ボトルの一口目
俺は、俺の人生における主人公だ。
そして俺は難聴系主人公ではない。
“ん? ライナ、今なにか言ったか?”みたいな返しはできないし、やりたくもない。
ライナは今、顔を真っ赤にしながらも、自分の言葉を翻すことなく俺の顔を見ている。
“好き”は勢いで出た言葉かもしれない。だが、それを無かったことにしたいわけではないのだ。
真正面からの告白だ。俺はこれに、真正面から答える義務がある。
「あー……」
ある。義務はあるけども。
あるけど、やっぱすっげぇ答えに窮する……!
「……随分と急で驚いたぜ」
「うっ……は、はい」
俺は、告白されるとかなり心が揺れるタイプだ。地震が起きた時の高層ビルの上くらい揺れる。
俺は前世で三人の子と付き合っていた経験がある。三人ともちょっと……結構変な子だったし、仲良くなっても気の合う友人くらいの距離感で付き合っていたのだが、それでも向こうから好意をぶつけられると、一気に心が傾いてしまうのだ。
そんなだから付き合ってから長続きしねえんだよと言われると何も言い返せない。だがとにかく、俺がこの手の告白に弱いのは自分でもどうしようもない性質なのである。
そして、前世で付き合っていた難有り部分の多い子たちと比べ、今目の前にいるライナはというと。
確かに背丈はかなりちみっこいし、相応に童顔だし、俺よりも一回り以上歳が離れている。
性格も結構子供っぽいところがあるし、俺とライナの関係は叔父と姪に近いものがある。
そんなライナからでも、まっすぐに告白されると心が揺れる!
何故なら、ライナは素直で良い奴で可愛いからだ!
性格が良くて可愛い子から告白されると普通に弱いんだ!
「急だが……ライナの気持ちは伝わったぜ。言い間違いじゃないんだろ」
「……うっス。言い間違いなんかじゃないっス」
「そうだな。……そこまで真っ直ぐに想いを伝えられたら、俺も茶化したりすっとぼけたりはできねえよな。ライナに、ちゃんとした返事をしてやらないといけない」
「……べ、別に、モングレル先輩からの返事は……あの、私がモングレル先輩のこと、好きってことを伝えたかっただけなんで……!」
そこでお前が日和るのか……それは告白が玉砕した後に片思いの継続を宣言する時に使うセリフだぞ、ライナ。
「いいや。俺からの返事は聞いてもらうぜ、ライナ」
「うっ……は、はい」
ライナが居住まいを正した。
「……俺もお前が好きだ」
「っ!」
「好きだけど、」
「スっ、スススっ、スススススっ」
「いや聞いて聞いて」
「は、はいっ!」
「好きだけどな。好きだけどね?」
「え……嫌いなんスか」
「そうじゃなくてね。聞いてね」
「はい……」
一気にテンションが爆上がりしたり、冷え込んだりと忙しい奴だ。
いや俺の答え方も悪いとは思うけどよ。
「……まぁ、あれだ。ライナとの付き合いも長いしな。よく俺の遊びに付き合ってくれるし、一緒に旅行に出かけたりもする仲になったよな。お互いに気も合うこともわかってるし、なんだ。飯とか酒の趣味も合うから、一緒にいて楽しいよ。好きにもなるさ」
「……っス。私もめっちゃ楽しいっス。大好きっス」
「ライナもそう思ってくれたなら、俺も嬉しい。……それに、バロアの森でたまに狩りなんかする時は、ライナは上手く鳥を獲ってくれるしな」
「そこ重要っスか……」
「重要だろ。剣じゃ鳥はなかなか仕留めらんねえんだ」
「……えへへ。私も、モングレル先輩が剣で大きな獲物を相手してくれるから、一緒に森を歩けるんスよ」
「お互い様だったか」
「っスね」
赤い顔で笑うライナが、既に一割増しで可愛く見える。俺は弱い。
まあ、そうだ。俺はライナのことは女としても普通に魅力的に思っている。
俺がこれまで付き合ってきた女の子と比べたら失礼なレベルで良い子だよ。いや、比べること自体が失礼でもあるが。
