【アレクシス】課題
それは、父王の何気ない一言から始まった。
「学園祭の準備はどうだ」
王宮の食堂に静かな食器の音が響く。白亜の壁に囲まれた広々とした空間に、厳かな雰囲気が漂っていた。テーブルには豪華な料理が並び、母も穏やかに食事をとっている。
私は一度カトラリーを置き、背筋を正して父の問いかけに答えた。
「はい。あと三ヶ月ありますが、夏季休暇もございますので、休暇が始まるまでには学園祭のプログラムを確定させる予定です」
七の月の終わりにある定期テストを終えると、学園は夏季休暇に入る。エルデンローゼ王国の王都の夏は厳しく、大半の貴族は避暑地へと移動する。だが、学園祭で企画を持っている者は王都に残り、準備を進めることが多い。
私やクラリスを始め、生徒会の面々も学園祭の準備のため、王都に残ることになるだろう。彼らを監督する役割の人間が必要だし、処理しきれない仕事も山積みだ。エリューシア学園の生徒会は強い権限を持つ代わりに、その業務量は下手な文官よりも多い。
父は鷹揚に頷くと、私を真っ直ぐに見据えた。
「そうか。私たちも見学に行くから、励みなさい」
「はい」
私は短く答え、再びカトラリーを手に取る。父の隣では、母が楽しそうに微笑んでいた。
彼らもエリューシア学園の卒業生だ。私やクラリスと同じく生徒会役員を務めていたと聞いている。当時の生徒会には、現宰相や騎士団長も在籍していたという。まったく、とんでもない世代だ。
「──ところで、お前とクラリスは劇の主役を務めるそうだな」
──カシャン。
手にしたナイフを取り落とす音が、静寂に響いた。しかし、私は何事もなかったかのようにカトラリーを持ち直し、顔を上げる。
「……よくご存知ですね」
私の反応に、父は満足そうに微笑んでいる。それは、私を試すときに見せる表情だ。私と同じ青い瞳が、鋭くこちらを見据えている。
──なるほど、これが今日の本題か。
どこから情報を仕入れたのかは知らないが、父は私がクラスの劇に参加することをすでに把握しているようだった。通常、生徒会の役員はクラスの催しには関与しない。それなのに父が知っているということは、誰かが吹き込んだに違いない。忌々しい。
「まぁ、そうだったの? 劇のテーマは何かしら?」
母は穏やかな微笑みと共に、無邪気に尋ねてくる。私は内心ため息をつきながら、仕方なく答えた。
「……『エルデンローゼの誓い』です」
私の答えに、母は「あら」と口元を押さえた。
「わたくしたちのときと同じなのですね!」
「──え?」
思わぬ言葉に、私は訝しむように両親を見やる。父は静かに頷くと、母の言葉を引き取った。
「ああ。私たちが学生の頃と同じだな」
私は愕然とした。
どうやら、父と母も学生時代、生徒会に所属しながらクラスの劇に参加していたらしい。そして、その演目が「エルデンローゼの誓い」だったという。
──なんて偶然だ……いや、本当に偶然なのか?
