不審な陽光
“死神”ギュスターヴ視点
「モナルク、ここで良い」
レゴールの貴族街に入り、伯爵邸前で停まる。
私の愛馬モナルクは大きな鼻息を噴き出し、億劫そうに首を下げた。
選りすぐりの軍馬とはいえ少し酷使しすぎたか。
必要だったとはいえ、完全装備の私を乗せての長駆けは少々無茶だったかもしれない。
「今回は随分働かせたな。伯爵様のところの厩舎でゆっくり休んでいなさい」
「ブルルッ」
「痩せ我慢をするなよ……休んでおけ。いいな?」
モナルクの顔を撫でてやり、伯爵邸へと入ってゆく。
既にレゴール伯爵は私を出迎える準備を整えているらしい。
……うん、なんともしっかりした家来に守られている屋敷だ。ただの召使いに見える者も精力的で、そこらの平城に詰める兵士よりも統率が取れている。
今のレゴール伯爵……ウィレム・ブラン・レゴールは善政を敷いていることで有名だ。領地の発展ぶりはハルペリア国内でも随一だろう。
私の訪問も無下に返されるとは思えないが……さて、しかし話し合う場ができたとして、こちらの話を聞いてもらえるだろうか。あまり気は進まないが……
「やあ、どうも。申し訳ないね、こちらも仕事中で。書類仕事をやりながらで構わないかな? 話はちゃんと聞くから」
「いえ……」
レゴール伯爵との面会は即座に通った。何分も待たされることもなかったのにはさすがに驚いた。普通貴族という生き物は手隙でもある程度は勿体ぶるものだが。率直な話ができるのはありがたい。
「まぁ、そちらに掛けて。ああそうだ、うちのアーマルコにお茶を用意させよう。お茶菓子も」
「いえ……私は人より飲食物を受け取ってはならない身なので」
「おっとそうだった。すまないね」
私が想像していたよりもずっと背の低い伯爵は、執務机で仕事しながら私と面会してくれた。その態度は忙しそうではあっても、こちらをぞんざいに扱おうという気配はない。
「“月下の死神”直々の訪問を突き返すわけにはいかないからねぇ……何か余程の話があるんだろう? 嫌だなぁ……絶対にいい話じゃないでしょそれ」
「……ウィレム・ブラン・レゴール伯爵。まさに悪い知らせです。良い知らせと悪い知らせをお届けにあがりました」
「良い知らせもあるんだ。ああ良かった。じゃあそっちから聞こうかな」
「今年も“シュトルーベの亡霊”が出ました」
「……」
伯爵のペンの動きが止まる。
「いつもの場所かな」
「はい。例年同様、旧シュトルーベ近郊です。サングレール聖王国軍が建設していたと思われる砦が破壊されたようです。向こうが出していた斥候を捕らえ、聞き出しました」
「破壊された砦の規模は? 具体的な場所は?」
「シュトルーベ近郊、プラージュ川の向こう側です。完全にサングレール領ですね」
「……確かそこは渓流だったね。向こう側の砦が壊された……ふむ。すごいな」
さすが伯爵。あんな辺鄙な場所をよくご存知だ。
「破壊された砦は……私が直に確認してきました。作りかけなので正確な規模は不明ですが、基底部のサイズや散乱した石材の量から推測するに、高さ6mほどにはなっていたかと」
「それなりのものを作ろうとはしてたわけだ……」
「石材の過半数は砕かれ、残されていた戦略物資も全て焼かれていました。現場には近づけなかったので、夜間に山間部から“梟の目”で確認した情報になります」
「それは、ご苦労だったね。そうか、シュトルーベの亡霊が今年も……」
シュトルーベの亡霊。
それはかつて開拓地であった国境の廃村、シュトルーベに現れる正体不明の何かだ。
人か魔物かはわからない。
ただ、十年以上前から毎年夏になると決まってシュトルーベ付近に現れ、サングレールの軍事施設を攻撃する化け物なのだと、捕虜になった敵兵は語っている。
姿形も不鮮明だ。
人型だったとか、棘だらけだったとか、鋭い鎖を尻尾のように波打たせていたとか……人によって異なる異形を証言する。
攻撃方法もよくわからない。
何せ証言者の生き残りが少ない。シュトルーベの亡霊は執拗に軍事施設や軍人を襲い、長年に渡りサングレールを苦しめてきたのは確かなのだが。それが徹底しているせいか、攻撃方法を知る生き残りは少ないようだった。
我々“月下の死神”の先代ですらその情報をはっきりとは掴めずにいる。
噂によれば、邪悪な炎を吹くだとか、死者の魂を使うだとか、あらゆるものが穢されるだとか……要領を得ない。
シュトルーベで命を落とした誰かの無念が突き動かすアンデッド……などと仮定されてはいるが。そのような種のアンデッドは聞いたこともない。今のところ、考えても無駄な謎多き存在だ。
「しかし良かった。シュトルーベの亡霊が出たのなら、今年も東側の圧力は弱そうだね」
