長風呂と旅行計画
今日は風呂の日である。
しかも、風呂と言っても汚泥まみれになる公衆浴場ではない。ましてオーガが入り込んでいまいちリラックスできないサウナでもない。
そう。今日は貴重な回数券を使用し、“アルテミス”の風呂を利用しにクランハウスへやってきたのである。
「宿でお湯を貰ってできるだけ汚れは落としてきた……使わせてもらうぜ、“アルテミス”の湯船を!」
「だからなんでモングレル先輩っていつも風呂入る前に身体綺麗にしてくるんスか……」
「あのなぁライナ。人様の家の湯船をだな、いきなり盛大に汚しちゃいけねえんだよ」
「そんなこと言ってたらお風呂入れないっスよ」
前もって前日に風呂に入る旨は伝えてある。
そして入浴のためのグッズも当然持参している。自分用の石鹸だろ、海綿だろ、あと各種タオルだろ、綺麗な着替えだろ。風呂釜に浮かべておくひよこっぽい形した木製のおもちゃだろ。……よし、完璧だ。
「てかこの鳥なんスか」
「しかもエールまでごちそうしてもらえるとはな……本当に助かるぜ。ありがとな、ナスターシャ」
「うむ」
「鳥……」
「ほれ鳥見てみ、製材所の端材もらって作ったんだぜ」
「わぁい。あ、水鳥の雛みたいっスね。かわいいっス!」
「なに、エール程度は構わんさ。氷室に新しい雪を詰め込んだし、その拡張工事もモングレルの手を借りた。エールは冷やしてあるが、ライナ以外はあまり飲まないのでな」
「ありがたくいただいておくぜ」
“アルテミス”のクランハウスは、常に誰かしらが常駐している。
冬場は特に任務も少ないので、家を持たないメンバーは大体いると思って良いらしい。もちろん魔法使いのナスターシャなんかは、冬場でも貴族街などでの仕事が多いそうだが。魔法使いも大変だ。食いっぱぐれないのは良いことではあるんだが。
「あーモングレルさんお風呂入るんだー。いいなー、私も一緒に入ろうかなー」
「え。ちょっと、駄目だよウルリカそんなの。ゆっくりさせてあげないと。それに、僕らは夕食の準備しないと。当番なんだからさ」
「えー……だったらレオも私と一緒に入ってくれればいいのに」
「そ……そんなの駄目だってば。僕らはもう、そんな小さい頃とは違うんだから」
今俺は一体何を見せられてるんだろうな……?
まぁいいや。ウルリカとレオは夕食作り頑張ってくれ。
「じゃ、お湯いただきますわ」
「ああ。堪能すると良い」
そういう流れで、俺は風呂場へ向かったのだった。
「うぉおおぁああ……良いお湯だぁ……」
一通り身体を洗った後は、湯船にドボンだ。俺がくる直前にナスターシャが沸かしておいてくれたのだろう。風呂釜の中は既に熱いくらいの綺麗なお湯で満たされており、それはこの世界ではかなり貴重な贅沢である。
いやぁ、魔法って本当に便利だよな……水を出すのも、湯を沸かすのも魔法で出来るんだもんよ……。まあ、都合よく水と火を使える魔法使いなんてそういないらしいけども……。
「やっぱサウナとは違うなぁ……」
腕を擦ったり、顔を洗ったり。やっぱりそうしてみると、ただのスチームサウナとは大きく違うのがわかる。まぁ当然だけどさ。入浴と一口に言っても、蒸気とお湯とじゃ全然別物だしな。
冬のバロアの森でやったソロキャンプでもサウナをやってみたが……まぁ確かに汚れを浮かせて洗い流すって意味ではそれでも良かったが、やっぱこうして大量のお湯に浸かるってのが大正義なんだよなぁ。
もっと手軽にこういう入浴ができれば言う事無しなんだが……。
レゴールの公衆浴場はなんだってこう、あんなにもおぞましい……うおお、想像しただけで吐き気がしてきた。考えるのはやめておこう。
「ボイラーなぁ、ボイラー……あまりそういう構造には詳しくねえからなぁ……案外ここの湯沸かし器と同じような造りだったりすんのかねぇ……うーん……」
