挨拶に親しみを込めて
冬のバロアの森の奥地でキャンプを始めてから、今日で四日目になる。
剣持ちのオーガ、グナクは昼間こそ俺の周りに現れるが、夜が近付くとどこかへ行ったまま姿を見せない。寝床があるのか、飯はどうしているのか……まぁどっちもちゃんとやってはいるんだろうけど。
しかし魔物にしては人間に対する敵対心というよりは警戒心が強くて、かなり理性的で賢い生き物のように見える。そこらへんのオーガやゴブリンを基準にグナクの生態を考えても無駄かもしれないな。
なにせ俺がサウナテントでサウナを始めるとちょくちょく現れるような奴だ。既存の概念に当てはめても無駄になりそうな気しかしない。それよりはただのサウナ常連爺さんとでも思った方が良いんじゃねえかな……。
俺は俺で、拠点周りに木製の即席チェアやコットを追加したり、のんびりと茶を淹れてまったりしたりと、冬の野営を満喫している。
バロアの薪は長く燃えるし、そこら辺にいくらでもあるから楽しいわ。焚き火や薪ストーブが使い放題なのは冬野営の特権だな。
人目につかない場所ということもあって、普段はなかなかやれない作業も大っぴらにできて良い。ケイオス卿としての発明品の試作や実験は前準備として欠かせないものなので、念入りに行うことにしている。
工作作業は良いね。澄んだ空気の中、目の前のことに没頭して過ごせる……穏やかな時間だ。
「さて、ダッチオーブンも汚れてきたし……一度洗う前に、あれ作っておくか」
煤けたダッチオーブンは今回の野営では大活躍だ。
重くてデカいのはダイレクトなデメリットだが、だからこそのメリットも数多くある。様々な料理に対応できるのもそうだし、ちょっとした道具作りにも役立ってくれる。
「とりあえずこれ敷いて、この薪置いて……あとは使い古しの布。こいつもぶちこんでやる、と」
ダッチオーブンの中に手頃なサイズの薪や布地を突っ込み、金属の蓋をする。
そうしたらあとはダッチオーブンを焚き火で火にかけてやるだけで、内部が自然と蒸し焼きになるわけだ。
つまり、炭作りである。中の薪や布が炭化して、良い感じの使いやすい炭になってくれる。他にも炭作りは色々とやり方があるし、なんなら適当に穴掘って燃やして土を被せるだけでもできるんだが、ダッチオーブンに入れて燃やすだけでできる分こっちは楽で良い。
ちなみに布を炭にするのは、炭化した木綿の布が良い火口になるからついでにって感じ。ファイアピストンの火口として優秀なので、普段からある程度ストックしておくと火起こしが楽になるのだ。古着の切れ端でも作れるからほぼタダみたいなもんだ。
「焚き火の調理もいいけど、やっぱ炭だわな」
薪を使っての調理も嫌いじゃないが、どうしたって火力が安定しない。その点、炭はそれなりに安定するし、頻繁に補給する必要もないので楽だ。煙も出ないから直接炙る料理なんかだと重宝するし、ダッチオーブンの蓋の上に置いて蒸し焼きにする時にも使いやすい。長期間の野営では必須、とまでは言わないが絶対にないとダルいタイプの燃料と言えるだろう。
布切れだけならともかく、薪が炭となるまでは時間がかかる。しばらく放置だ。
その間にパンをスライスして、チーズを乗せて、焼く。付け合わせは塩漬け野菜と干し肉のスープ。
質素な飯だ……けど、一日に一回くらいはこの程度の飯に抑えとかないと物資が持たないんでね。
金はあるよ? いやあるってほどあるわけじゃないけど、好きな時にレゴールのトンカツを食える程度にはあるよ? あるけどね、単純に凝った料理をやろうとすると食材の量が嵩むんだわ。バロアの奥地にまで徒歩で持ち込むには、まぁちょっとね……量は限られるわけなんですよ。
「日々の倹約こそが、たまのごちそうを美味くするんだぜ……」
と言いながら食うこの飯も、そこまで悪いもんじゃないんだけどな。パン生地がうーんってだけで。
景気よく燃やされる焚き火。もくもくと炭焼きの煙を上げるダッチオーブン。
おそらくこの派手な煙が、大きな目印となったのだろう。
「……」
人の気配がした。金属音混じりの二足歩行。
貧相なゴブリンでも、剣一本だけを持つオーガでもない。鎧を着込んだ人間の動く気配だ。
「盗賊か?」
さりげなく傍らのバスタードソードを手に取って振り向くと……視線の先には、見慣れない軽鎧を着た男の姿があった。
「いいや、私は盗賊ではない。だから、そう殺気立つなよ」
質の高そうな、煌めく鋼の鎧だった。冬仕様なのか鉄板の面積は控えめで、代わりに青い生地がふんだんに使われている。
その長身の男は俺の後ろから、友人のような足取りで歩いてきているが……ひと目見てわかる。盗賊よりも遥かに厄介な奴なのだと。
「しかし、見知らぬ相手を森で見かけては警戒もするか。ふむ。ならば、自己紹介から始めようか。私の名はボルツマン」
