悪意の蝶
レゴールの周辺に存在する魔物紹介のコーナー。
まず殿堂入り級のレギュラー、クレイジーボア。
つまりイノシシだ。家畜化するとブタになるあいつらである。
普段は畜産業やってる人らが管理しているのだが、たまーに凶暴なやつが想定以上の力で檻やら柵やらを飛び出し、野生に帰ってしまう事がある。こいつらがクレイジーボアと呼ばれていて、まぁ前世で言うところのイノシシに近いやつらかな。
俺は前世のイノシシと戦ったこと無いからわからんけど、だいたい同じくらいの戦闘能力は持っていると思う。ただこっちのクレイジーボアの方が明らかに人間を憎んでいるような殺意高い動きをするもんで、そういう意味じゃ多分もっと厄介かな。
次点が森の殺し屋、チャージディア。
つまり鹿。ただの鹿と違うのは角が真っ直ぐ頭突きする方向に伸びていて、チャージディア自身もそれを武器に突っ込んでくるってところだ。前世の日本にいた鹿のように人を怖がって逃げたりはしない。草食のくせにな。
とにかく殺傷力ある角が厄介で、年に何人も人が殺されている。ギルドマンですらそうだ。攻撃方法と体重を考えれば騎兵突撃とほとんど変わらないからな。大規模な群れで行動してないのが唯一の救いといったところだろう。
そしてクソ厄介なのが……イビルフライ。
こいつは上の二体ほど遭遇する確率は高くないんだが、遭遇した時が最悪の相手だ。
イビルフライは大きな蝶の魔物で、その翼長は1mにも達する。翅は銀色だが、光の当たる角度によって黒くなったり紫になったりするらしい。
バロアの森に咲く大輪の花の蜜を吸うため、春から夏にかけて遭遇することがある。
イビルフライは別に、風魔法でかまいたちを生み出して切り刻むとか、エアスラッシュで素早く攻撃したりするわけではない。
ただこいつがばらまく鱗粉には特殊な毒が込められていて、そいつを吸った時が厄介だ。
その効果は……鱗粉を吸った者の、時間差での記憶喪失。
吸った量にもよるが、鱗粉攻撃を受けた者はその何秒か何十秒後かに、一定時間の記憶を失ってしまう。数分だったり、数時間だったり……。
大したことのない効果に思えるが……案外これが、人間には致命的だったりする。
「同士討ちだってよ」
「イビルフライの鱗粉が服についてたって話だ。新人パーティーだからな……ついてない奴らだ」
その日、俺は小物の討伐を終えた後、解体所で証書を受け取るまでの間ずっと解体のおっさんと駄弁っていた。
そんな時にやってきたのが、大怪我した若い男女と、動揺する男。そしてその付き添いでやってきた熟練パーティーだった。
「……イビルフライが出たか。春の小物狩りもそろそろおしまいだな」
蝶の魔物はこれといって解体すべき部位もない。討伐証明は柔らかな複眼だけだ。
解体屋としてみれば特徴的な複眼を鑑定するだけの魔物でしかないが、イビルフライの悪名は街にも広く知れ渡っている。
「しっかり抑えておけ。血が溢れる。気をしっかり持つんだ」
「死にはしないから安心しろ。運がいいな……腕は……動くようになるかわからんが……」
イビルフライの鱗粉は人の記憶を時間差で消す。
例えば、吸ってから……一分後に、“それまでの一時間の記憶を消す”といった具合に。
それだけ聞くと怖くないように感じるかもしれない。
ただちょっとした記憶の欠落が起きるだけ。それだけだとな。
イビルフライ自体には戦闘力はないし、記憶の欠損を起こすのもただ奴が逃げるための時間稼ぎみたいなものだ。それ自体には殺傷力はない。
だから鱗粉を受けた者を殺すのは、魔物ではない。
その近くにいる、人が秘める悪意だ。
「ち、違う。俺はやってない。そんな恐ろしいこと……!」
「……駄目だ。当事者なんだろうが。一応お前も拘束する。……運が良かったのかわからんがな」
「信じてくれよ! 俺は何も覚えてないし……! 近くにいた魔物がやったんだ!」
「……それは、調べを受けてからだな」
犠牲になったパーティーは男二人と女一人。パーティー名はなんだったかな……“友情の”……駄目だ、思い出せねえや。
「病人はこっち、お前は……詰め所で待ってろ」
「頼むよ、俺じゃないって……!」
新人たちはそれぞれ別の場所へ送られた。
……イビルフライで何かあった時の、よくある光景だ。それでもまだあいつらは死人が出てない分運が良い。
「悪意の蝶、イビルフライ。……仲間割れする連中を見ると毎度醜いもんだと思うが……哀れだな」
