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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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25.多方面同時作戦

「くそっ、お前もしょせん囮だってのか」


 平田が苦り切った表情で吉田を庇う。吉田はというと、なにがなんだかわからないと言った顔で、ことの成り行きをただ見ていた。

 望月サヤカはクスクス笑った。


「察しの良いこと」


 いつのまにビルを出ていたのかは知らない。が、これで山崎の単独行動はもっとずっとやりやすくなっているはずだった。少なくとも、いまわかる範囲で最大の脅威が外に出ているとわかったのだから。


「吉田、お前中に行け。早く岐と山崎拾って脱出させろ」

「えっ、でも」

「早くしろよ。お前がいると本気が出せねーだろうがよ」

「はい!」


 尻に火でも付いたかのように駆け出す背中を、さもどうでもいいかのように望月サヤカは見送った。その様子を見て、平田はなおのこと選択肢を失敗したと悟った。

 腹を括る。いまある状況が最善でないとするならば、それを最悪にしないことがまず第一である。


「とんだポーカーフェイスだな」

「さあどうだか。あなたの方もなかなかやり手みたいね」

「しらばっくれるのが上手いだけさ。なんせ中間管理職だからな」


 身構える。しかし望月サヤカはさもつまらなそうな面持ちで首を傾げた。


「平田啓介、あなたみたいな人間がなぜ公安なんてしょうもない組織にいるのかしら」

「……?」

「あなた、結社の御曹司様じゃない」

「……!」

「その気になれば政治家すら顎で使えるその立場、捨ててなぜこんな腐った仕事をするのよ? まったく非合理的。つまらない」


 沈黙。微塵の動きもない。


「憲法第二十二条。職業選択の自由」

「……はい?」

「それ以上の理由、要る?」

「あなた実はマゾヒストなの?」

「少年漫画を真剣に読んで育つとこうなる」

「あきれた。とんだ害悪図書が出回ったものだわね」


 平田が先に動いた。大ぶりな右腕が、望月サヤカにとっては怠慢としか言えないほどの挙動でやってくる。望月サヤカは反撃する気も起きずに横に避けた。

 なんだこれは。岐庚の方がよっぽど俊敏で、力強く、そして殺意があった。この男は口ほどにもない。


 第二撃も緩慢だった。避ける。次も、次も、次も。目をつぶりながらでも躱せた。

 体術の腕はあまりにも劣る。こんな程度では話にならない。が、しかしここで無駄に時間を使うわけにもいかないのだ。


「悪いけど」


 素早く鉄扇を突き出し、平田の眉間を突こうとする。そのわずか数瞬の閃きは、直撃すれば脳しんとうを起こすほどには鋭い一撃のはずだった。

 平田は、しかしそれをとっさに避けた。それまでのくだらない動きとは比較にならないほどに、的確に。


 そのまま目にも止まらぬ速さで退く。その間合いの開け方たるや、逃亡と見まごうほどである。


「……」

「……」


 ニヤリと笑う、その男。その意味を、女は悟った。


「くだらない小細工……ッ!」

「ま、これが年の功ってやつよ」


 何を偉ぶるか、しょせんは三十二歳の青年である。だがここで図らずも望月サヤカは予期せぬ奸計にハマったことを知った。

 周囲四メートル。東西南北のアスファルトに貼り付けられたお札には、「女人禁制」のありふれた呪符。


「少年漫画をバカにした罰だ。この国の男の子はみな厨二病とラッキースケベですくすく育ってきたんだぞ」


 いや、むくむく、かな。どっちでもいいけども。

 そんな付け足し文句など気にならないくらいの激しい妖力のみなぎりと影の風呂敷が、望月サヤカの周囲に立ち現れ、そして一気に包み込んだ。

 さながら、巨大な獣の顎に食い潰されるがごとく──


「ま、さすがにこの程度ではやられんだろーな」


 案の定、結界は内側から破られた。黒塗りの卵と化したその封印を、突き破って産ぶ声を上げるのは声なき鳴き声。生物の理解を超えた音域から発せられたその雄叫びは、貪欲な裂けた口で虚無の彼方へと消えていった。その結果、ついに現れたのは女と二匹の醜怪な化け物である。女の背丈を超えるその二足歩行の形態は、形は全く似ていないのに兎の姿を連想させた。


「オイオイ、マジかよ」


 この時ばかりは、平田もさすがに自分の死を覚悟した。



     ※



 斬る。薙ぐ。突く。裂く。研ぐ。抉る。翻る。走る。蹴る。昇る。追い上げる。組み打つ。切り裂く。叫ぶ。

 構える。止まらぬ。乱打する。守る。去なす。逃げる。追う。打つ。裂く。打つ。裂く。切り刻む。避ける。躱す。跳ぶ。突く。見事に退ける。


「やるね」


 大国忍と山崎ひかり、すでに戦いは二者の戦いになっていた。

 土師清巳はすでに袈裟斬りになって床に転がっている。


 山崎ひかりは喋らない。ただ刀を構えて、止まらない。


 踏み込む。突き出す。仰け反る。斬り出す。躱す。追い討つ。退く。叩き込む。

 壊す。割れる。斬れる。揺れる。ヒビ割れる。崩れる。倒れる。飛び散る。ずぶ濡れになる。


 火災報知器が鳴る。水道管から水が噴き出し、辺り一面水浸しだ。


「やべぇな」


 大国忍の五行(エレメント)は火であり、山崎ひかりの五行は水である。しろうとでも見てわかる圧倒的不利。

 いくら大国が百戦錬磨の術者であったとしても、このハンデで勝てるほど老練しているわけではない。


 目を細める。手首を返して挑発の姿勢を取る。

 山崎ひかりは受けて立った。


 大国の火遁槍が小刻みに廊下の四隅を突き、刃物の壁を作る最中、山崎ひかりの剣戟は受けては流し、流しては突いてのラリーを続ける。五分の隙間もない駆け引き。そのなかに彼女は巧みにメッセージを読み取った。