「……最初にバロアの森で先輩に会って、助けてもらって。ギルドマンとして食べていけるようになって……“アルテミス”に拾ってもらって。モングレル先輩と会ってなかったら、今の私はなかったっス」
「あのライナがこんなに立派になるとはな」
「……私も成長したんスよ?」
「だよな。わかるよ」
一緒にいる時間が長いから変化に鈍くなっていたが、まじまじとライナを見るとその成長はよくわかる。
体型はまぁ……体型だけじゃないからな、人は。
ライナは大人になったよ。立派なレディだ。
「けどな、ライナ。俺はライナの人生を背負えるほどできた人間じゃないんだ」
「……そんなことなくないスか」
「これはライナだから言うんだが……あ、これ二人だけの秘密な?」
「え、あ、はい」
「はっきり言って俺は、公にバレたらヤバい感じの秘密を三つ……か四つくらい抱えてるんだ」
「……犯罪とかっスか?」
「あー、犯罪に片足突っ込んでる感じのものもあるな。貴族とかにバレるとヤバいネタが結構ある」
俺の秘密主義は周りの人間も気づいているし、俺自身も秘密主義な人間であることをさほど隠してもいない。だが、俺の方からこうして厄ネタを度合いをぼかしてでも人に話すのは初めてだった。
「……それって、モングレル先輩から見てどうなんスか。私が知ったら幻滅しそうなネタなんスか」
「んー」
「モングレル先輩って、凶悪犯罪とか……本当にワルワルなことするような人じゃないっスよね」
「まあそうだな。多分俺が事情を正直に話しても、ライナは別に軽蔑したりはしないんじゃねえかな。後悔しているわけでも、間違っていると思ってるわけでもないことだ」
「じゃあ気にしないっスよ」
「……えらく簡単に信用してくれるじゃねえの」
「当たり前じゃないスか。モングレル先輩は……私が世界で一番信用してる人っスから」
「俺が世界で一番強いギルドマンってこともか?」
「っスっス」
「いやお前それ信用してない返し方だろ」
「えへへ……」
モングレル検定二級ってとこだなお前は。
「……けど、危ない事情を抱えてるってのは事実だ。下手にライナが知ってしまったら、そういう危ない目に遭うかもしれない。俺は、俺の大切な人をそういうことに巻き込みたくないんだよ」
「……」
「だから俺の抱えてる深い事情は、ライナには話せない」
「話せなくても良いっス」
「いや話せなくてもって、お前ね……」
「モングレル先輩が色々と秘密を抱えてるのは、今に始まったことじゃないスよ。前々から、何かあるんだろうなぁっていうのはわかってるっス」
俺が壁を作ろうとしてることくらいわかるだろうに、ライナはそれでもまっすぐに俺と向き合っている。
「私にそういうことは話さなくても別に良いんスよ。危ない話だと思うなら、秘密のままで大丈夫っス。私はどんなモングレル先輩でも大好きっスから。だから、秘密ばっかりの今のモングレル先輩と一緒でも平気っス」
「……それで済む問題ばかりでもないんだけどな……」
「むぅ……ちゃんとした返事をしてくれるって言ったじゃないスか」
「おっしゃる通りで……」
そうだな。ちゃんと返事するっつったくせにこれだもんな。これは俺が悪いわ。
いやでも、本気だからこそ本当に答えに困ってるんだよ俺は……。
……そうか。秘密だらけの俺でも良いのか。
そういうのって誠意に欠ける気もするんだけどな。
「あっ……で、でもひょっとしてアレっスか。既にもう結婚してたり、子供がいたりするんスか……!? そういうやつっスか……!?」
「いやいや、そういうやつではない」
「……もう既に心に決めた相手がいるとか」
「そういうのでもない」
「じゃあ大丈夫っスね」
「ここぞとばかりにグイグイくるな……」
「……男の人にはそうした方がいいって、ウルリカ先輩が言ってたっスから……」
先輩のアドバイスを聞くのはいいけど、そいつ男だろ……いや、男だからこそ正しいアドバイスなのか?
