旅を始めた曲
「――以上、ツドラッシュとマンダッシュによる演奏でした。……あーええと、我々は普段はお披露目通りの糸屋前で演奏しています! 良ければ、また聞きに来てください! よろしく!」
「演奏の依頼も募集中だよ! よろしく! 精霊祭を楽しんで!」
ステージ上で声を張る二人の奏者が最後に大きく手を振って、舞台袖に捌けた。
赤色と桃色の髪だったし、多分アマルテア連合国出身の人達なんだろう。さっきの賑やかで楽しい演奏も、ハルペリアではない音楽って感じがしたからな。何より観客のウケが良かった。ハルペリア音楽はああはならない。悲しいことだが……。
「いやー面白い楽器だったわね、あの楽器」
「太鼓の周りに小さい太鼓をたくさん付けてたね。見たことない楽器が色々出てきて目が回るよ」
「音楽を聞きながらの酒は美味い」
「あっ、こいつ酒持ち込んでやがる。ダメだって入口に書いてあったぞ」
「禁止なのは飯じゃなかったか?」
「はははは」
……観客の数もじわじわと増えてきた。時間帯のおかげもあるかもしれないが、歩き疲れた連中が適度に座れる場所を求めてやって来ているっつー可能性もあるな。
しかし幸い、人数の多さに反して壊滅的な騒々しさはない。もちろん静粛に観賞するってほどお行儀良くはないし、当人たちもそこまで殊勝な考えがあってのことでもないのだろうが。元々が音楽に合わせてノリノリで叫んだりするタイプの民族じゃないおかげで、程よいざわめきのホールが形成されているらしい。
演奏するには、思っていた以上に悪くない。期待以上のシチュエーションと言えた。
「よし……次が俺らの番だ。心の準備はいいか? 二人とも」
演奏順が、ついに俺たちに回ってきた。久々に観客の前で演れる。懐かしい緊張感に俺は結構テンションが上がっているのだが、二人はどうか。
「大通りで客引きするようなものだろう? 問題はないよ」
カテレイネはリュートを手に、いつも通りの微笑みを浮かべ。
「恥ずかしながら、震えが止まらん」
ヴィルヘルムは覚悟を決めたような渋い表情のまま、足がガクガクしていた。おいおい。ちょっと笑っちゃうくらい上がってるじゃねえのよ。
「なんだ、ヴィルヘルムもここにきて緊張してきたか。まぁ演奏経験が無いんじゃ無理もないけどよ」
「……ううむ。まあ、そうだな。こういう人前で向き合って演奏なんてものは、初めてだ」
足をグニグニと動かしたり、ストレッチしたり。ヴィルヘルムも冷静な頭で色々と試しているようだが、あと一歩のところで小さな震えが収まらないようである。
……だよな。まぁ、小さなライブハウスどころじゃねえもんな。“レゴール大劇場”だ。それが初陣だっていうんだから、緊張もするだろう。思っていた以上に観客が増えてきたっていうのも原因のひとつに違いない。
「大丈夫だって、ヴィルヘルム。俺達はもう完全に曲を覚えてマスターしただろ」
「……ああ、そうだな。ここだけの話、俺は一人の時でも結構やってたぞ。演奏の練習」
「さっすが」
「フフ、ほんと真面目だよね」
「ドラムといったか。こいつの革張りも、艶出しも、まぁ……全力を出したさ。この日の演奏が楽しみで仕方なくてな」
「じゃあ、楽しまなきゃ駄目だよな」
ジャカジャカとギターを鳴らし、俺は二人の目を見た。
「……俺も、ここだけの話なんだけどな」
「ウフフ、何だろう」
「いやな。俺は別に、観客に良い音楽を教えたいだとか、伝えたいだとか……そういうことのためだけにここに来たわけじゃねえんだよ。それも全くなしってわけじゃないけどな。それよりも、俺が自分の好きな曲を演って、気持ちよくなりてえって思って来たんだよ」
「気持ちよく、か」
ヴィルヘルムが眉を歪め、長い髭を撫でた。
「仕事の合間に練習を重ねただけの俺達三人だ。さっきまで演奏していたような、それ専門でやって来てる人らと競う必要なんてねえよ。観客の目だって気にすることはないさ。失敗だって、したらしたでしょうがねえ。けど俺が思うに一番大事なのはさ……伯爵様が高い金で建ててくださったこの良く音が響く箱を使って、俺達が楽しめるかどうかってことなんじゃねえのかな」
「……フフ。確かに、こういった場所に立てるなんて……只人には滅多にないことだろうからね」
「ははは……そうか。モングレルは、あくまで演奏を楽しむためにここに来てるわけか」
「そりゃそうだ。だって祭りだぜ?」
「なるほどな……それもそうだ。……その通りだ。俺は観客の熱気を前にして、ちと考え方を歪ませていたやもしれん」
ドラムのセットをがしっと掴み上げ、ヴィルヘルムは笑った。
「今日は祭りだ。騒ぐことに尻込みするような日じゃあ、ねえわな」
「そういうことだぜ。さ、行くぞ!」
「うん」
「おおよ!」
ステージへと進み、中央で立ち止まる。
二階の両端には光魔法を灯した大型のライトが備えられ、壇上の俺達を照らしている。……まあ、明るいっちゃ明るいけど、眩しいってほどじゃない。ある程度ってレベルだな。反射板の質とか、単純な光量が不足しているせいだろう。
おかげで観客席にいる連中の顔も、まぁまぁよく見える。
「お、ライナだ。バルガーたちもいやがるな……おいおい、既に出来上がってるわあいつ」
舞台の準備に必要なのはせいぜいドラムの配置程度。それもポンポンと置くだけだ。
