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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第六章 悪役令嬢の夏休み

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【ゼノ】魔法使い 1

 小さくなったクラリスが、無事に宰相の腕に抱かれて去っていくのを、影越しに見届ける。

 それを確認すると、私は静かに影を消した。


 ──これ以上、立ち入るのは無粋というものだ。


 あの宰相が、あの彼女の言葉に、ほんのわずかとはいえ動揺を見せた。

 しかし、それを揶揄して笑う趣味は、私にはない。


 研究室内には、ランタンの灯りだけが揺れている。

 机の上には、今回の騒動の元となった魔法陣の描かれた紙が広げられていた。

 カンテラの柔らかな光に照らされたその術式は、見る者を圧倒するほど精緻で、構造の一つひとつに寸分の狂いもない。


 ──まさに、”彼”らしい仕事だ。


 右下の余白に、うっすらと消えかけた筆跡が浮かんでいた。

 これを描いた人物の、癖のあるサイン。


 私は小さく息を吐き、その名を口にした。


「ノックもなしに人の部屋へ入ってくるは感心しないな、シリル」


 言葉に応じるように、部屋の隅に銀色の光がふっと浮かぶ。


 気配は完全に消えていた。どうやら隠匿の魔術を施していたようだった。私でなければ、彼の存在に気づけなかっただろう。


 ──そもそも、普通の魔術にそんな術式は存在しない。


 彼は平気で、世の理という枠そのものを歪める。


 この国を守る魔術師団の師団長でありながら、いずれこの国にとって脅威となる可能性を孕んだ異質な存在。

 私は彼を、そう認識している。


 だが──


 残念なことに、彼にはその気がない。

 そして私が彼を“狩る”理由も、今のところは存在しない。


「懐かしい記念品が見つかったと聞いてね! もう、いてもたってもいられなかったのさ」


 こちらの皮肉など、まるで耳に入っていない様子だった。

 シリルは愉快そうに笑いながら、闇の中から滑るように姿を現す。


 先ほどまで気配すらなかったのに、今はわざとらしく靴音を響かせながら、私の背後まで歩み寄ってきた。


 私は椅子に座ったまま、机の上に広げていた魔法陣の紙を、ついと後ろの男に差し出す。

 彼はそれを指先でつまみ取り、喉の奥で楽しげに笑った。


「そうそう、これだよ。まさか図書館に置き忘れていたとはね。自分で隠した場所なんて、覚えていないに決まってるだろう?」


 ……相変わらず、迷惑極まりない男だ。

 やはり、始末してしまった方がいいのかもしれない。


 そんな不穏な思考をよぎらせていると、背後でソファの軋む音がした。

 振り返れば、彼はまるでここが自分の部屋であるかのような顔で、足を組んでふんぞり返っている。


 ──本当に、彼らしい。


「しかもこれを使ったのが、あのクラリス嬢なのだろう? うーん、見たかったな、その姿。実に、見たかった」


 紙片を指先でくるくると弄びながら、シリルはどこか陶然としたように天井を見上げた。


 その仕草に、私はわずかな不快感を覚える。

 そして、なぜそんな感情が湧いたのか自分でも分からず、誤魔化すように彼の手から紙を奪い取ると、そのまま火魔術で燃やした。


 ぱちり、と音を立てて魔法陣が炎に包まれる。

 炭と化した紙片が、ローテーブルの灰皿へと静かに舞い落ちていった。


「酷いな、ゼノ。せっかくの私の作品だというのに」

「効力は切れているとはいえ、誰かが複写して悪用しないとは限らない」


 私が淡々と告げると、シリルは楽しげに唇の端を上げる。


「もし私の魔法陣を複写できる者がいるなら、魔術師団にスカウトさせてもらおうか」


 ──やはり、たちが悪い。


 彼の魔法陣はあまりにも精緻すぎて、熟練の魔術師ですら完全に写し取るのは難しい。

 私にもできないことはないが、数日はかかるだろう。


 それを、彼はたった小一時間で仕上げてしまう。


 ──まさしく、規格外の存在だ。


 その常軌を逸した才覚は、学生時代からまったく変わっていない。


 入学と同時に魔術師団に籍を置いた、前例のない実績が物語るように、彼は誰もが認める魔術の天才だった。

 そして今回の騒動も──その“輝かしい”学生時代の一幕から始まっている。


「もうすぐ学園祭だね。私のように、面白い催しを仕掛けてくれる生徒はいるかな?」


 ──そんなものが現れたら、即刻、排除する。