豪奢な防具を着込んだ男の左右には、剣が二本ずつ備わっている。全て同じデザインだが、どれもが決して安物ではないであろう、ただならぬ光沢を放っている。
異様な装備だ。しかしそれ以上に異様だったのは、男そのもの。
プラチナブロンドの長髪。青い瞳。
全身の装備には、サングレール軍、そしてスピキュール教区を示す紋章が、隠す気も無さげに堂々と金糸で刻まれている。
「またの名を、“断罪のボルツマン”。聖堂騎士団の一人と言えば、わかってもらえるだろうか」
サングレール兵だ。
それもただの一般兵ではない。サングレール軍でも最高戦力と謳われる精鋭、聖堂騎士団の人間だった。
「私は名乗ったぞ。さあ、貴方の名前は?」
「……」
俺はいつになく尖った神経で辺りを見回した。
潜んでいる勢力はいないか。空に変な鳥はいないか。コウモリは。蛇は。……葉の生い茂る季節と違って、多少はわかりやすい。多分、いないだろう。多分だが……。
「ははは、伏兵でも気にしているのかい。安心したまえ、私一人だよ。……おお、焚き火は良いね。温まりたいと思っていたんだ。こっち側に、座らせてもらうよ」
貴族のように大げさな外套が翻り、男……ボルツマンは、焚き火の向かい側の丸太に腰掛けた。
火を隔てて向かい合う俺とボルツマン。……突飛な状況だが……なるほど。なるほどな。
「……俺はスピカ。見ての通り、と言ってもあんたらは知らないか。ブロンズ3のギルドマンだよ。こいつはギルドでも最強の証でな」
「ははは。さすがに知っているさ。ブロンズ、シルバー、ゴールドだろう。ギルドに所属する者の証しだ。サングレールでは似たような組織としてプレイヤーというものがあるんだ」
「チッ、知ってたか……俺もそれは知ってるよ。あれだろ、仕事をこなして、徳を積むってやつらだろ」
「おや、お互いに多少は知っていたようだ。嬉しいね」
ボルツマンは整った顔を綻ばせ、上品な笑い声をあげた。
そこに俺への強い警戒心は……ない。あるのは余裕。いつでも簡単に俺を殺せるのだという、確固たる自信が見え透いていた。
……防具は至ってマトモ。耐寒装備だ。だがあの剣は謎だ。長さは俺のバスタードソードと同じくらい。だが、なんで四本も装備しているのか。一本口に咥えたって持て余すぞ。
サングレールの聖堂騎士団の人間は、まず間違いなくギフトを持っている。あの異様な本数の剣は、ギフト絡みだろうか。
いや、剣を使い捨てるタイプのスキルかもしれない。だとすれば別の連絡系のギフトを持っている可能性も捨てきれないか。
「この寒い森の中で、遠くで人の気配がしたものだからね。足を運んでみたら、まさか一人で野営をしているとは思わなかったよ。ギルドマンはこの季節はほとんど森にいないと聞いているのだが」
「……詳しいな。あんたはこの辺りの人間でもなさそうなのに」
「ははは。実は最近まで、レゴールに関する情報を少しずつ受け取っていたのでね。街に住んではいないが、私もちょっとは物知りなんだよ。……残念なことに、連絡係が仕事をやめてしまったせいでそれも滞っていたのだがね」
ボルツマンは微笑んだ。
「スピカ殿。貴方に出会えて良かった。私の良い話し相手になってくれそうだよ」
こいつは、サングレールの精鋭。そして工作員の親玉か。
最近までレゴールにいたスパイ連中は、こいつに情報を上げていたのか。それとも何かを企んでいたのか……酒場で“月下の死神”に制圧されていた奴もいたし、上手くいっていないのだろう。
それで、俺に狙いを定めたってわけか。
人里離れた冬の森で、呑気にキャンプをしている馬鹿なギルドマン……なるほど。
「……運が悪いなぁ」
「ははは。まぁ、そう落ち込むことはない。私は話を聞きたいだけなんだ。話を聞かせてくれれば、私は乱暴な真似はしない。そう……私は、盗賊ではないからね」
ボルツマンが腰の剣に手を触れ、ゆっくりと引き抜いていく。
同時に、隣接する鞘からも同じ剣がひとりでに抜け、完全に抜刀する頃にはもはや独立して宙に浮かぶ剣となっていた。
「わかってくれただろうか? スピカ殿」
手にしているのは一本の剣。しかし、同時に異なる剣をも操作することができる能力持ち。
刀剣系ギフト“昆剣王”。
確定した。こいつは連絡系ギフト持ちではない。完全な剣士タイプだ。
伏兵は無し。使い魔も無し。連絡系ギフトも無し。
お前も俺と一緒で、一人きりでこの場に居るんだな。
「わかった。それと、すまない。さっきはちょっとした嘘をついちまったから、訂正を許してくれないか」
「うん? 嘘かい? なんだろう。良いよ、正直者であることは美徳だからね」
俺はバスタードソードを地面に突き立てながら、笑いかける。
「俺の名前、本当はスピカじゃなくてモングレルっていうんだ。ブロンズ3のモングレル。ハルペリアで最強の剣士さ。よろしくな、ボルツマン」