三人がそれぞれの楽器を手に集まってしまえば、仰々しいものは一切ない。
「随分と背の低い男だな」
「エルフだ。しかも金髪。サングレール人だ」
「リュートの男も混じりっぽいな」
「おいおい、劇団員か何かじゃないのか。変な演奏聞かせないでくれよぉ」
……けどまぁ、せっかく久々のライブなんだ。
やる前に、音量チェックついでにMCくらいさせてもらおうじゃねえの。俺結構好きなんだよMC。
「よう、みんな! レゴールにようこそ! 俺はただのギルドマンだぜ!」
ジャカジャンとギターを弾きながら、声を張る。
薄暗い客席に並ぶ顔を見て、なんとなーく声の通りを確認。……うん、悪くない。客として聴いてた時から思ってたけど、思っていた以上によく響いてくれるな。やっぱ背面の壁が良い仕事してくれてる気がするわ。楽器の音も増幅されてる。良いねぇ。
「ちなみにこっちはただの野菜売りで……」
俺がカテレイネの方に注目するよう促すと、意図が伝わったのかカテレイネがリュートを奏でた。
「こっちはただの木こりだ!」
すっかり緊張が抜けたヴィルヘルムも、ニヤリと笑いながらドラムを叩いてくれた。
俺の適当なメンバー紹介に、観客席から小さな笑い声が聞こえてくる。
「精霊祭で俺等みたいな素人集団でもこの大劇場が使えるっていうから、勢いで応募しちまったんだ。けど安心してくれ。俺らの演奏は普通でも、曲だけは最近流行りの良いやつをパクってきたからな。……あ、これ歌詞のメモね」
俺がリュートのヘッドに小さな紙片を挟んでやると、再び観客席がちょっとした笑いに包まれる。
「これは……故郷を離れる男の曲だ。詳しくは……そうだな、知らない。この曲を作った人とどう会えば良いのかなんて、俺にはわからないからな……だから、曲の詳しい内容は想像したり、解釈するしかない」
だが、音楽なんてそんなものだ。音楽を聞く奴ひとりひとりに人生が、ドラマがある。
頭の中でイメージを膨らませてくれ。そこに浮かび上がる情念に震える奴もいるだろう。
「だからまぁ、とにかくこいつを聴いてくれよな。タイトルは……『心の旅』」
カテレイネとヴィルヘルムに向き直る。準備は良いか?
……よし、もう過度な緊張はないな。練習の時に見せていたような、楽しげな雰囲気だけだ。良いぜ、そういうスタイルが一番楽しいんだ。
さあ、演ろう。久々のライブを楽しもう。
そして観客も、できれば聴いて楽しんでくれ。
俺が前世から好きだった曲なんだ。
良い曲だろう?
俺はもう、この曲のオリジナルを聴けないが……。
あんたらにとってはこれが、初めて聴くオリジナルになるはずだ。
弦楽器二つに打楽器一つ。
大きな劇場では少々寂しい規模のスリーピースバンド。
奏者は一人の混血の男に、一人のエルフの女に、一人の背の低い男。大道芸で日銭を稼いでいるかのような変わった風貌の三人組だった。
大劇場に足を運んでいた観客たちは、特に大きな期待はしていなかった。
中心に立つ男が演奏前にちょっとしたユーモアのある言葉で客の気を誘おうとも、演奏そのものに最初から前のめりになるほどのものではない。
なにせ、その日は朝から何組も、何曲もの音楽が披露されてきたのだ。目新しい演奏や曲を披露するグループも多かったが、新しい物ばかりを過剰に浴びせられ続けても、集中力は無限には続かない。
「ふぁあ……ねみ……」
「そろそろ祭りに戻るか?」
「そうするかー」
だから、演奏が始まってしばらくしても、壇上に無関心な人間は一定数居たのである。
また奇抜な曲。またよその国の新しい曲。
そう考える者も、ある程度居た。
「……なんだろうな、これ」
「良い曲だ」
だが、感覚を鈍麻させていない者はしっかりと聴き取っていた。
膝の上の指がリズムを刻んでいた。
二度目のサビで鼻歌を歌っていた。
「明日の今頃は……」
曲の最後になれば、繰り返されるフレーズに乗ることもできた。
そうやって、数分の短い音楽は終わる。
聴いていた者にとっては、あっという間の時間だっただろう。
「……みんなありがとう! 街の人も、外から来た人も、レゴールの精霊祭を楽しんでくれよな!」
男が曲の終わりから最後の挨拶を上げた時、聴衆が思い出したように拍手する。
耳慣れない旋律に少しだけ呆然としていた人々だったが、正気を取り戻せば元通り。それまで何度も繰り返してきた演者の退場と拍手のルーチンに戻る。
壇上からは速やかに三人が捌けていった。結局最後の最後まで、名前らしい名前を名乗らない変わったグループであった。
「……確かに、演奏は並だったな。音は変わっていたが」
「うむ。中央の男のリュートだけは、そこそこ上手かったが……並だな」
「曲も難しそうじゃないな」
「だな。そこまで難しくはない」
観客席で二人の男が拍手しながら頷き合い、苦笑している。
「しかし、これは良い歌だったな」
「そうだな」
「耳に残るというか」
「うむ」
名もなきグループによる、たった一曲だけの演奏。
それは賑わう精霊祭において、全ての話題を掻っ攫うほど目立った発表ではなかった。
「ふふふふーん……明日の今頃はー……」
それでも、会場から出たそう少なくない人々の心にその旋律は残り、口ずさまれてゆくのであった。




