻き込まれたのだ。
そのリヒャルトは、偶然教会の外に出ており難を逃れた。
……一人だけ、生き残ってしまったのだ。
(未来視で見た私みたい……)
城の者や家族の死体を見た時の絶望を、今もエルゼははっきりと思い出すことができる。
エルゼはそんな最悪の未来を回避するためにここへやって来た。
だが、エルゼにとっての「最悪の未来」と同じような出来事を……既にリヒャルトは経験しているのだ。
(どうして、リヒャルトがそんなにひどい目に遭わないといけないの……!)
悲しさとやるせなさがこみ上げてきて、エルゼはぎゅっと指先をきつく握りしめる。
「皇后が皇妃や皇子、皇女の殺害を図ったなど、とんだ醜聞だ。こう見えてエルンスタールはそこまで治安が安定していない。このことが外部に知られれば国が揺らぐと考えた皇帝は、事件自体を隠ぺいしようと考えた」
「そんな……!」
「皇妃と皇女が亡くなったのは不幸な事故であると発表し、皇后や心を病み公務に差支えがあるので廃位、療養と称した幽閉を行った。現在の皇后は、事件の後に他国から嫁いできたある意味部外者だ。当然、その娘であるルイーゼは何も知らないだろうな」
「っ……!」
エルゼは何故、リヒャルトがルイーゼ皇女から距離を置いているのかわかってしまった。
自身を狙った暗殺計画に巻き込まれ、命を落とした幼い妹。
まだ事件のことを割り切れていないリヒャルトからすれば、ルイーゼ皇女を見れば彼女のことを考えずにはいられないのだろう。
第一皇子に対してもそうだ。
彼は何も悪くないとしても、彼の存在が事件の引き金となったことを考えれば、複雑な思いを抱かずにはいられないだろう。
(だからリヒャルトは、ずっと他人を拒絶して、一人で……)
どれだけつらい思いをしたことだろう。
母と妹が亡くなった事件の真相を語ることもできず、まるで何事もなかったかのように振舞う周囲を見て幼い彼は何を思ったのだろう。
つらいのはリヒャルトなのに、エルゼの方が泣き出したい気分だった。




