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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第六章 悪役令嬢の夏休み

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【ルーク】初めての妹 3

「クラリスちゃん、またね」


 小さな姉さんと視線を合わせるように、リナは膝をついて優しく微笑んだ。

 その目尻に溜まった涙を、僕はあえて見なかったことにする。


 けれど、姉さんは何かを感じ取ったのだろう。不意に神妙な表情になり、小さな手をそっと伸ばした。


 その手がリナの首にまわり、姉さんは彼女の肩に顔を埋める。


「……リナと、また会いたいです」


 くぐもったその声は、少しだけ震えていた。

 リナもすぐにそれに気づき、堰を切ったように涙を流し始める。そして、姉さんをそっと、けれど力強く抱きしめた。


 ……まったく。見なかったことにした意味、なかったじゃないか。


「会えるから、絶対。会いに行くから……ちゃんと、会いに行きますから──」


 ──その最後の一言は、きっといつもの“姉さん”に向けたものだ。


 リナは姉さんからそっと離れると、袖で顔を乱暴に拭って、にっこりと笑ってみせた。

 涙でぐしゃぐしゃのその顔は、不思議ととても綺麗だった。


 不安げな表情を浮かべる姉さんを、僕はそっと抱き上げる。

 そして、安心させるように柔らかく微笑みかけた。


「リナとは、明日も会えるよ。だから安心して」


 ──今日のことは、覚えていないかもしれないけれど。


 明日は、いつも通りにやってくる。

 だから、僕らは──いつも通り、明日も一緒だ。




 リナに別れを告げたあと、僕たちは静かに馬車へと乗り込んだ。

 御者は、いつも隣にいるはずの姉さんが見当たらず、代わりに小さな女の子が一緒にいることに、わずかに訝しげな視線を向けてくる。

 けれど「問題ない」とだけ伝えると、彼は黙って手綱を取り、公爵邸へと馬車を走らせた。


 窓から差し込む夕陽が、やけに眩しい。

 カーテンを閉めようと手を伸ばしかけて──ふと、その光景に目を奪われる。


 空は柔らかな茜に染まり、太陽がゆっくりと地平線に沈んでいく。

 まるで、世界が一瞬、止まったかのような、静かな美しさだった。


 隣を見ると、姉さんが眠そうに目をこすっている。

 僕はそっと彼女を膝に抱き上げた。


 小さな姉さんは、半分寝ぼけながらも、僕を見上げてぽつりとつぶやく。


「……お兄さま?」

「……クラリス」


 初めて、姉さんを“名前”で呼んだ。

 クラリスは、何の違和感もない様子で「はい」と頷く。


 ──僕が、どれだけこの名前を、姉さんの“名前”を呼びたかったか。

 彼女は、きっと知らないんだろうな……


 まさか、こんな形でその機会が巡ってくるなんて、思いもしなかった。

 いつもの姉さんにも、こんなふうに名前を呼びかけられる日が来るのだろうか。


 そんな願いにも似た想いが──胸の奥に、じんわりと滲んでくる。


「ほら、夕陽が綺麗だよ」


 僕の言葉に、クラリスは窓の外を覗き込んだ。

 夕焼けの空に目を見開き、感嘆の息を漏らす。


「本当です、きれい……」


 ──うん、綺麗だ。


 夕陽に染まるクラリスの横顔に、いつもの“姉さん”の面影が重なって見えた。


 ……誰よりも、綺麗だ。


 そっとクラリスの小さな手を握る。

 彼女はまだ窓の外に夢中になりながらも、無意識のうちに僕の手を握り返してくれた。


 その手は、暖かい。

 最近の姉さんは、いつも冷たい手をしていたから──

 この温もりが、なんだかとても新鮮に感じられた。


 昔──

 僕が今の姉さんくらい小さかった頃、理由もわからず、ひどく泣きじゃくった夜があった。

 涙が止まらなくなって、声を上げて泣き続けていた記憶だけが、今もはっきりと残っている。


 たぶん、エヴァレット家での暮らしが苦しかったのだろう。

 厳しい課題に押しつぶされそうになって、前の家が恋しくなって、どうしようもなくなって──泣いた。


 その頃の姉さんはすでに、幼いながらも完璧な公爵令嬢として振る舞っていて、感情を表に出すことはなかった。

 僕に対しても厳しく、決して甘える隙など与えてくれなかった。


 ──けれど、あの夜だけは。


 姉さんは無言で僕の隣に座り、手を握って、朝までずっとそばにいてくれた。

 表情ひとつ変えず、ただじっと僕の顔を見つめながら、僕が眠りに落ちるまで、その手を離さずにいてくれた。


 あのときの手のぬくもりが、ふと蘇る。

 胸が熱くなって、今にも涙がこぼれそうになる。


 僕は──

 あの夜の姉さんのように、姉さんが辛いときに寄り添える存在でいたい。

 姉さんの冷えた手を、温めてあげられるような、たった一人の味方でありたい。


 ……もっとも、いつもの“姉さん”が、そんな弱さを見せてくれるとは思えないけれど。


