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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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9.夜を疾走する

 駆けつける途中で、虎落(もがり)丸と合流した。しかし乗るのは諦めた。車を乗り捨てて逃げ出す者が多すぎたのだ。

 我先にと逃げ出す人々をかき分け、庚はようやく飛鳥を視認する。


「飛鳥ちゃん!」

「あっ! 庚さん」


 再会した飛鳥は、爬虫類と連れ立っていた。だから目立っていた、と言えば変な話だが、徐々に人気のなくなっていく地帯においては、勇ましくも不可思議な光景である。

 飛鳥は気さくに手を振りながら、ぴょんぴょん跳ねる。庚が駆けつけるのに併せて、式神を連れ寄せると、嬉しそうに紹介した。


「うちのラプ太です!」


 その名の通り、ヴェロキラプトルを彷彿とさせるような細長くて強靭な両脚に、切れ味の良さそうな爪。睨みつけるような眼がギロリと動いては、鋭い歯牙を見せる。

 極め付けは、鞭のような尻尾である。しなやかにして硬質。振れば凶器となり、勢いを付ければアスファルトさえ叩き割れそうなほどに思えた。


「頼もしいわね」と庚。


 ラプ太はさもあらんと言わんばかりの目つきで、フッと目元を緩めた。


「ウワッ、それが庚さんの……?」


 虎落丸はすでに妖力を駆使して人型へと変形していた。その姿はさながら緑の西洋甲冑、剣の代わりに蟷螂(かまきり)の斧を構えるさまは、異形ながらも魅せるものがあった。


「そうそう。虎落丸っていうんだけど」

「へー、モガちゃんぢゃん!」

「モガッ!」


 虎落丸は、いつもは冗談のひとつやふたつ言わずにはおれない減らず口である。ところが、巡り合った飛鳥の顔を見るや、たちまちにして威勢を失ってしまった。

 庚がその異変を察知するが、いったい何が何だかわからない。飛鳥は怯えて背中に隠れる虎落丸をキョトンとした目で見つめると、ふと自分の得物──屏風(びょうぶ)絵にでも載っていそうな物騒な金棒を背中に隠した。


「怖くないよ、モガちゃん」


 しかし虎落丸は嫌々と首を振る。

 飛鳥はハの字に眉を垂らした。


「どうして?」

「さ、さあ?」


 あとで聞いたところに拠ると、実は虎落丸はいまのバイクになる前に、東海林家の器物に宿っていた一妖怪に過ぎなかったという。しかしあまりに突然動き出したものだからか、飛鳥に追われて危うく壊されそうな目に遭ったのだとか、なんとか。

 とっさの判断から取り憑く器物をバイクに変えて、いまの虎落丸がある。そのバイクが元東海林家の身内のものであることについては、あいにく飛鳥の記憶になかったらしい。


 閑話休題(あだしごとはさておき)


 自己紹介を終えるなり、異変は起こった。


 ガタンッ! と大きな音がそこかしこでかしいだかと思うと、乗り捨てられた車が巨大なロープで引っ張られたかのように、少しずつ這いずった。

 最初は錆び付いた滑車を無理に押し出すかのような、歪な音が耳をつんざいたが、徐々に砂煙を上げて宙に浮かぶ。いや、舞うといった方が正しいか。ギギギと心が軋むような騒音は、さながら走り幅跳びの助走と言ったところで、見る見るうちにあちこちの乗り物がある一点に向かって吸い寄せられていく。


 釣られるように、みなの視線が一致した。


 その先には──


「ゔェ」


 どっちが発したかわからないような、心底嫌そうな声。彼女たちが目の当たりにしたのは、まさにその日常生活において毛嫌いするそのものの姿であった。

 いうなれば巨大な銀の三葉虫。あるいは、白い甲羅を背負った二本足で立つ亀もどき。そう言ってもいいのだが──


「あれってやっぱり、あれ?」

「あの、あれ」

《大人も、子供も、おねーさんも》


 ラプ太がギョロリとこちらを見た。


「あれはアクタムシだな。人の世ではゴキブリという。さして珍しくもなかろう。色は白いがな」


 平然と言う。それはそうだけど、と庚は反応に言葉を濁した。


「珍しくないことと、見たくないことは別なの!」


 憤激する。しかしこれを駆除するのが飛鳥の所属するPIROの仕事であり、今回に限っては庚の仕事でもあった。

 冷や汗がダラリと垂れる。理屈ではわかっている。あまりにも大きすぎるそれは、記憶の裏で過ぎるサササと動く例の存在とは決して異なる。いわば突然変異──というより、あり得ないほどの時空をまたいだ別種としか言いようがない。ところが、感情がうんとは言わないのだ。なまじ庚の得物は腕に密着した大きな籠手である。もし倒そうと思うのであれば、その生々しい感触を直に味わう必要がある。


