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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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5.酸性雨のような涙

「ヤー、惜しかったわー!」


 少年が心底楽しげにそう言い放つと、一同は陽の傾いた街に降り立った。

 すでにアトラクションを終えたばかりであった。現実世界を舞台にしたシミュレーションゲームでもある『リマインズ・アイ』のイベント会場を振り返ると、榎本(あきら)はもの惜しげに相好を崩す。


「前衛もっと固めておけばあそこは火力で勝てたって」

「どうだろう。脇が甘かったじゃん」

「いやいや、ぜってーあそこは押し切った方が良かった!」

「違うよ。中衛配置すべきだったって!」


 反論するのは宗谷紫織だ。思ったよりも白熱した感想戦に、安代麻紀と寿(ことぶき)遼は置いてけぼりを喰らっている。


「よく言うよ。どっちも誘われた側のくせにさ。ね?」

「…………」


 遼は照れ臭そうに肩をすくめた。


 四人が参加したイベントとは、ふだんは画面越しにしか感じられないゲームを立体化したアトラクションであった。(すめらぎ)重工の協賛ロゴを通り過ぎたところにあるその建物は、四フロアまるごとゲームの舞台に注ぎ込んでいた。

 彼らはある時は作中世界のハンターになり、オペレーターになった。ハンターとはすなわち怪異を狩るものであり、邪悪な波動を探知する機械を持ってこれを見出し、闇夜に屠る。血濡れた手には独自の機関によって造られた魔が(つるぎ)蛇鉾(じゃぼこ)、神去し弓矢を取りて、対峙する。

 オペレーターとはこれらハンターを統括し、位置情報を俯瞰する立場である。使い魔を駆使してときにはハンターと二足の草鞋を履き、背後から迫る敵を斥けつつも、主には怪異の存在を察知して戦略を展開するのだ。


 見る人によってはあまりにも生々しい記憶を呼び覚まさずにはいられないこの光景は、「R15指定」とセットでユーザを制限するが、陰ながらの人気は人知れず、年齢詐称を招くほどでもあったらしい。


 夜の街を模した模型に、実際にヒトとモノを配置し、数手先を読む。決してスマホ越しにはない迫力と躍動感が、ふだんの鬱憤ばらし以上の興奮を少年少女に与えた。

 だから、いつのまにか最初に抱えていた学校をサボっているという罪悪感も、いまではすっかり吹っ切れている。


「くそー、今度は負けねえ。紫織も例の図面覚えただろ? 次は同じミスすんなよ!」

「言われなくても!」


 全く、最初顔を隠してもじもじしていたのはどこに行ったのやら。

 マキは苦笑しながらそう思ったが、口には出さず、手を鳴らして注意を惹いた。


「はい! みんな、まだ時間あるよね? せっかくこうして集まったんだから、カラオケでも行かない?」


 キョトンとする。


「カラオケぇ?」とアキラ。

「なんで?」と紫織。

「いいじゃん! なんとなく。行きたかったから!」

「僕は賛成です」

「え、リョウおまえ」

「次行く時もぼくたち一緒なんでしょ? だったらもっとみんなのこと知りたいです」

「おっ、さすがわかってるぅ」


 マキが遼を肘で突っつく。


「紫織も行こっ」

「う、うん。わかった……」


 こうして成り行きで向かったカラオケだったが、紫織としては内心激しく緊張していたのだった。

 先ほどはつい楽しくて忘れかけていたが、自分と同い年ぐらいの人たちと同じ部屋に居るだけでも身がこわばるほどなのだ。いつ何時背後から消しゴムから飛んでくるかもわからない。侮蔑と好奇の目線がフォークで弄ぶように刺さってくるあの情景──


 それを急に思い出させたマキを、紫織は心ならずも恨みがましく一瞥する。とはいえおかしな話ではある。

 紫織はいまの自分の窮状を知らせたわけでもないのに、どこかでわかってもらえるものだと望んでいたところがある。しかし仮にそのねがいに自覚していたとしても、ハッキリ言語化できたどうかは怪しい。


 彼女の内側には、ただ黒くて液状化した心理の破片がとぐろを巻いて下腹部を刺激しているばかりなのだ。

 その痛みは周期的に訪れる身を絞り出す感覚にも似ていながら、まるで自分自身の内臓が針刺しになったかのように唐突な激痛の連続でもある。こうなったが最後、彼女に備わっていた思考力はなす術を持たずに、ただ感覚の持つ妄念に振り回されてしまう。


