【ゼノ】魔法使い 2
私がシリルの魔法陣を見つけたのは、まったくの偶然だった。
次代の王の影として仕える運命にあった私にとって、学園生活は極力目立たず、波風を立てずに過ごすべきものだった。
当然、シリルのように人目を引く存在には近づかなかった。それが最善だと信じていた。
学園祭当日も、私は喧騒を避け、静かな図書館の二階にこもっていた。
外では何やら騒ぎ声が聞こえていたが、それも学園祭ならではの雑音としか思わなかった。
──今にして思えば、あのときの私は、あまりにも警戒心が足りなかった。
魔法陣に関する書物を読み進めていたときのことだ。
ふと、ページの間に何かが挟まっていることに気づいた。
何の気なしにそれを引き抜いた私は、次の瞬間、強烈な光に包まれた。
それが、誰かの手で仕込まれた、触れた瞬間に発動する魔法陣だったと気づいたときには、もう遅かった。
光が収まったとき、私は見知らぬ場所にいた。
見慣れない部屋の天井は高く、薄い金色の縁取りが施された漆喰の装飾が目に入った。
足元には柔らかい絨毯が敷かれ、壁には高価そうな絵画と金の燭台が等間隔に並んでいる。
私は思わず近くの窓に歩み寄り、外を覗く。
見えたのは、広く手入れの行き届いた庭園と、その向こうに連なる荘厳な建物の屋根──
──そこは、どう見ても図書館ではなかった。
明らかに、身分の高い貴族の邸宅だった。
今でこそ空間転移魔法陣は実用化されているが、当時は理論しか確立しておらず、それを実現できる魔術師は国内には存在していなかった。
だからこそ、自分がどこか別の場所に転移させられたと理解はできても、その理屈が理解できなかった。
混乱の中で思考を巡らせながらも、私は自分の立場の危うさを理解していた。
表向きは没落した男爵家の出──無断で上級貴族の屋敷内に侵入したとなれば、状況次第で命すら危うい。
ここがどの家なのかはまだわからないが、二階にいるということは理解できた。
階下からは、騒然とした声と足音が聞こえる。
「今の光、二階じゃないか?」
どうやら、魔法陣が転移と同時に発光していたらしい。
すぐに誰かが二階へ上がってくる。
周囲には身を隠す場所がなく、近くの扉を試しても鍵がかかっていて開かない。
呪術を使えば逃げる手もあった。
けれど、あのときの私は冷静さを欠き、ただ「どこかに隠れなければ」という焦りに囚われていた。
──そんなときだった。
「──こちらです!」
誰かに手を引かれた。
小さな、手だった。
部屋の扉が、控えめな音を立ててノックされた。
「お嬢様、少しよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
主の許しを得て、上背のある一人の男が部屋へと入ってくる。仕立ての良い服と身のこなしから見て、上級貴族の従者であることは明白だった。
となれば、この部屋の主は、それ以上の地位を持つ者に違いない。
その主──幼い少女は、大きすぎる椅子にすっぽりと身を沈めながら、机の上に広げられた本を読んでいた。
「先ほど、二階のほうで光が走ったと申す者がおりまして……お嬢様は、何かお気づきになられましたか?」
「わたくし、ずっとご本を読んでいたので、わかりません」
問いかけに対し、少女は本から視線を外すことなく、まっすぐな声で答える。
どうやら彼女が本の世界に没頭するのは日常茶飯事らしい。男は苦笑まじりに一礼すると、「お邪魔いたしました」と静かに退出していった。
足音が遠ざかり、完全に気配が消えたことを確認してから、少女はそっと本を閉じる。
それを抱きかかえるように胸に当て、椅子の脇に置かれた踏み台を使って、ゆっくりと床へ降り立った。
そして迷いなくベッドの裏へと駆け寄っていく。
──そこに、私は隠れていた。
少女に手を引かれるままに案内されたのが、この部屋だった。
彼女は私をベッドの裏へと導き、「静かにしていてください」と、口元に指を添えて囁くと、すぐさま机へ向かい、本を読む“ふり”を始めた。
その直後に、男が現れたのだった。
私は、静かに彼女を見つめる。
艶やかな黒曜石のような髪と、青みを帯びた紫紺の瞳。
三歳ほどの年齢にしてはあまりにも聡明すぎた。
まるで内側に別の世界を抱えているかのような、深く澄んだ眼差し。
少女は、頬をわずかに上気させ、どこか高揚したような気配をまといながら、視線を返してきた。
「君は、なぜ……」
私が問いを口にしようとした瞬間、彼女もまた、意を決したように唇を開く。
「わたくし、知っているのです」
──息が止まる。
彼女は、私が「王家の影」の一族であることを知っている……?
信じ難い思いで、私はその小さな瞳をじっと見つめ返した。
けれど、そこに宿る真っ直ぐな光は、虚言でも戯れでもなかった。
幼いながらも、何かを理解し、何かを選び取ろうとする意志──
まるで運命を知る者のような静けさと強さが、そこにはあった。
私は、迷った。
この少女がどこの令嬢なのかは分からない。
しかし、「影」の存在は、表に出るべきものではない。
たとえ幼い子供でも、もし彼女が私の正体に本当に気づいているのだとしたら──
私は静かに息を吸い、決意とともに拳を握りしめた。
だがその瞬間、少女は勢いよく手元の本を広げた。
思わぬ動きに、私は反射的に動きを止める。
戸惑いのまま視線を落とすと、開かれた本のページに描かれていたのは──
「あなたは、“魔法使い”さんですね!」
少女の声は、確信に満ちていた。
意外と巻き込まれ体質なゼノ。
次回、6/24(火) 19:00更新予定です。
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今回のイラストは、本を抱えて微笑む幼女クラリスです!
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