第ⅩⅩⅩⅩⅩⅨ話:糸が何色かはわからない。
ゆっくりとビルの谷間に夕日が沈んでいく。
もう随分と日が長くなった。
その様を眺めながら、小さく溜め息をつく。
とある小さなデパートの屋上。
杏奈は幼い頃から、幾度となくここに来ていた。
(征樹・・・心配してるかな・・・。)
また溜め息。
征樹にどんな顔をして会えばいいのかわからなくて、学校もサボったのに、この数日は考える事は彼の事ばかり。
「な、わけないかぁ~。」
適当なベンチに力なく横たわる。
行儀が悪いが、デパートといっても小さなビルだ。
それにこの夕暮れ、制服姿の彼女の他に人の姿などない。
一体、こんな所で何をやっているのだろう?
杏奈が征樹の事以外で考える事はそれだけ。
(今まで、忘れようとしてたのに・・・。)
だから自分はこれ以上、彼を好きになれない、なってはいけない。
そんな資格は自分にはない。
以前からずっと思っていた、決めていた。
それに今の征樹の周りには、自分よりそれは遥かに魅力的な人間が沢山いる。
「もっと・・・独り占めしたかったのかな・・・昔みたいに。」
昔は自分だけしか話しかける人間はいなかった。
たとえ一方的に話しかける状態でも、楽しくて、何より返事が無くても征樹はちゃんと聞くだけはしていたし、逃げ出したりもしなかった。
それが、ちょっぴり・・・いや、凄く嬉しくて。
でも今は・・・。
(征樹のばか・・・。)
征樹と出会わなかったら、こんな苦しい気持ちを味わう事がなかった。
征樹が、征樹が・・・。
頭の中がそればかりで。
「もぉ、征樹のばぁかっ!」
「馬鹿はそっちだろ。」
ひょいっと杏奈の視界に顔を覗き込むようにして現れたのは征樹だ。
「え?」 「全く無駄に走ったじゃないか。」
やれやれと溜め息をつきながら、自分を見つめる征樹に対して、慌てて立ち上がる杏奈。
突然の征樹の登場にどうしたらいいのかわからない杏奈は再び逃げ出そうと・・・。
「こら、逃げるな。」
走り出そうとした杏奈の腕を、咄嗟に掴みぐぃと征樹は引っ張り自分に向かって引き寄せる。
「あっ。」
「今度逃げられたら、もう探す場所のアテがないんだから、ヤメてくれ。」
もし、それをされたら、今度こそ征樹にはお手上げだった。
「大体、学校だって無断欠席なんだろう?」
「・・・はな・・・して・・・。」 「ん?」
征樹に腕を掴まれるという状況にも驚いたが、その力強さにももっと驚いた。
「ちか・・・い。」
そして、引き寄せられた先が征樹の腕の中という現状は、驚くというより混乱に近い。
「逃げない?」
征樹にしてみれば、杏奈が逃げない為の手段だったのだが、杏奈にしてみれば心臓に悪いだけだった。
コクコクと頷く杏奈を確認して、征樹は渋々離れるが、掴んだ手だけは離さない。
「どうしてココが?」 「秘密。」
「・・・。」
身も蓋もないやり取りである。
「そうだな・・・。」
征樹は掴んでいた手を離すと、その手を杏奈の頬から耳元まで伸ばす。
「どうして髪を切った?」 「・・・ヒミツ。」
そう答える杏奈に微笑むと手が離れる。
それだけで、さっきまでの沈んでいた心が変わってくるのを杏奈は感じる。
「もう暗くなるし、行くよ?」
ゆっくりと促す。
杏奈の髪をじっくりと見る機会を得た征樹は、今度、夕食を作って貰ったお礼に髪飾りでもプレゼントしようかとぼんやり考えていた。
誰が先導するわけでもなく歩いて行く二人。
デパートを出て、目的地を告げずに。
"このままでもいい"のかも知れない。
そう思う杏奈。
けれど、一度絡まった糸は、そうは簡単に解く事は許されなくて・・・。
「杏奈?」
いつもの杏奈を送る帰り道、二人が別れる場所でそう声がかけられる。
「・・・ミツ。」
まさか、杏奈編を書くのがこんなに苦痛だと思わなかったです・・・。




