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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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48.リヴァイアサンの悲鳴

西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』

「国家とは、それぞれに自己自身の中に絶対者の自己表現を含んだ一つの世界である」

「国家は絶対者の自己形成の方式として、我々の道徳的行為は国家的でなければならないが、()()()()()()()()()()()()()()()()。真の国家は、その根底に於て自ら宗教的でなければならない」

「国家とは()()()()()浄土を映すものでなければならない」

(傍点引用者)


ルクレティウス『事物の本性について』第二の書・序詞

「風で広い海が逆巻くとき、岸辺から他人の遭難を眺めるのは心地よい。ひとが苦しむのをみて大きな喜びがあるからではない。自分がどんな災害から免れているかを見て楽しいのである」


 皇重工のビルから赤黒い光が轟いた。雷鳴(かみなり)の咆哮のような耳をつんざくごとく激しさをともなってこぼれ出たその輝きは、漆黒に染め上げられ、赤い月に照らされた世界をつかの間明滅させる。

 その光と闇の交錯から、黒い潮の底から起き上がる影がある。


 ひとつ、ふたつ……


 数えれば数えるほどきりがない。

 無数の影だ。


 それはヒトのかたちをしていた。

 雨後の筍のように群れを成していた。


 起き上がる。影は左見(とみ)右見(こうみ)、自身の身体を思い出すように周囲を認識する。徐々に視界が慣れてくると、我を取り戻す。生前の記憶、死ぬ間際までの記憶。そして──


 怒り。


 置いて行かれたものの気持ちと、戸惑いと、なぜ自分がという疑問。その全てが混線し、ショートを起こすギリギリのところで、あえて〝怒り〟の感情に転化する。


 怒り。


 それは全てを失ったものに唯一許される慰めであり、おのれを奮い立たせる数限りない手段である。

 意味もなく死ぬことの理不尽を、理由もなく恵まれないまま人生が閉ざされたことの不条理を、ひとしきり悲しみの素材にされた挙げ句に忘れ去られた屈辱を。


 そんなに〝いま〟が忙しいか。

 そんなに〝自分〟が大切か。

 そんなに〝成功〟したいのか。


 あらゆる過去のしがらみを振り解き、忘れながら、それでも新しい享楽を振り撒くことでかろうじて生き永らえてきた都市:新宿。その奥底で、封じ込まれてきた過去たち。

 亡き骸は自らの四肢を取り戻し、ふたたび歩き出す。結界の外へ。街の外へ。


 そしてもうひとつ、ふたつ。黒い沼から起き上がるのは、巨大な獣の姿だった。



     ※



《報告! 領域内に多数の妖力反応! うち一体はライゴウと同種のものです!》

「何ィ!?」


 平田啓介は、ビルの上から無線を傍受していた。さっきからスマホで椹木信彦に連絡を取ろうとするも、全然応答がない。

 また切れる。掛けた履歴がそろそろ十回目だった。あわててビルの屋上の縁に身を乗り出し、皇重工ビルのあたりを見る。大きな物音は確かにする。花火が鳴るような轟音だ。


「くそっ。あそこか!」


 もう一度連絡を繋ごうとする。しかしダメだった。

 もうひとつ、爆発音がする。御苑の方だった。とたんに天空が破れたように錯覚した。やな予感が、全く予想外の方向から実現したのだ。


「マジかよ。連絡取れないってのは、まさか……」


 結界が壊された。しかも外側から。

 平田啓介はとにかく打てる手をすべて打つしかない。彼の手が打ち込んだのは「鹿ヶ谷佐織」の連絡先だった。



     ※



 さて、皇重工ビルでは何が起ころうとしていたのだろうか。


 岐庚が乱入し、山崎ひかりを救出したところ、虎落丸が先んじて潜入し、黒い潮の淵でぐったり倒れていた冬堂井氷鹿を抱き起こしてやってきたその時、その屋上ではついに黒い卵状のものがひび割れて悍ましい産声をあげていた。

 それは黒い体液を滴らせながら、黒い小魚のような形状をなしていた。単一ではなく無数の群れとなって霧散するとまるで黒い液体そのものに意志があるかのように徐々に凝縮し大きな身体を築き上げていく。


 ヒトよりも大きな身体。

 手足が巨大な樹木の根元のようにどっかりも太く幅広くなっていく。


 四つん這いになっていたそれは、すでにビルそのものを呑み込んでうずくまる巨大な胎児だった。天空に向かって開かれた背中には折れた片翼が左右非対称(アシンメトリー)に強調され、起き上がるそぶりとともに高々と隆起する筋骨さながらの動きを示す。