 あえて強くされた一撃を、受け止める。勢い込んで壁に押し付けられたとたん、彼女はスプリンクラーを通じて自身の擬神器を解放した。


 水曜刀・霧幻(むげん)(おぼろ)長船(おさふね)。その内に秘められた、闇龗(くらおかみ)を目覚めさせる言霊を。


黝雨(くろさめ)──(ながる)


 跳ねる水。飛び散る水。降りしきる水。そのすべてが無数の針になった。いわばその一滴一滴が、刃物の群れを成す。文字通りの針の雨が、大国忍の全身を突き抜けた。


「くそっ、痛えなァ!!」


 ダン、と音を立てて退く。

 土師清巳の倒れた身体をさらに過ぎ、後ろへ後ろへ距離を取るものの、山崎ひかりは追撃の手を止めない。


「池の面に 影をさやかに 映しても 水鏡みる をみなべしかな」


 とたんに山崎ひかりの立ち姿が二つに分かれ、二重の分身となって連撃を展開する。左右から絶え間なく続く斬撃、普通であればこの技を使うものは影の動きが同時でなければならない。が、山崎ひかりの練度においては時間差でずらすことすら容易だった。

 大国忍がいよいよしんどいな、と思った矢先のことである。ふと、山崎ひかりは背後に何がしかの気配を察知して、手を止める。素早く躱すそぶりを見せたが、影の方が間に合わなかった。


 ドスっと言う音と共に霧散する。その背後からゆらりと動いたのは……


「おいおいおい、影分身までできるたぁ聞いてねえよ」


 土師清巳である。そのサングラスは外れ、フードも降ろされている。それでわかった。


「まさか、半妖……!」

「ご名答」


 赤い目。白い髪。太陽の元に暮らすにはあまりにも色の抜けたその男は、霊能者にとっては稀代のサラブレッドにも等しい。

 一瞥する。抜け殻。それで、青年が何のハイブリッドなのかを察知する。


「蛇」

「そうさ。おかげで死に方を知らなくてな」


 とたんに袖から無数の蛇が飛び出す。すでに濡れて湿気た廊下において、蛇の動きは素早くあたり一帯を満たした。

 その最中、土師清巳の身体が変形した。ヒトの形から骨でも抜いたような、関節を無視した動きになり、その両手に牙が生える。近づき、振りかざした腕を、刀で受け流す。しかしその時、牙から飛び散った毒液が、ジュッと焦げるような音を立てて壁を焼いた。


「……ッ!」

「まあ、そうだよね。おれだって最初ビビったもん」


 にたりと、笑う。そのまま第二撃を繰り出すのを、山崎ひかりは突き放そうとする。しかし土師清巳は胴体首すらも蛇化して、のらりと体術を躱してみせた。

 そして最後に手足を縛り、まさに文字通りの毒牙に掛けようとしたその時だった。


 大国忍が、火遁槍を大きく振りかぶった。


「破ッ!」


 炎をまとった一撃が、山崎ひかりの腹を叩いた。とっさに妖力を出して受け止めるが、衝撃が強すぎて吐血する。

 さながらホームランでも打つような、圧倒的な力づく──そのまま大国は山崎を打ちのめし、刃で真っ二つにしたように見せた。すかさず火遁槍の出力を最大にして、まだ土師清巳が離れるのを待たずに思い切りその影を爆発させたのだった。土煙りを上げ、火災報知器が鳴り止まない。スプリンクラーが周囲を消化しているが、逆に視界が悪くなって仕方ない。


 土師清巳が隣に舞い戻った。


「糞ッ! てめえどさくさにまぎれておれを殺す気だったろ!」

「いや、死なないんでしょ? だから安心して大技かましたのに」

「喩えだよ、喩え!」


 半ギレになりながら土師清巳が破壊痕を覗く。


「お前さすがにやりすぎだ。あれじゃあ死体が確認できない」

「だが、お前さん逆に危なかったぞ。あいつあのまま相討ちする気だったからな」


 実際、ホントにやりかねなかったのだ。大国が手助けする直前、山崎はもう一個別の術を使おうとしていた。大国もその威力が何なのかは良く知っているが、いまは使ってほしくなかった。

 それを一瞬のアイコンタクトで変えさせて、このシナリオに持ち込んでいる。


「まああと三十分も持ち堪えられれば、ミッションはコンプリートよ。くよくよしなさんな」


 頼むぞ、山崎、と大国は念じた。いま岐を助けられるのはお前しかいないんだからな。

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