「あの、モングレル先輩?」
「お?」
顎先までどっぷりと湯船に浸かりながら考えていると、脱衣所の方から声がした。ライナだ。
「エールと鳥の人形持ってきたっス。……てかこれ、鳥いるんスか」
「あ、忘れてた。ありがとなライナ。そこに置いといてくれ。……いや、今風呂がいいとこだからな……ちょっと開けて、中に入れといてもらえるか?」
「え……大丈夫なんスか」
「大丈夫、風呂に九割方浸かってるから見苦しいもんも見えねえよ。それよりエールはどうだ、ちゃんと冷えてるのか?」
「大丈夫っスよ、バッチェ冷えてますよ」
「おー、そりゃ良かった」
扉が控えめに開いて、ライナが顔を出した。
「うわ、本当にどっぷり浸かってる……」
「風呂最高だわ……」
「……そこまで浸かってるならエールと鳥、そっち側に置いとくっスね」
「おーありがとうライナ……すげぇ助かるわ……」
風呂釜の脇に置いて、そそくさとライナは退散した。
冷えたエールをごきゅごきゅ……うめぇ……絶対に心臓とかそういうのに良くないんだろうけど、たまらんわ……。
鳥も湯船に浮かせて……おお……。
「浮かねえ……」
「? どうしたんスか、モングレル先輩」
まだ向こうにはライナが居たらしい。
「いや、鳥がなぁ……浮かせようと思ったら、頭が真下を向いてひっくり返っちまったんだよ。……駄目だこれ、普通に浮かないわ」
「死んだ水鳥の雛っスね」
「縁起でもねえよ……真下に重りでも詰めたほうがいいのかねぇ……いや、そこまで手を加えるほどの玩具ではないか……」
「あの、モングレル先輩。お風呂上がったら、一緒にご飯どうスか? せっかくだし、皆で話しながら食べたいっス」
「飯かぁ」
普段はこういう所での食事は遠慮するのだが……せっかく誘ってもらえているんだし、たまにはごちそうになるか。
「わかった、いただくよ。何から何まですまねぇな。金払ったほうがいいか?」
「やったぁ。お金なんて別にいらないっスよ。ささ、お風呂上がったらご飯っス」
「長風呂はさせてくれぇ」
「あ、そっか……ゆっくり入って、出てきたら用意しとくっス」
「助かるぜぇ」
暖かい風呂。冷えたドリンクのサービス。そして食事の支度。
なんだここは……天国か? まるで旅館みてぇだ……。
「旅館か……春か夏になったらちょっとした旅行も良いな……いや、観光地なんてそう無いか……うーむ」
久々に風呂を満喫した俺はこの爽快感が二日も持たないであろうことは理解しつつも、この風呂場に住むわけにもいかなかったのでキリのいいところで上がったのだった。
「最高だったぜ……」
「長風呂っスねぇ」
「もうご飯食べてるよー。ほら、そっちのライナの隣、モングレルさんの席だから」
「お、美味そうだな。いただくよ」
「根菜と鳥肉のスープにチーズパンだよ。パンは冷めないうちに食べてね」
テーブルにはライナ、ウルリカ、レオ、ナスターシャの四人がいた。
他のメンバーは今はいないらしい。ここまで少ないのも結構珍しいことである。
「そういえばライナから聞いたよー、モングレルさん。春になったらまたザヒア湖に行くつもりなんだってー?」
「おお、その話か。春になったらまた釣りでも良いなって思ってな」
「その話はシーナともしてな。“アルテミス”としても、旅行ついでに良いのではと言っていた」
「僕も一緒にザヒア湖で釣りがしてみたいな」
「おー、皆結構前向きなのな」
以前にライナとザヒア湖の話をした。冬キャンでテントサウナが結構良かったぞって話もした。持って行く荷物がなかなかかさばりそうだぜ……。
「じき冬も終わる。ドライデンまでの護衛任務も多いだろう。そのついでに、湖で鳥を狙うというわけだ」
「釣りもしたいっス! ハイテイルいるかなぁ」
「大物釣ったらまた弓で仕留めちゃうー? ライナがまたスキル覚えちゃったりしてね! あはは」