「……俺の前髪は白いだろ。半分サングレール人の血が入ってる。ライナにはピンと来ないかもしれないが、サングレール混じりの人間と一緒になるっていうのは風当たりが強いんだぜ」
「気にしないっス。モングレル先輩がなんとかするんで」
「金もねえし」
「私も仕事やってるし、その気になればモングレル先輩はめっちゃ稼いでくれるっス」
「……ことごとく俺を頼りにしてくれるのは信頼の証だろうから嬉しいけどな。ここまで言ってもまだ、片付いてくれないことにはどうしても踏み出せない事情があるんだよ、俺には」
ハルペリアとサングレール。
二つの国の険悪な関係。これがどうにか落ち着いてくれない限りは……俺は誰かと一緒になるなんてことはできない。
何故なら俺は、故郷を守らなければならないから。
シュトルーベを守り続ける亡霊だから。
サングレールがあの土地に踏み入る限り、俺は何度でも亡霊となって、それを跳ね返すだろう。
……それとも、もう終わりにすべきなのか。
誰も住んでいないあの廃村を守り続けることをやめて、俺自身の未来に目を向けてもいいのか。
別に、許す許されないは気にしていない。
俺の復讐は好きでやっていることだ。今更それを後悔はしていないし、正しいと思ってやり続けている。
問題は、大切な人をそれに巻き込みたくないってことだ。
感傷的になってるわけじゃない。単純に巻き込んだらヤバいから困るってだけ。
あのシュトルーベの亡霊やってるモングレルってやつの奥さん、ライナっていうんだってよ。
そんな話が出回るだけでライナの命が危険に晒される。それはまずい。
「……クソみたいな返し方になるが……俺の秘密の事情が落ち着くまではちょっと待ってくれないか」
「……」
「つっても、どれくらいかかるかもわかんねぇ。俺も既に良い歳だしな……だったら、ライナは他のもっと真っ当な男と付き合ったほうが良い」
「モングレル先輩、そっちの言い方のがクソっス」
「悪かった。すまん、今のは俺が悪いな」
「……でも先輩は、私のことを大切に思ってくれてるんスねぇ……」
そう呟くライナは、上機嫌そうだった。
「私のことを本気で考えてくれてるから、そう言ってくれてるんスよね」
「……ああ、そうだよ」
「うれしいっスよ。私を巻き込まないためにそんなに本気になってくれて。……やっぱり私は、モングレル先輩のことが好きっス。だから……待てるっスよ。何ヶ月でも、何年でも」
「……ライナが良い女すぎて俺は自分で自分を殴りたくなってくるよ」
「えへへ」
真面目で素直で健気。良い女だ。どうしてこんな三十過ぎの厄ネタおじさんなんかを好きになっちまったんだ。
それを断りきれずに保留にしてしまう俺の甘えた性根にも参るぜ。
「じゃあ、あれっスね。モングレル先輩の秘密の厄介事が解決するまでは、恋人にも……お、お嫁さんにもなれないっスから。……お互いに好きなのも、周りには内緒にしてないとまずいっスね」
「……本気で待つ気か?」
「本気っス」
「……完敗だ」
そこまで言われたら根負けだ。俺は本当に弱い……。
孤独なこの世界に生まれて育って生きてきて……そこまで言ってくれるような子に出会えたら。
俺は、どうしようもなく弱い人間だわ……。
「……ライナは良い女だが……秘密を抱えたままの怪しいおっさんを好きになるなんて、人を見る目だけはないよな」
「モングレル先輩はそれだけのおっさんじゃないから、見る目のある女っスよ」
「はは……こいつめ」
俺はライナの頭をガシガシと強めに撫でて、少しだけ俺の方へと引き寄せた。
「いつか、ライナに“結婚してくれ”って言っても良いか?」
「! ……いつでもいいっス。だから先に、“はい”って言っておくっス!」
……困ったな。
また、失ったら辛くなるものが増えてしまった。
「……それまでは、お互いにこのことは秘密にしよう」
「はい! ……えへへ、なんか二人の秘密って感じで……すごく、嬉しいな……」
「正直……ちょっとわかるわ」
こうして、俺とライナの関係が大きく変化した。
俺の秘密を秘密のままで良いと言ってくれて。その秘密がどうにかなるまでという、ライナからはまるで見えない答えの先送りをして。それでもライナは俺が良いと言ってくれた。
俺はそんなライナのために、他の部分では限りなく誠実にならなければならないだろう。
万が一、ライナを巻き込まないためにも二人の関係は秘密にしなければならない。
「……あのぉ、その……こういう時って」
「ん?」
ライナは恥ずかしそうに身を捩っていた。
「……き、キスとか……した方が良いんスかね……? するもんなんスかね……?」
「いや、それは駄目だな」
「だっ、駄目……なんスか」
「駄目だな。俺の抑えが完全にきかなくなるから。本当に駄目だぞ」
「……えへへ。じゃあ、それはまた今度が良いっスね」
俺は……あまりにも弱い……。




