【アレクシス】素直な気持ち
──素直な気持ちを伝えるというのが、どういうことかよくわからない。
クラリスは入室後、いつも通り完璧な所作でお茶会への招待に対する礼を述べた。ゆっくりと顔を上げた彼女を見て、私は言葉を失った。
──綺麗だった。
普段、学園以外で顔を合わせる機会が少ないため、彼女のドレス姿を目にすることはほとんどない。もちろん、王国記念式典など公の場で正装する彼女の姿は何度か見たことがある。けれど、今日の彼女はそのときとはまるで違う雰囲気を纏っていた。
淡いラベンダー色のドレスに身を包んだ彼女は──息を呑むほどに綺麗だった。
思わず見とれてしまい、彼女に訝しげな視線を向けられたが、なんとか正気を取り戻して席を勧める。
彼女が正面に座った途端、胸が妙に詰まるような感覚がして、思わず目を逸らした。このままではいけない。母に言われた言葉を思い出し、必死に口を開く。
「……今日の君のドレスは……その、よく似合っていると思う」
──顔が赤くなるのがわかる。何をしているんだ、私は……
しかし、私の努力も虚しく、クラリスから返ってきた反応は呆れるほどに鈍いものだった。
いつも通りの彼女に半分安堵し、半分落胆しながら、先日父から与えられた課題を思い出す。
「劇の成功」──それが今回の課題だった。一言で言えばそれだけだが、その裏にはいくつもの意味がある。
王太子として完璧な演技をすることは当然の前提であり、共に舞台に立つ者たちにも同じ完璧さが求められる。
もちろん、私とクラリスが息の合った演技を見せることも含まれている。私が抱えるこの複雑な感情をどう処理し、劇を成功に導くかを試されているのだ。
──絶対に面白がっている……
王として次代の育成を考えているふうを装っていたが、父は明らかに私とクラリスの関係がどう転ぶのかを楽しんでいる。母も呆れた顔で父を見ていた。
とはいえ、王の命令は絶対だ。私はこの劇を何としてでも完璧に仕上げなければならない。
一緒に練習をしようと誘おうとして言葉に詰まったものの、彼女が私の意図を汲み取ってくれたおかげで、私たちは共に脚本を見返し始めた。
それぞれのシーンでどのように立ち振る舞うかを話し合いながら、私はふと彼女の顔を盗み見る。
初代国王エルヴィンの伴侶、王妃ローゼリアは、芯の強い女性だった。民を守るために心を尽くし、自ら剣を執り、王の横に並び立った。
──クラリスのようだと思った。
きっと彼女も、誰かの後ろに立つのではなく、隣で共に歩む存在になるだろう。
私は──自分の隣には、彼女にいてほしいと思う。
それが今の私の、彼女への素直な気持ちだ。
だが、それをどう伝えればいいのかわからない。母の言っていたように、そのまま伝えるというのが、私には難題だった。
目の前に開かれている脚本は、最後のシーンに到達した。
エルヴィンがローゼリアを救い出し、戦いの中で彼女に思いを伝えるシーンだった。
「私はお前を守る。これからも、ずっと──」
一瞬のためらいの後、彼は告げる。
「お前の隣に在ることを、許してほしい」
自分についてきてほしいわけでもない。自分を支えてほしいわけでもない。
ただ、隣に在ることだけを望んだ。
私は顔を上げた。目の前には、脚本に視線を落として文字を追っているクラリスの顔があった。
黒曜石のような艷やかな黒髪が彼女の顔に影を落としている。淡い朱色の唇が時折開き、脚本のセリフを紡いでいく。
私の視線に気づいたのか、彼女が顔を上げた。紫紺の瞳と目が合う。
「……私は」
自然と言葉が口から漏れた。エルヴィンのセリフと自分の気持ちがカチリとはまり、私は自分の気持ちを口にすることができるような気がした。
「私は、これからも、君の隣に在ることを許してほしいと思っている」
──そうだ。
初めての出会いから十三年が過ぎた。
私は彼女をライバルとして扱ってきた。彼女が一歩前に出れば、私はそれを追い抜こうとする。私が一歩先に行けば、彼女は必ず私を追い越して前に出る。
彼女はずっと、私の隣にいてくれていた。
王太子という立場上、私は常に先頭に立たなければならない。いずれ国王になる身なのだから、当然だ。