「楽しそうだなぁ……僕は鳥を相手にできないから、釣りを頑張るよ。あ、モングレルさんの荷物が多くなっちゃうなら、僕も持つからね」
「おー助かるわ。さすがに今回の分はかなりの大荷物になりそうだからな……レオが手伝ってくれるならありがてぇ。……ところで、最近ゴリリアーナさんを見ないけど、彼女はどうしたんだ?」
ゴリリアーナさんの話になると、ライナが目を輝かせた。
「ゴリリアーナ先輩はすごいんスよ! 最近貴族街でお仕事する機会が多くて! 剣術の訓練にお呼ばれするようになって……!」
「こーら。駄目でしょライナ、任務の詳細を話したらさぁ」
「あっ……っス!」
「っスか。なるほどなぁ……まぁ大体わかったよ。順調にやってるんだな?」
「うむ。シルバーランクのギルドマンとしては破格の待遇を受けているだろう。あるいは……彼女の選択次第だが、栄転もあるかもしれないな」
「栄転ね」
栄転。ギルドマンにとってそれは、ほとんどの場合定職に就くことを指す。
ギルドマンは根無し草のフリーターみたいなものだ。収入も安定しないし、何かと世間の風当たりだって強い。そこから任務先やら人やらに気に入られると、“こっちで働いてみないか”と誘われることもある。そうなると、ギルドマンを辞めてそっちへ……なんてことも珍しくない。
だが話を聞く限り、ゴリリアーナさんの場合は……まさに栄転と呼ぶにふさわしい就職先になるのだろう。そんな気がするぜ。
だって今の職場が貴族街なんだろ? そこから就職するとなると、まぁ何をするにしても良い仕事になるだろ。
平の兵士ですらそこそこの高給取りだしな。
「だから、そうだな。ゴリリアーナがザヒア湖の旅行に来れるかどうかは、わからん。彼女のためを思うならば、優先すべきは旅行ではないだろう」
「だな。……もしゴリリアーナさんが来れなくても、土産はたくさん買っておかないとな」
「けどどうせなら、ゴリリアーナ先輩と一緒に行きたいっス……」
「ねー……ゴリリアーナさん来れないとなると、悲しそうな顔しそうだよねー……」
「うん、胸が痛むよね……」
ゴリリアーナさんの悲しそうな顔か……。
……想像してみたけど、ごめん。ちょっと上手くイメージが湧かなかったわ……。
「……ああ、だが、他にも問題があったな。肝心のザヒア湖の環境だが、あまり見ない魔物が見つかったという話だ。冬になって、それからどうなったのか……」
「魔物? あの湖も広いから、そりゃある程度は水棲の魔物もいるだろうが」
前なんかハイテイルなんてデカい魚の魔物までいたわけだしな。逆に魚類系の魔物だったら大歓迎だ。俺がまた釣り竿でフィッシュしてやんよ……。
「ザヒア湖で発見された魔物は、マーマンだ」
「……マーマンかよ……」
「水棲の、小柄なゴブリンのような魔物だね」
「泳げなさそうっスね……」
「えー……下手したらボートも厳しいんじゃない……?」
おいおい、食えない上に湖での遊びも怪しくなってくるのかよ。最悪すぎるぞ。
「発見されたとはいえ、死体だけだそうだが。詳しい生態調査について、私の方にまで話が及んでな。その際は、どこからか迷い込んだ個体で全滅しているだろうとの話だったが……古い情報だ。既にドライデンのギルドマンが調査に入っているだろう。私達が現地に向かう頃には、解決している公算が高い」
「落ち着いて遊べると良いんスけどねぇ……」
ザヒア湖の魔物、マーマンか。
……すっげぇ危険ってわけでもないが、水遊びしてる時には居て欲しくない魔物だな……。
……念のために下調べをしておこう。いざ現地に着いてから湖付近で遊べませんでしたじゃ困るからな。
「バスタード・ソードマン」のコミカライズ第二話が公開されています。
カドコミ、ニコニコなどで掲載されているので、是非御覧ください。
よろしくお願いいたします。