ギルドマンでない解体人にとっては、そうだろう。実感も薄いだろうな。そういうもんだ。なにせ巻き込まれた当人たちだって記憶は定かでないんだから。
イビルフライは人の悪意を暴き出す蝶だ。
悪名高いもんだから、ギルドマンなら誰でも知ってる蝶でもある。
だからこそこの蝶と出会った時、人は心の底に眠らせていた悪意を呼び覚ましてしまう。
パーティー内で邪魔だった奴を消したい。
こいつから恋人を奪いたい。
パーティー内の女を犯したい。
あいつの武器が欲しい。
金が欲しい。
理由は色々あると思う。イビルフライは、そんな悪意を赦す魔物だ。
一定時間後に記憶は消える。つまり怪我も殺人も全て忘れ去ってしまう。それを利用し、どうにかして“気に入らなかった”仲間の一人を殺そうとする奴が現れる。
俺はソロだからピンとこない。こないが……こういう事件は、悲しいくらい多い。
だから多くのパーティーにとっては、そういうものなんだろう。
潜在的な悪人にとっては、邪魔者を消す絶好のチャンスの到来。それがイビルフライという魔物が空を舞う季節なんだ。
「さて、と」
「何だモングレル、行くのか」
「いや、バロアの森に戻る」
「……イビルフライか?」
「ああ。討伐してくる。この時間に出立したっていう証人になってくれるかい? どうせギルドで討伐が組まれるんだ。一足先に向かって生き残りの蝶がいれば始末してくる。俺なら一人だから万が一もないしな」
「そりゃあ、問題ないが……」
「ギルドへの報告は頼んだぜ。あっちのパーティーに言伝を頼んどいてくれ」
俺は解体所を後にし、すぐに門を出た。
イビルフライは最悪の魔物だ。奴らは誰の心にもある些細な悪意を増幅し凶行へと走らせるだけの魔力を持っている。
その魔力の強さに、ギルドマンとしての年季は関係ない。熟練のパーティーですら多少の不和が火種で崩壊することがあるからな。
試されるのはパーティー内の真なる絆だけ。そしてその絆とやらはなかなか証明できるものではない。
解決法は単純だ。そもそもの元凶であるイビルフライを根こそぎ殺してやる。それに尽きる。
「ただの虫が調子に乗りやがって。去年も念入りに駆除したつもりだったが、絶滅はしなかったか」
懐に忍ばせた薄い羊皮紙に、インクで文字を書き記す。
“俺は5の鐘に東門を出てクソッタレなイビルフライをぶっ殺しにきた”。
運悪く鱗粉を吸えば記憶が飛ぶ、その対策として有効なのはメモを取ることだ。行動を細かくメモして記録。万が一の記憶喪失に備えておく。そうすれば混乱することも少ないからな。
「蝶殺しは俺が適任だ」
俺は身体強化で言えばこの街の誰よりも強い。
そしていざ鱗粉を受けたとしても誰も殺さない自信があるし、誰にも殺されない自信がある。
さあ、人目につかない限り全力で討伐してやるぞ。
イビルフライちゃんをザクザクしてあげましょうねぇー。
「ハッ!?」
気付いたら俺は森の出口に立っていた。空は夕暮れ。身体は……葉っぱや種がついてたり、袖には銀色の鱗粉もついている。
気がついたら全て終わってたでござる。
まぁイビルフライって毎回こうなんだよな……こればっかりは仕方ない。鱗粉を浴びたら記憶を失う。俺も例外じゃねえんだ。布マスクも効かないからどうしたもんか……。
とはいえ、達成感は全く無いけど徒労感も少ないからイーブンってことで……。
「多分そこそこ殺したんだと思うけど、どうなんだろうな。リザルト見ておくか……」
俺は懐から羊皮紙のメモを取り出し、記憶を失う前の成果を確認してみることにした。
“イビルフライ討伐数 正正正T”
“ギフト使用1 効率が良かった、ごめんちゃい”
「……お、お前なぁー……いや俺だけど、こんなあっさい場所でギフト使うなよぉー……スコアすげぇけどもー……」
討伐数17ってすげえな。そんなにいたのかよ。
しかも効率が良かったっておま……これ相当一箇所に固まってたやつじゃねえのか。想像するだけで気色悪い光景だな……。
あーでもそうか。そういう場面だと一気に殲滅しないと無限に鱗粉浴び続けて詰むこともあるのか。それを避けるためにギフトとスキルで一気に決めにいったってところか……。
……大丈夫? コンフリクトやりっぱなしとかない? 装備全部ある?
……ふむ、装備ロストは問題無いと。ならヨシ!
「ご安全に!」
俺はポケットの中に入っていた一匹分の蝶の複眼を握りしめ、レゴールへと帰ってゆくのだった。
時間が飛んだせいか腹減ったわ。