それがどれだけ孤独な戦いであろうと、私はそれを受け入れなければならない。
だが、私はずっと、孤独ではなかった。
彼女がいてくれた。
彼女が隣にいてくれたおかげで、私はずっと、前を向いて歩き続けることができた。
「……アレクシス様?」
クラリスの表情に、わずかだが動揺が見られた。少しだけ見開かれた瞳が、私を凝視する。
私は目をそらすことなく、その瞳を見返す。
──しばしの沈黙の後、クラリスが先に視線をそらした。口元を片手で押さえ、少し視線を彷徨わせる。
私はゴクリと息を呑む。彼女からの返事を聞きたくて、でも聞きたくなくて、この場を逃げ出したい衝動に駆られる。
彼女はしばらく逡巡し、言いにくそうに口を開いた。
「……大変申し上げにくいのですが」
私はその前置きに、背筋が凍るのを感じた。彼女に拒絶されると確信し、震えそうになる手を必死で握り込む。
だが、逃げるわけにはいかない。私は──結果を受け止めなければならない。
「エルヴィン様は、ローゼリア様を“君”とはお呼びしておりません」
──一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
彼女からの拒絶の言葉に身構えていた私に、彼女の言葉はまったく入ってこなかった。
彼女は視線をそらしたまま続ける。
「アレクシス様が女性を“お前”とお呼びしないことは存じておりますが、エルヴィン様は元々地方の一領主なので、もう少しお言葉を崩されたほうがよいかと……」
……彼女は何を言っているんだ?
私は彼女の言葉が理解できず、混乱した。
“お前”とか“君”とか、何の話だ?
そこまで考えて、私はようやく理解した。
クラリスは私が、脚本のセリフを間違えて読んだのだと勘違いしたのだ。
私の言葉が、彼女自身に向けられた言葉だと思わず、私がセリフを間違えたことを、どう指摘しようか困っていたのだ。
私は愕然とした。愕然とすると同時に、全身の力が抜けるのを感じた。
もう王太子としての威厳を保っていられず、前のめりに突っ伏すことしかできなかった。かろうじて両手を握り締め、額を支えて崩れ落ちないようにする。
「クラリス様。本日は殿下もお疲れのようでございます。お茶会はお開きにいたしましょう」
執事のヴィクトルがクラリスの前に進み出て、お茶会の終わりを告げた。
そこで私は、自分たちが二人きりではなかったことを思い出す。慌てて周囲を見回すと、私がクラリスと共演したくないという誤解を聞いたときの母と同じような、生暖かく、どこか同情めいた視線がこちらに注がれていた。
──今度こそ逃げ出したい。
ヴィクトルの言葉に、クラリスは「承知いたしました」と静かに答えて立ち上がり、私に向かって帰りの挨拶をする。私は半ば放心状態でその声を聞いていた。いつも通り、冷静な彼女の声を。
彼女が頭を垂れると、艶やかな黒髪がさらりと前に落ちた。その隙間から覗いた耳が、かすかに赤く染まっているのを見て、私は息を呑む。
白磁のように白い肌に映える赤色が、目に焼き付いて離れない。
クラリスは何事もなかったかのように顔を上げ、侍女と護衛を連れて部屋を後にした。
「殿下。新しいお茶をお持ちいたします」
彼女の背を呆然と見送る私の耳に、ヴィクトルの言葉が遠くで響く。
──赤かった。
無表情を崩さない彼女が、耳だけは赤くしていた。
私はソファの背もたれに身を預け、押し寄せる脱力感に目を閉じる。それでも心臓だけは早鐘を打って騒ぎ立てていた。
──少しは期待してもいいんだろうか……
自然と緩む口元を押さえながら、私は天井を仰いだ。
そんなにクラリスのことが好きだったのか……と、自分でもびっくりしてるアレクシスです(笑)。
ずっと一緒に育ってきたからこその想い、ようやく少しずつ見えてきました。
アレクシスファンが増えてくれたら嬉しいです!
次回はルーク回。クラリスがお城に呼ばれたことに、黙っていられない彼が動きます。
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