 ふと気づくと、小さな姉さんが、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。

 夕焼けを眺めながら、とうとう眠気に抗えなくなったのだろう。


 僕はそっと笑って、彼女の小さな体が崩れないように、優しく抱き寄せた。




 エヴァレット家に着くと、なぜか父さんが玄関の前で待っていた。


「ただいま、父さん」

「父上と呼びなさい」


 二人の間で交わされる、いつも通りのやり取り。

 僕は堅苦しいのが苦手で、公式の場でない限り、くだけた口調を崩さない。

 それを父さんは毎度のように注意してくる。


 昔は姉さんにもよく叱られたけれど、最近はもう、呆れて何も言わなくなったようだ。

 ……まぁ、社交の場ではちゃんと”完璧な公爵令息”を演じてるんだから、それくらいは許してほしい。


 父さんの視線は、僕の腕の中で眠る姉さんへと向けられている。


 今の姉さんの状況をどう説明したものかと考えていた矢先──

 父さんが、先に口を開いた。


「話は聞いている」


 ……相変わらず、底の知れない人だ。


 一体どこから情報を仕入れてくるのか、まったく見当がつかない。

 とはいえ、一国の宰相という立場を考えれば、それなりの情報網を持っていて当然なのかもしれない。


 それにしても──早すぎる。怖いくらいだ。


 僕の腕の中で、姉さんがもぞりと身じろぎする。

 まだ眠たげに目をこすりながら、前に立つ父さんの姿を視界に収めた。


「……お父さま?」


 姉さんの記憶の中にある父さんは、きっと今より若い姿だろう。

 それでも、元々年齢を感じさせない人だからか、すぐに“父”だと気づいたようだった。


 父さんは何も言わず手を差し伸べ、僕はその手に姉さんをそっと渡す。


「お父さま、お母さまは?」


 ──その言葉に、一瞬だけ、息が詰まる。


 父さんの表情にも、ほんのわずかに翳りが走った。


 ……そうだ。

 この時点では、姉さんの母──セレナ・エヴァレットは、まだ生きていたはずだ。

 だから、姉さんは自然にその名を口にしたのだろう。


 でも──この後、彼女は……


 胸の奥が、じんと痛む。


「……セレナは、まだ体調が思わしくない。だが、心配はいらない」

「……そうですか……」


 姉さんは少しぼんやりした様子で、父さんの肩に頭をもたせかけた。

 そして、小さくつぶやく。


「……お父さま。今日は、とてもすてきな殿方たちとお会いしました」


 ──その中に、僕は含まれていたのだろうか。


 目をこすりながら、姉さんは続ける。


「わたくし……将来は、あんな殿方たちと結婚したいです……」


 父さんの眉間に、かすかな皺が寄る。

 普段ほとんど感情を見せない人だが、今の言葉には、どうやら少し機嫌を損ねたようだった。


「そして……わたくしも、“完璧なしゅくじょ”になって、お父さまとお母さまのような、すてきで、完璧な夫婦に……」


 そこまで口にすると、姉さんは再び静かに目を閉じた。


 ──沈黙が落ちる。


 姉さんの目指していたもの。

 理想としてきた未来。

 その片鱗に触れた気がして、僕はしばらく言葉を失ってしまう。


 父さんも、何も言わなかった。


 この後、姉さんは母を失う。

 その事実を思い出したとき、僕はようやく気づいたのだ。


 今の姉さんと、いつもの姉さんの“違い”の正体に。


 ──感情を素直に表に出す姉さん。

 ──感情を押し殺し、完璧であろうとし続ける姉さん。


 その分かれ目が、きっとこの出来事だったのだ。


 そして今、目の前で沈黙を守る父さんも──

 同じように、完璧であるために感情を押し殺しているように見えた。


「……もう遅い。お前も夕食を取って、早く休め」


 それだけを言い残し、父さんは姉さんを抱いたまま背を向けて歩き出す。


 二人の背中を見送りながら、僕は気づく。


 ──僕とあの人たちの間には、越えられない壁があるのかもしれない。


 胸がきゅっと痛んで、僕は黙って拳を握りしめた。


思春期らしく、色々と複雑な感情を持っていますが、姉への思慕はずっと変わらず──

ただ、そばにいたいと願ってきました。

そんなルークの思いが伝われば嬉しいです☺️


次回はセノ視点、6/17(火) 19:00更新予定です。

ゼノ推しの皆さん、お待たせしました!


Xでは更新連絡やAIイラストの投稿もしています。

今回のイラストは馬車でのひととき。夕日に照らされる二人が印象的です。

https://x.com/kan_poko_novel

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◆スピンオフ短編公開中!◆
 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

◆オリジナル短編公開中!◆
 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
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