 ゆっくりと上体を振り上げる。その仕草は巨大なクレーンの上昇のように緩慢でありながら、うかつに触れたものを倒壊させるエネルギーに満ちている。


 しかしそれがビルのあわいから姿を現したとき、人びとは驚愕に目を見開く。

 首から上がない。首の形状は、ただ頭部と思しきものだけが欠落している。


 広大な台地のように屹立した頸部。

 もし視力が良いものがいるなら、そこにぽつんと立つ少女の姿を見ることができたかもしれない。


 ただ、それを見たものはまだいない。

 見てはならないのである。


 もし見たものがいるならば。

 それは〝死〟を意味する。


 少女は千里眼のごとく広いまなざしで、天空の極みのような位置から世界を見はるかす。右から左へ、三百六十度。東京という過去を忘れた大地を、海に向かって──


 ここには何もない。ここにはなにも期待してはならない。

 少女の憂いたまなざしは、ここではないどこか、遠くはるかに位置付けられている〝あの場所〟へと向かっている。


 みな、そこに向かうのだ。

 至上の命令が、彼女を、彼らを推し進める。



     ※



 倒壊する皇重工ビルと、その周囲の建築物から逃れながらも、岐庚は望月サヤカを見上げていた。


「よう、ひさびさだな」

「……二週間程度の話じゃなかったかしら」


 冷ややかなまなざしの望月サヤカである。彼女は結界術を駆使してもはや空中歩行の域に達している。

 遠くで獣の咆哮が聞こえる。彼女の背後では黒い巨人が徐々に具現化しつつある。しかしそんな世界の危機などは、このふたりの間ではまるでどうでもいいかのような緊張が、そこにはあった。


「そっか。まだそんなしか経ってなかったか……」


 独りごちる。庚にとって、この間の時間はあまりにも長く、果てしなく、終わりのないほどのブランクに感じたものだった。


「で、あなたは何の用?」


 もはや興味がないと言いたげである。しかし彼女は庚を無視できないでいる。

 何かある。そんな予感だけが、望月サヤカを庚に惹きつけている。


「あんたを倒しに来た」


 オレンジのタンクトップ。その肩口から腕に掛けて、引き締まった筋肉。レザーグローブは例の擬神器ではない。

 だが、何かが違う。以前向き合った時と比べて一段と腕を上げた、という感想が望月サヤカの胸中にはあった。


「できるものなら」


 中空からふわっと、飛び降りる。その真下には青生生魂の刀剣が黒い潮に突き刺さっていた。

 すかさず飛び込む。その武器を執らせてはならない。


 落下するその延長線上に割り込む。しかしそれを予測しなかった望月サヤカではない。装束の袖を扇のようにひろげてそれを旋回させる。重力を利用した叩き落とし。その一撃はとっさの判断で受け止めるには荷が重い。


 ところが庚はそれを片腕で受け流した。


 力を逸らされ、急激な落下に身を押し付けられた望月サヤカ、すかさず旋回の勢いのまま脚技を繰り出す。

 しかし庚の方が早かった。彼女は反転し、ちょうど望月サヤカの脚が来るであろう箇所に蹴りを当てに来ていた。


 脚と脚が交差する。ねじ切れるような妖力と脚力が混線し、逆螺旋を描いて両者はともに吹っ飛んだ。


 結界術を駆使して空中で静止する望月サヤカに対して、庚はふわりと壁に足裏を付けた。もちろん靴底に「引力自在」の呪符を貼っているのである。


「……驚いたわね。まさかたった二週間程度でここまでやるなんて」

「はん、舐めてもらっちゃ困るね」


 勝ち気な笑み。

 対する冷たい微笑み。


「じゃあ、どれくらいできるものか、試してもいいわよね」

「いいからこいよ」


 言い終わる前に、望月サヤカの残像が揺れ動いた。

 突き上げるような蹴り上げをしたたかに腹に受け、上昇気味に打ち上げられる庚。第二撃、三撃と掌打を立て続けに浴びて天空に向かって上昇すると、あとを追いかけるように望月サヤカの空中跳躍が連続して襲いかかる。そしてその極みに達したかと思われた地点で望月サヤカは先回りし、肘鉄で地面へ叩き落とした。


 さらに、そこに加えて地面より前に結界を張る。予測できない地点での着陸は、体が準備する前に硬い地面に叩きつける効果を及ぼす。結界術が得意ではない庚、まさにその鋼鉄の壁に叩きつけられたかのような衝撃を全身に浴びて、二度と立ち上がれないかと思われたほどである。

 だが、岐庚はちょっと口を切った以外に特に重傷はない。打撲痕も、骨折も、まるでなかった。


「ふう」


 血を軽く吐き出して、ため息。


「それで終わりか?」

「なんですって?」

「準備運動だ、こんなもん」


 リストバンドを外す。足首にも似たようなものがあったがこれも外した。

 一見ただの重りか、汗拭きのバンドのようにも見える。しかし望月サヤカはふと察して初めて屈辱の心地を覚えた。


「妖力抑制装置……」

「やるぞ」


 今度は庚が残像になる番だった。


 残像が一瞬三つに分かれたかと思うと、望月サヤカのガードをくぐり抜けた拳が一発入る。身をこわばらせてこれを堪えるものの、容赦なく第二撃、第三撃と続く。上昇運動をそのままつづけるかと思った矢先、放り出される角度は徐々に斜めに下がっていき、ひとつのビルの屋上へとたどり着く。

 叩き起こしの動作はない。そのまま望月サヤカは屋上に着地した。


 振り向くと、岐庚が優雅に着地して向き合っていた。


「これで一対一(サシ)だ」


 拳を握りしめる。望月サヤカは初めて負けたくないと思った。

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