 そうなると、どんな正論も耳を貸さない。見るもの聞くもの、全てが敵であるかのような錯覚が、彼女の視界を覆ってしまうのだ。


 世界が赤くなったような気がした。

 あの日──


「ホラ、なにやってんの! こっちこっち!」


 我に返る。その目はここではないどこかを探しあぐねるかのように、一瞬宙空を泳いだものの、すぐに焦点を現実に戻した。


「う、うん」


 既視感(デジャヴ)。わたしは何度こう言い澱んで、忘れようと努めてきたのだろう?

 まただ。また考えている。紫織はまだどこにも行けないまま、その場の成り行きに身を任せていながら、結局なんでいまここにいるのかがわからなくなっていく。


 靴下がずぶ濡れになったかのような浮遊感が蘇る。一歩一歩踏み出していくうちに、化膿した傷口をえぐるようなグチュグチュした感触が背すじを冷たくする。

 ふと周囲を見回すと、勤め帰りなのか、俯いたりイヤフォンを耳に挿したままだったりする老若男女が、自分たちとは正反対の方向に向かって澱んだまま流れ出していた。


 その中では紫織たち少年少女はその群れに逆らうちっぽけな存在に過ぎない。

 ただ、彼らはこのまま帰るだなんて──あんな退屈で残酷で惨めな現実に戻るだなんてまっぴらごめんだった。


 できる限りこの時間を長く楽しみたい。そんな欲望と共謀の絆が、紫織には固くて複雑な結び目を持った思念の凧糸が張り詰めて、自分達の間に伸びているのを見たような気がした。


 その糸が引っ張ってくれているうちは、紫織は手繰り寄せられる。

 日常へ──吸い寄せられる。

 やがてたどり着いたカラオケの個室は、八人がゆとりを持って座れるぐらいの広さで、自分達と大差ない年齢の店員が小首をかしげながら案内してくれた。なけなしの小遣いでフライドポテトとたこ焼きのパーティセットを購入し、おのおのドリンクバーに出掛けては、やれメロンソーダだの、ジンジャーエールだのと好きな飲み物を手に戻る。


「やー、こういうの初めてなんだよね。こないだまで名前しか知らなかったような人たちとこうしてカラオケすんの」

「そうなのか? イマドキふつーじゃね?」

「女のコは、こーゆーの許してもらえないんだよ」


 マキは、怒りまじりに、しかし鼻歌まじりに、知ってる歌いたい曲を選び始める。


 世の中が怪獣、怪獣となってから、変わったことは数えるとキリがない。しかし少なくとも政治や経済に直接縁のない少年少女たちにとってわかる〝違い〟とは、むやみやたらの休校と、友人家族の唐突な不幸と言ったものでしかなかった。

 とはいえ世間のニュースは目を閉じたって耳を塞いだって、身の回りに割り込んでは、「このままじゃいけませんよ」とお節介を焼いてくる。あなたたちの学校は底辺ですだとか、イマドキ大学行くぐらいだったら起業しなさいだとか、もっと言うなら、いまから就職や親の老後のことを考えて行動しないと後悔しますよとか……そういう得体の知れない善意の雨あられが、複数の個人の顔を借りて、ここぞとばかりの自分語りのように決定的な響きを帯びて、降り注ぐのだ。


 そんな現実を歩く傘が、もしあるとするならばそれは自らの言葉を代わってくれる何者か、だったかもしれない。

 ある意味ではタレントであり、アイドルであり、アーティストであり、もしくは架空の物語のキャラクターですらあった。彼らは、善意に包まれて押し迫ってくる「自分の人生を生きろ」といううざったいメッセージを和らげて、自分に代わってそれを成し遂げてくれる存在だった。


 しかも、彼ら自身は自分の言葉でこれを歌った。その()はともすれば誰の口にも転がり込み、そのリズムは誰かの無意識を作り替える。口ずさむ。テンポに乗る。その波長は無数の波紋を呼び、雨に打たれた湖面のようにさざめく。


