【ルーク】初めての妹 1
……さて、これは一体どういう状況なのかな。
「可愛すぎる……! まさに王子様とお姫様!!」
ルーセントホールの扉をくぐった途端、リナの咽び泣きが耳に飛び込んできて、僕は思わず回れ右したくなった。
隣では、会場設営の責任者を務めるノア先輩が、明らかに理解不能といった表情でリナを見つめている。
……うん、その反応、すごく正しいと思う。
今日は僕だけ遅れて現地集合になった。父さんの仕事の手伝いで、公爵邸に残っていたからだ。
学園祭の締めくくりであるグランドナイトガラの会場視察──それが、今日の生徒会の仕事だった。
だというのに──
どうして、到着したらアレクシスが一人で踊ってるんだろう。
しかも、目を潤ませながらそれを見ているリナ。感動の涙まで流しているとか、謎が深すぎる。
さっぱり事情が見えない僕は、状況を整理するために姉さんを探す。姉さんは僕より前に公爵邸を出て、リナの個別指導にも付き添っていたはずだ。
──しかし。
いつもならリナのすぐ傍にいるはずの彼女が、見当たらない。
「……姉さんは?」
胸の奥がざわつくのを感じながら、僕は周囲を見渡す。
そこでようやく、アレクシスが“誰か”を抱いて踊っていることに気づいた。
その瞬間──雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けた。
「──姉さん……?」
アレクシスの腕の中にいるのは、小さな──本当に小さな、三歳ほどの女の子。
黒曜石のように艶やかな髪。深い紫紺の瞳。その瞳がアレクシスを見上げ、楽しげに揺れている。
一見すれば、王太子がどこかの子供にダンスを教えている、微笑ましい光景。
──だけど違う。違うんだ。僕にはわかる。
あれは、”姉さん”だ。
どうしてそんなことになっているのか、理解はまったく追いついていない。
それでも、間違えるはずがなかった。どれだけ姿が変わろうと──
僕が姉さんを見間違うなんて、ありえない。
曲が終わり、会場には割れんばかりの拍手が広がった。
視線の端で、リナが全力で拍手を送っているのが見えたが、今の僕にはどうでもいい。
僕は足を踏み出す。ゆっくりと、ホールの中央へと向かって。
リナがアレクシスたちのもとへ駆け寄り、三人で何かを話し始めた。
どうやら、僕の存在には気づいていないらしい。死角に入っているのだろう。
「大丈夫だ。君は、お姫様になれる」
アレクシスの、あの整いすぎた顔に満面の笑みが浮かぶ。
そして、その視線の先には──彼の言葉を理解できず、首を傾げながら彼を見つめる、小さな姉さん。
──まずい。これは本当に、まずい。
「君は、私の婚約者だ。つまり──」
……その先は、言わせない。
気づけば、僕は歩みを早め、彼の肩を強く掴んでいた。
「──知らなかった。アレクシスって、幼女趣味だったんだね?」
突然肩を掴まれたことと、僕の言葉に驚いたらしいアレクシスが、目を見開いて振り返る。
「ルーク!?」
「姉さんという完璧な婚約者がいるくせに、こんな小さな子に“婚約者”だなんて嘘をつくなんてさ。幼女趣味って言われても、仕方ないよね?」
「いや、それは──」
何か言い訳をしようとしたアレクシスだったが、すぐに言葉を失った。
もちろん、貴族社会では年の離れた婚姻も珍しくはない。だが、それはあくまでも互いが成人してからの話だ。
こんなにも幼い子どもと“いい雰囲気”になっている王太子なんて──どう見ても醜聞の元にしかならない。
おそらく、この子は姉さん本人なのだから誤解だ、とでも言いたいのだろう。だが、その真実は、どうやら周囲には伏せているらしい。
「え、えっと、ルークくん? その子は、クラリス様の……その、親戚で……」
リナが視線をあちこちにさまよわせながら、必死にフォローを入れる。
アレクシスの腕の中では、小さな姉さんがきょとんとした顔で僕を見つめていた。
──なるほど、大体の状況は察しがついた。
何も言い返せず、引きつった顔をしているアレクシスには悪いが、だからといって──姉さんがこんな姿だからといって、好き勝手されていいわけじゃない。
「──ああ、もちろん知ってるよ。姉さんの“親戚”ってことは、僕の“親戚”でもあるからね」
微笑みを浮かべながら、僕は自然な流れでアレクシスの腕から姉さんを奪い取った。
小さな体は、驚くほど軽く、僕の腕の中にすっぽりと収まる。
戸惑いながらも、姉さんが僕を見上げる。
深い紫に、かすかな青を含んだ瞳──やっぱり、間違いようがない。
これは、僕の“姉さん”だ。
「あの……?」
「迎えに来るのが遅くなってごめんね。一緒に、公爵邸に帰ろうか」
不安にさせないようにと、僕はできるかぎり優しく、柔らかな笑顔を浮かべて姉さんを見つめる。
すると小さな姉さんも、つられたようにふわりと笑った。
──えっ……
まさかの反応に、驚いたのは僕の方だった。
この姉さんは、きっと僕と出会う前の姿だ。そして今の彼女は、どうやら僕のことをまったく覚えていないらしい。
僕が初めて出会った頃の姉さんは、幼いながらも完璧な公爵令嬢だった。
その表情に、感情の揺れなど一切見えなかった。
けれど今の姉さんは──嬉しさも、戸惑いも、そのまま顔に出てしまっている。
感情という感情を、まっすぐに映し出す。
……これは、まずい。
アレクシスが調子に乗った理由が、なんとなく分かってしまった気がした。
姉さんの知らない一面を垣間見てしまったようで、胸の奥にわずかな罪悪感が芽生える。
けれど、それを上回るような、言葉にしづらい高揚感が込み上げてきた。
──いけない、落ち着け。
動揺を悟られないよう、僕は努めて穏やかな笑顔を浮かべる。
「じゃあ、僕らはもう帰るから」
「お、おい──」
「リナも来てくれる? あとはアレクシスに任せれば大丈夫だよ」
「え? あの、えっと……」
二人は戸惑いながらも言葉を探していたが、僕は話を打ち切るように背を向けた。
アレクシスも、公衆の面前で“幼女趣味の王太子”の烙印を押された今、下手に食い下がれば、本当にそうだと誤解されかねない。自身の立場を考えれば、ここは黙って引き下がるのが最善だと彼もわかっているのだ。
たぶんこの後、顔を引きつらせながら周囲に必死で言い訳をすることになるだろう。……まぁ、それは彼の問題だ。
リナが慌てて駆け足で追いついてくる気配を背に感じながら、僕たちはルーセントホールを後にした。
ルークの姉に対する嗅覚がすごすぎる件。
果たしてアレクシスは、ロリコン王子の汚名をすすぐことができるのか(笑)。
次回は6/10(火) 19:00更新予定です。
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今回のイラストは、困り顔のアレクシスと悪い顔をしたルークです!
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