 私は胸中で苦々しく呟きながら、学生時代から一ミリも成長していない友人を見下ろす。


 そう、あの年。

 彼は一年生のとき、突如として「魔法陣探し」と称する催しを学園内で勝手に始めた。


 当初はちょっとした遊び心として、生徒たちも面白がって参加していた。

 だが、魔法陣の効果があまりにも多岐にわたり、悪質かつ危険だったため、状況は一変。

 教師陣を巻き込んでの大規模な捜索へと発展した。


 問題は、肝心の本人が「どこに何を何枚隠したのか」をすっかり忘れていたことだ。


 おかげで回収は困難を極め、学園中が混乱に陥った。

 最終的に、なんとかほとんどの魔法陣を発動させることなく処理し終えたのは、学園祭の最終日──


 そして、エリューシア学園の歴史上初めて、グランドナイトガラが中止になった年となった。


 当時の惨状が脳裏に浮かび、私は額に指を添えた。


 そう──私は、あのとき──


 黒曜石のように艶やかな髪。

 そして、幼いながらに理知的な光を湛えていた、紫紺の瞳。


 かすかに霞んでいた記憶が、鮮やかな色を取り戻しながら、私の中に静かに広がっていく。


 ……そのきっかけが、またしても彼の魔法陣だったというのは、なんとも皮肉な話だ。


「……用が済んだなら、帰ってくれるかな。私ももう帰る」

「そうだ! このまま食事に出かけるというのはどうだろう? 最近見つけた、いい店があるんだ」


 ……相変わらず、人の話を聞かない……


 私は深いため息をつきながら、帰宅の支度に取りかかった。

 目の前の旧友は、すでに「食事に行く」という選択を勝手に確定させていて、店のメニューについて語り始めている。

 ここまできたら、どうせ私は連れていかれるのだろう。


 ──まぁ、いい。

 彼もどうやら、“本当の目的”は果たしたようだし。

 ならば少しくらい、付き合ってやるのも悪くない。




 ──彼女が魔法陣の光に包まれたその瞬間、私の脳裏に十五年前の記憶が、稲妻のように駆け抜けた。


 一瞬の閃光。だが、それだけで十分だった。


 これは──シリルの作品だ。


 その術式の癖、あの特有の光の波長──見間違えるはずがない。


 ……まだ、残っていたのか。


 憎しみにも似た感情が胸を掠めると同時に、彼女がそれに触れてしまった事実が、私の思考を凍らせた。

 彼の魔法陣は、何が起こるかわからない。下手をすると、このままどこかに飛ばされて、簡単には戻ってこられなくなるかもしれない。


「──クラリス!」


 伸ばした手は、彼女の腕を掴む前に、虚しく空を切った。


 ──また、私のときのように……


 記憶が喉元までせり上がるが、それを振り払うように、私は現場を見つめた。


 そして、光が静かに収束したとき、そこに立っていたのは──


 小さな、子供だった。


 漆黒の髪、紫紺の瞳。その輪郭、気配、すべてが彼女そのものだった。


 ──間違いない。この子供は、クラリスだ。


 けれど、私の思考は事実の裏側で、もっと根深い驚きに呑まれていた。


 彼女が“子供になってしまった”こと以上に──


 私は、“この姿のクラリス”を、知っていた。


 彼女は不安げにキョロキョロと辺りを見渡し、状況が把握できず戸惑っている。

 やがて、私の存在に気づいたのか、そろそろと視線を上げた。


 あの瞳で。

 あの頃と、まったく同じ目で、私を見上げてくる。


「……“魔法使い”さん?」


 ──あのときと、まったく同じ呼び方で。


歩く天災、シリル。巻き込まれるゼノも大変です。

次回は6/20(金) 19:00更新予定です。

果たして“魔法使い”とは何なのか。


Xでは更新連絡やイラストの投稿をしています。

今回のイラストは、ソファに腰掛けてふんぞり返るシリルです!

https://x.com/kan_poko_novel

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◆YouTubeショート公開中!◆
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(※音が出ます。音量にご注意ください)
(本作10万PV記念のショート動画です)

◆スピンオフ短編公開中!◆
 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

◆オリジナル短編公開中!◆
 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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