「あ、あたし今日は気分悪いかも……飛鳥ちゃんお願いしてもいい?」

「へ? えぇ?!」


 文句を言う暇もなし。


 庚が対象から距離を置こうと身を退けるや否や、周囲の自動車がちゃぶ台返しにあったかのような騒然たる有り様になった。

 どうやら目に見えぬ力で鉄の塊を動かしうるらしい。地面がグラリと揺れたかと思えば、周囲の車が突風と見まごうほどの速度でアクタムシの方に向かって飛んでいくではないか。


 庚は反射的にそれらを見切って伏せた。流石に大きな車は鉄の塊、引っ張られて当然かと思ったその安堵も束の間、今度は庚の右腕がフワリと軽くなって宙に吸い寄せられる。


「えっ、嘘!」

《ウ、ウワーッ!》


 ふと叫び声が聞こえて振り返ると、虎落丸が自動車と一緒に持って行かれていた。そういえば──と庚は思う。虎落丸のボディこそは、まさに金属の塊じゃないか!


 ……金属?


 そこまで思い至ってハッとする。そしてしまった、と叫んでしまう。


「飛鳥ちゃん! ヤバい! わたしたち(ごん)の気だからアイツに引っ張られちゃう!」


 陰陽五行説──俗に木火土金水(もっかどごんすい)として知られる五つの東洋呪術のエレメントは、相生・相剋の理を持って互いの強弱を決める。


 曰く、木は燃えて火と()る。

 火は灰と生って土に還る。

 土は深く潜りて金と生り、

 金はその表面に水を生り滴らせ、

 水は木に送られて新たな生を育てる。


 これが相生である。

 では相剋はと言うと──


 木は土に根を下ろしてこれを()せさせ、

 土は水を汚して()き止める。

 水は火に掛かってこれを弱め、

 火は金を溶かしてこれを()げる。

 ついに金は木を伐り倒す。


 さて、庚の妖力とはその名を読んで易しく「()()」である。これは干支(えと)からするとプラスの気を湛えた(ごん)の属性と為すのが的確と言ったところで、まさに金属そのものの気をまとっていると言い換えて差し支えない。

 おまけに、彼女の装備たる擬神器(ぎじんぎ)──金剛鉄拳〈八十(ヤソ)(タケル)崩槌(カムナヅチ)〉は、やはり金の気を徹底的に増幅する。となれば、かような光景は理屈に合ったものと言わざるを得ない。


「い、嫌ァぁぁああああ!!!」


 半泣きの情けない声をあげて、庚はあっけなくも宙に飛んで行った。


「ラプちゃん! 庚さん助けに行かなきゃ……」


 あわてて飛鳥も駆け出した。脱兎(だっと)の如く、韋駄天(いだてん)の如く。サァッと風が小走りするような軽さと素早さで、スラリと手に持つは長年の相棒たる金棒、まさに擬神器、その名も〈辛鋪鎚(カノトホヅチ)〉である。

 ところが、ところがである。


「って、ええ?!」


 干支の()とは十干(じっかん)である。

 そして十干とは五行に陰陽の()(おと)を立てるものだ。例えば木の陽を「(きのえ)(木の兄)」と言い、木の陰を「(きのと)(木の弟)」と言う。それらが木火土金水のひとつひとつに兄と弟が結びつき、十干と為すわけだ。


 つまり、こうは考えられまいか。

 「()()」があれば「()()」がある、と──


「ふぇっ、あっ、あっ……ッ!」


 さながら強風の中、(たこ)を追いかけているのか、凧に引っ張られているのか判然としない稚児(おさなご)のように、飛鳥は自らの得物に振り回されて、スタコラサッサと大通りを疾走する羽目に陥ったのだ。

 その傍らをラプ太が併走する。軒並み乗用車のスクラップを避けながら駆ける様は、歴戦の相方と言ったところ──しかしこれでは埒があかない。彼はそれなりに知恵を絞り出そうと試みるが、なかなかどうして、対策が浮かばない。


「どうする」


 質問する口調は、逼迫した状況にも関わらずやけに冷静だった。


「どうもこーも……あーんもう! 知らないもんね!」


 彼女はそのまま振り回されるのを辞めた。


 すでに遠方のトラックすら引きずるほどの妖力が渦を巻いていた。飛鳥はこの流れにあえて身を任せ、〈辛鋪鎚〉の構えを解いた。あえて加速し、跳躍した。さながら前転宙返り。擬神器の取っ手にサーフィンのように立つと、対象の表皮に接近する瞬間を今か今かと待ち構える。