 空っぽのオーケストラ。そこには歌の形をした自己投影がある。


 安代マキが選んだのは、窒息乙女みうみというアーティスト。曲名は『ダークサイド・ムーン』──それは次のような詞で始まる。


 わたしを月まで連れてって

 なんてもう言わない


 わたしはひとりで月で暮らすの

 酸素も水もここにあるから

 誰の手助けもいらないの

 一人で見つけられるようになるから


 太陽なんて眩しいだけ

 むしろ寒いぐらいがちょうどいい


 世界が暖かくなろうとしないならば

 わたしはひとりで月の裏側へ行く


    ○


「これって半年前のアニメの主題歌?」

「あっそうそう。原作が好きでさ」

「へー、あれ原作あったんだ」

「あるよ。そりゃあ」


 突き放したようにマキは答える。


 次はアキラ。流行のポップソングで、その歌詞にはほとんど意味がない。

 ただリズミカルなテンポに併せて、ビブラートを効かせたり、小躍りしたりするところは、場の空気を柔らかくするのに一役買っていたと言っても良い。


 続いた遼も遠慮がちに男性アーティストの音楽を入れる。みんなが知ってる曲、みんながわかっている曲だ。「懐かしい!」と指差し、合唱しながら、それでもどこか自分達同世代の絆を確かめ合うかのように、互いの顔を見合わせて、曲が終わる。


 ところが、次の選曲──


 カラオケのディスプレイの上部に、『絶望の時代に生まれた僕らは』と表示される。


「Tears like Acid Rainじゃん」とアキラ。

「え? なんて?」とマキ。

「金曜ドラマの主題歌歌ってる人たち。ていうか、これがそう」

「あっ、言われてみれば聞いたことある! えっ、紫織歌うの?」


 うなずく。紫織はマイクを手に取ると、電子音楽が激しく鳴り響く中を、低く重いトーンで、次のような歌詞を歌った。


 あの日から僕たちは変わってしまったんだ

 世界の見方と考え方を

 そんなことを認めたくなくて

 昨日と同じ今日を探している


 明日はない 明後日なんて未来予測

 百年予測とか言いながら

 明日の暮らしもままならぬ


 しょせんは世の中 金か 力か

 あるいは顔か


 絶望の時代に生まれた僕らは

 才能だけを持て余している


 誰のために尽くせばいいの

 愛する相手はどこにいるの


 教えてくれるなら誰でもいい

 正しい希望を教えてください


   ○


 一番だけだった。


「いまちゃんと歌詞見るとすげーこと書いてんな」

「……ドラマでは出てこないけど、わたしはこの二番の方が好き」

「へえ、どんな?」

「ヒミツ」

「ンなもんググればいいじゃんよ」


 パッパッとアキラがスマホで調べる。それからしばらく画面と睨めっこすると、眉をしかめる。


「ホントだ。スゲーこと書いてんな」

「どれどれ……ほー」


 三人はひたいを寄せ合って、歌詞を読む。


「最後のあたりの、『鳩が死肉をついばむ時代に 希望はすべてが胡散臭い』……この辺とかスゲーな」

「デビューアルバム持ってるけど、こんなのまだ軽い方だよ。最初の頃は、雨が降って世の中がめちゃくちゃになっちゃえば良い、みたいなこと歌ってるから」


 もちろん、その〝雨〟とは彼らのアーティスト名の由来となった〝酸性雨(ティアーズ)のよ(・ライク・)うな涙(アシッドレイン)〟のことである。

 紫織はこのアーティストのファーストアルバムに描かれたパッケージをよく覚えている。そこには酸性雨で傷だらけになった金属製の仮面を被った四人組のバンドマンが、わずかに泣いているように見える赤黒い雫を右目から滴らせていた。


 これを見た時、これはわたしだ、と思ったのだ。


 以来、新曲が出るたびに、彼女はアルバムを買った。なけなしの小遣いをカードに課金し、番号を手入力してスマートフォンからオンラインストアでダウンロードする。あとはイヤフォンを付けて、エンドレスリピート。そうして身に沁みた音楽は、それまで自分の中でスッキリしなかったあらゆる感情の、捌け口の一部となっている。


 しかしそんなことは、彼女以外にとってはどうでも良いことだった。だからこの会話はそれまでで終わり、あとは年相応ののど自慢大会が、店員の夜時間を告げる電話が来るまで続いたのだった。

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