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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File2:鼠と龍のパーフェクトゲーム
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4.闇より来たる影

 山崎ひかりは機関室へと続く通路を、帯刀しながら歩いていた。

 足音もなく、物音すらも立てずに、ただよそ風のようにその場を横切る(たたず)まいは、まさしく武芸者のそれだ。


 ただ機械の動く音だけが(かしま)しい。


 腰に()く太刀は、備前(びぜん)長船(おさふね)一門の物。怪異を滅せんがために造られた擬神器のひとつで、通称:水曜刀。又の名を、霧幻(むげん)(おぼろ)長船と呼ぶ。

 (みずち)文を刻んだ鞘に収まっているその刃は、日緋色金(ヒヒイロカネ)で出来てはいるが、実態はそこにはない。あくまで金属は妖力を伝導するための媒介に過ぎず、真の権能は、封じられた分霊にこそある。


 闇龗(くらおかみ)。京都貴船(きぶね)神社に鎮まる雨神の力を得た刃は、さながら馬琴翁の『南総里見八犬伝』における村雨丸のごとき、水流をまとった一撃を放つ。

 その水流を強く細く持てばウォーターカッター並みの斬れ味にまで発展し、弱く広く()けば目眩しの霧に為る。用途次第でいくらでも応用が効くのが、この擬神器の優れた魅力だったのだ。


 いま、山崎ひかりはこの刀の柄を握り、つねに抜刀できる構えに姿勢を変える。その沈黙と緊張は、彼女の第六感にささやきかける脅威の実在を物語っている。


 機関室に入ると、居ても立っても居られないほどの熱気が彼女を襲う。寝癖(ねぐせ)にまみれた髪があおられ、眼鏡が曇る。視界が塞がるのはとても煩わしかったが、かと言って外して歩くほど視力も良くない。

 仕方なくフレームを少し下げて、融通の効く視界を広げる。


 壁一面の管の列が上下動を繰り返す。超音波のような駆動音の連鎖は、さながらパイプオルガンを連想させる。その鉄鋼の鍵盤(けんばん)は海を叩き、その音色は波を切る。計器の類いが楽譜をしたため、複雑なリズムで噛み合いながら嵐の海に浮かぶ交響曲に参加するのだ。

 シンバルのように、ときおり雷鳴が横切った。電灯が明滅し、緑の塗装で覆われた部屋が薄暗がりと光のあいだを往復する。


 そのあわいを、何者かの影が走った。


 おんなのひとみが細くなる。一見すると眠たげにも思える面持ちだったが、漂う気配はその真逆で、汗すら流れるのを忘れるほどの緊張がみなぎっていた。

 慎重に歩を重ね、周囲に開けた場所に出る。つかの間、物陰に隠れることを検討したものの、それでは敵の思う(つぼ)だと勘がささやいた。ひかりは何者にも背を預けず、ただ神経のみを尖らせて、周囲の雑音をていねいに掻き分ける。


 ──この油断も隙もないおんなを見張る、ひとつの影があった。


 雷獣だった。かの妖怪は船室の物陰という物陰を渡り歩き、曇天(どんてん)の闇の下を自由に歩き回っていたのである。

 さいわいにも、機関室の灯りは点滅しがちで、その間隙を突けば動くのは容易かった。光のスペクトルのせいで目がチカチカするのがやや堪えたものの、この部屋には彼の求める獲物の気配が()()強くなっているのだ。


 まだ飢えは完全には満たされていない。隙あらばいつだってその喉笛(のどぶえ)に噛み付いて、一気に食い荒らしてやる魂胆だった。

 しかし今度の相手は手強かった。なによりもまったく付け入る隙がない。隠れているわけでもないのに、いつ先制を取られてもおかしくないほどの殺気と洞察力に富んでいる。


 ひたひたと時間だけが過ぎ去る。暗がりから暗がりにその脚を動かすたびに、おんなのまなざしは的確に雷獣の側を向く。


 ふとおんなが小首をかしげる。それから身をかがめると、なんの前動作もなく、天井のライトを叩き斬った。

 バチンッ! と音とともに光が爆ぜる。その束の間のフラッシュで、雷獣は目を眩ませた。とっさに逃げる。その動きを見逃すまいと、返す刀で(きっさき)を雷獣に差し向けると、すかさず突きの構えを取る。


「次は、ない」


 断言だった。


 ふと我が身を振り返ると、体毛の一部が削ぎ落とされている。光にも等しい速度で移動したにもかかわらず、この反射神経の出来の良さはなんだろう? 雷獣はいま対峙している相手を過小評価した自分を恥じた。そして次の瞬間におのれの渾身を賭ける意志を固くしたのである。

 いっぽう、突き出した腕を引っ込めた山崎ひかりは、次第に鋒を低く持ち、両手持ちの下段に構えなおす。かかとを紙一枚分だけ浮かせて、左足をさげる。その視線は相手を捉えて離さず、一刀両断を可能にする線をのみ、焦点に合わせる。


 さっきやったような手はもう二度と通じない。やるなら次こそは一発勝負。斬るか、喰われるか。その二者択一が迫られる。


 船の機関室が規則的なカノンを奏でる。スクリューが通奏低音となり、ピストンの音色が多重に追いかけっこをする。時に重なり、道を違えてはまた戻る。この繰り返しが、心臓の早鐘と絡まっては、緊張の圧を高める。

 高まった圧力がいずれ解放される瞬間があるように、この(にら)み合いもついにその最後が訪れる。それはしびれを切らした雷獣の一手によって切り開かれた。


 しかし、山崎ひかりにとって、この行動は計算通りだった。

 あえて高めた緊張、油断への戒め。このふたつが、ふたりの戦いを持久戦へと持ち込んだ。もちろんこの戦いで不利なのは人間として妖力が劣り、女性として筋力も劣る山崎ひかりのほうだ。だからこそ彼女は相手に勝ち筋を予見させた。ただこの一点においてのみ、勝てるという見込みを用意したのだ。


 ゆえに、相手の手のうちはいずれは推測できようものだった。

 光の速度で迫る敵。その相手に、対する彼女の刃もまた、閃光のごとく(ほとばし)った。

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