「はい。向こうの軍も相当に萎縮しているようです。……建設途中の砦も無人だったあたり、東部侵攻には及び腰でしょう。問題は……」
「南か」
「まさに。それが悪い知らせになります」
サングレールの食糧事情は逼迫している。
教義によって清貧を掲げていなければ向こうの人々はどれほどが飢えるだろう。
山地、丘陵地ばかりのサングレールではろくに穀物が育たない。彼らの食事はもっぱら救荒作物だ。
だから、彼らは奪いにくる。豊かな鉄を武器に変え、ハルペリアの肥沃な土地を切り取ろうと常に目論んでいるのだ。
数十年前までは東、エルミート男爵領側からの侵攻が多かったが、ここ最近ではシュトルーベを迂回し南側から攻め込むことが多くなっている。おかげでベイスンは近年、砦が増えてすっかり物々しくなってしまった。……まぁ、元々あの土地にも軍事拠点が必要だという話は盛んに叫ばれていたのだが。
「スレイブバットの知らせがあり、南の国境付近で軍需物資の動きありとのことです」
「今秋かな」
「規模は不明ですが、おそらく。収穫前か、収穫後か……向こうのヒマワリが収穫され次第、攻めて来るものかと。もちろん、こちらの杞憂であればそれで良いのですが。念のためにベイスン方面に兵を配置させていただきたく」
「……嫌だなぁ……うう……」
伯爵はテーブルの上の焼き菓子を齧り、情けない声で唸った。
「……うん。せっかく我が国が掴んだ情報なのだから、こちらの動きで迎撃規模を悟らせるわけにはいかないね。軍やギルドへの通達はギリギリまで控えておこう。その上で、準備は整えておくよ」
「それがよろしいかと。それと、レゴールからの動員ですが」
「レゴール軍を出そう。ギルドにも掛け合うよ。規定通り、シルバー以上のギルドマンを動かす事になると思う。ブロンズは兵站や諸々だね」
「ありがとうございます。早速書面にて確約をいただけますか」
「ああ、わかったよ。……ベイスン側のどこにいくつの部隊を送るかはまだ未定だけど」
「追って国軍より使者が来ます。それに従ってもらえれば。つまり、いつも通りです」
「私のやることは兵糧や軍需物資の確保だけか。楽でいいや。兵を戦地に送らなければならないのは複雑だけど」
……レゴール伯爵の手腕は凄まじい。以前も国境で小さな小競り合いがあった時は迅速に派兵していただけた。
当時はまだレゴールの収穫量は突出していなかったが、それでも他の領地と比べて補給の管理が上手かった。
伯爵として素晴らしい才をお持ちだ。軍にも彼のような方がいればよかったのだが。
「はぁ……今年も街の開発に全力を投入したかったのだが……嫌だなぁ……」
「申し訳ございません。レゴールは今が大切な時期であることは、我々も存じております」
「仕方ないよ、君たちは悪くない。“月下の死神”は常によく働いてくれているよ」
「……伯爵にそう言っていただければ、我々の仲間も浮かばれるでしょう」
なるほど。レゴール伯爵が立場の低い召使いたちにも慕われる理由がわかった気がする。
穏やかで、優しい方なのだな。……やはり王都に流れている噂などアテにならない。一体どこの誰が悪評を流しているのだか……。
「ああ、そうだ。君の名前を聞き忘れていたね。えーと、なんといったかな」
「申し遅れました。私の名はギュスターヴと申します」
「ギュスターヴ。これは貴方が受けた命令に反していなければ聞いてほしいのだが」
「はい」
「できればこの街で“ケイオス卿”を探るのは控えてもらえるかな?」
む。
「それは、どういった理由からで?」
「なんとなくだね」
「……なんとなく」
伯爵は探るような目で私を見つめている。こちらとしては、逆に彼の顔色から考えを読み取りたいのだが……どうにも探らせないだけの“壁”を作っているようだった。
……仕方ない。どうせそちらは“ついで”の仕事だ。成果を持ち帰らなくとも構わない雑用に近い。
個人的にもレゴール伯爵の機嫌は損ねたくないしな。
「わかりました。私はこのレゴールにてケイオス卿を探ることは致しません。鎌に誓いましょう」
「そうか、ありがとう。そうしてもらえると嬉しいよ」
ふむ。気になる部分は色々とあるが……今はこれでいい。
秋に出兵の予約を取り付ける事ができただけでも十分だ。
緊急時にレゴールの兵やギルドマンを動員できれば、ベイスン方面もエルミート方面も柔軟に防御できる。物資の集積地としても理想的だ。
……最善を言えば、それはサングレール側が攻めてこないことではあるのだが……。相手の大人しさを祈るだけでは奪われるばかりだ。我々にそのような愚は許されない。
備えるだけは備えねばならん。多少過剰であろうとも。