「痛いよ、痛いよ、飛んでけ!」


 接触の直前、飛鳥は〈辛鋪鎚〉を全力で蹴り出した。勢い込んで重たい先端をぶつけたそこには、トタン板にヒビを入れるような轟音とともに大きな凹面が出来上がる。

 沈むように、溶けていくように。メリメリと鎧と化した表皮が食い込んで、ついには緑色の体液を漏らした。


 とたんに妖力が弱まった。


 多くのスクラップを引き寄せていた力も急激になくなり、ついに庚と虎落丸は、接触前に着地したのだった。受け身を取りながら颯爽と体勢を立て直した彼女は、あと数メートル圏内に屹立していたアクタムシの巨体から素早く距離を取った。あとから虎落丸が頭からアスファルトに叩きつけられる。


「はーっ、死ぬかと思った」

《ボクモソウ思ウワンニャン》


 大袈裟である。

 しかし飛鳥は息を切らしながら、庚に駆け寄る。


「大丈夫でしたか!」

「あーすーかーちゃーん……」


 すっかりハグするふたり。この恩は一生着るからね、と喚き散らす庚がいまばかりは大人気なくも、親近感をもたらしたのだった。

 しかしアクタムシは、さような人情を知る由もない。


 先ほど〈辛鋪鎚〉の一撃を喰らったのは、左の膝小僧にあたる部分だ。さながら巨木の根元のごとき脚をむくりともう一度起こすと、ギギギと錆びた鉄を擦り合わせるような音を鳴り響かせた。

 見れば、おぞましいほど巨大なスケールに拡大された虫の頭部、触角のあたりが赤と青の色に鈍く輝き、ゆっくり回転をさせることで磁力のようなものを発している。かの虫の周囲にまとわりついた乗用車のスクラップは、すでに着込んだ鎧兜にさらに分厚い甲冑を重ね着するような滑稽さがある。


 この虫がなぜこのような生態を露呈しているかは知れない。

 しかし鉄素材に事欠かない都心のど真ん中、アクタムシの妖術はあまりにも都市機能を妨害してあまりある。


「庚さん! ヤバヤバのヤバです、これ!」

「言われなくてもわかってる!」


 ギリリと奥歯を噛み締める。正直、虫を潰すのは嫌だ。仕事柄、爬虫類や恐竜まがいの妖怪を殴って体液を浴びることなどザラにもかかわらず、こと虫となると……それも表皮が茶色いやつほど……鳥肌がいくら立っても足りないぐらいに悪寒が走る。

 しかし仕事は仕事、好き嫌いは言っていられぬ。年下の手前格好の悪いことをこれ以上重ねるわけにもいかないと、ようやく腹を括ってみたところ、顔を上げて、庚は両頬をパンと叩いた。


「虎落!」

《アイアイサー!》


 言われるなり、カマキリ状の戦闘形態を取る。前輪を二つに割ったような鎌を諸手に、ズンとアスファルトに突き立てる。それからストッパーまがいの脚を食い込ませ、決してアクタムシの妖力には負けまいと踏ん張った。


《グギギ……》

「そのまま耐えて!」


 対する庚、陸上選手のクランチスタートのごとき姿勢を取ると、勢い込んで駆け出した。さながら体操選手が飛び箱の前で駆けるように、大股で一歩、二歩、三歩と等間隔に跳躍すると、パッと虎落丸の背中に両の足を揃えて踏み付ける。

 そのまま高く飛ぶ。これは妖力を自身の体内に込めて、人並外れた身体能力を発揮できる庚ならではの術である。


 高く高く──そのままアクタムシのはらわたの辺りに鋭角に飛び込むと、渾身の勢いを込めて、〈八十剛崩槌〉を振りかぶった。


「これでも喰らえ!」


 ところが──


 彼女の目の前で、アクタムシが炎上した。文字通り、火炎に包まれたのである。


「なになになに!」


 火の気は金の気を打ち負かす。ということは、この想定外のハプニングは、庚にとって命の危機にも匹敵する窮地だった。

 とっさに両腕で身を庇う。それと同時に火炎の中に身を投じ、激しい熱さに包まれた。しかも悲鳴をあげる間も無く、彼女はアクタムシの表皮に巻きついた乗用車の一個に強く身体を打ち付け、跳ね返された。


 地面に撃ち落とされる様は、さながら一個の火炎弾だった。

 危うくアスファルトの第二撃を受ける手前で虎落丸のサポートを受ける。が、火炎の熱が残っていたのか、熱い熱いと悲鳴を上げながら地べたを転げ回ることになる。


「よーぉ、妖怪ハンターさんたち。お仕事が捗ってなさそうだったんで、手伝ってやったんだがよォ」


 ようやくボヤけた視界がハッキリしたとき、庚が目の当たりにしたのは、擬神器を構える飛鳥と、同様に武具を構えた男たちとが向かい合う光景だった。

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