生徒会長と副会長として学園を仕切りながら、同じクラスで劇に出演し、そして初代国王と王妃役を務めた──私とクラリスがやろうとしていることと、一緒ではないか。
誰かが裏で糸を引いていると言われても、私は驚かない。
父は国民の利益を最優先に考える、理想的な国王だ。政治的な手腕も盤石で、交渉術や外交戦略にも長けている。私はそんな父を尊敬している。
しかし、父は私を「次代の王として育てる」ためと称し、日々さまざまな課題を課してくる。ただ、その課題のすべてが王として必要なものかと言われれば疑問が残る。ときには私をからかうような内容もあり、真面目に受け止めていたら馬鹿を見ることもあった。
今回の課題は何なのか──警戒しながら父の様子を窺っていると、彼は静かに口を開いた。
「しかし、お前はクラリスとの共演を嫌がっているようだな」
「──なっ……」
不意打ちのような言葉に、思わず声を上げる。母も驚いたように目を丸くしていた。
「あら? わたくし、てっきり……」
頬に手を当てながら、首を傾げる母に、父は唇の端をわずかに上げながら続ける。
「一緒に練習するのを拒んでいるらしい」
「まぁ……」
母は気遣わしげにこちらを見つめる。その視線が妙に生暖かく、余計な誤解を生んでいることを確信した私は、慌てて訂正した。
「なんですか、その誤解は!」
思いもよらない方向に話が進んでいることに、私は内心、頭を抱えたくなる。
確かに、クラリスにそう誤解されていることは自覚している。少し前までの私たちは、婚約者でありながら、完全なライバルだった。互いに競い合うことはあっても、恋愛感情を抱く関係ではなかった。それが私たちの共通認識だった。
だが──
ある時を境に、私の中で彼女の存在が変わった。
今の私にとって彼女は──認めるのは悔しいが──“恋愛対象”なのだろう。
五歳の頃からの付き合いであり、今さら彼女に愛を囁くのも何か違う気がする。しかし、自分の気持ちを自覚してから、私は少しずつ彼女との距離を縮めようとしていた。
建国祭の王国記念式典では、彼女が私の婚約者──しいては次代の王妃であることを国民に示したし、公式の場でもできるだけ彼女のそばにいるようにしている。そのたびにルークに邪魔をされるものの、今までの私の行動とは天地がひっくり返るほどの変化があるはずだ。
先日も、訓練区域で彼女が力を使い果たし、立てなくなった際、生徒たちの前で彼女を抱えて歩いた。周囲の視線が何を物語っていたかは明白だった。誰もが、私たちの関係を形だけではなく、感情を伴うものだと認識していた。
──なのに。
なぜ彼女には伝わらないんだ……!
劇の主役を打診されたときの会話を思い出し、私は喉の奥に苦いものを感じた。
「不本意」と言ったクラリスにとって、私の存在は昔と何も変わっていないらしい。
私が劇の主役を渋ったのは決して彼女と共演したくないからではない。だが彼女はそう解釈し、私に気を遣って練習すら最低限でいいとのたまった。
彼女の中の私は、未だに「婚約者という名のライバル」でしかないらしい。
──私は、なんとも思っていない相手を抱きかかえて、学園中を歩くような酔狂な男ではない!
眉間にシワが寄るのを止められない。そんな私の様子を見て、母が静かにため息をついた。
「……どうして殿方という生き物は、言わなくても伝わると思うのでしょうね」
彼女はちらりと自分の夫に視線を向ける。父はその視線を避けるように、明後日の方向を見やった。
母の視線はそのまま私に戻ってくる。
「アレクシス。態度だけでは……気持ちは伝わりませんよ」
母の薄い水色の瞳に見つめられ、私は困惑する。
母の言っていることが理解できない。なぜ態度で気持ちが伝わらないのだ。見ていれば明らかではないか。
物わかりの悪い息子に、母は諭すように続けた。
「言葉にすることを厭ってはいけません。特に、これまでの関係を変えたいと願うのであれば、はっきりと言葉にしなければ、そのきっかけさえ掴めませんよ」
私は息を呑んだ。
確かに、私たちの今までの関係を考えれば、今さら態度を変えたところで、彼女を警戒させるだけかもしれない。何か裏があるのではないかと思われて終わりだ。
しかし──
「……何を言ったらいいのか、わかりません」
思わず弱音が口から漏れた。母の目がわずかに見開かれ、次の瞬間には優しく細められる。
「……あなたの素直な気持ちを、そのまま伝えればいいのですよ」
私は母の目を見返した。国民から「慈愛の花妃」と呼ばれ慕われる母は、たおやかに微笑んでいる。
隣で成り行きを見守っていた父が、カトラリーを置いて私を見据えた。
「よし、私から一つ、課題を出そう」
──凄みのある笑顔を浮かべた父に、私は嫌な予感しかしなかった。
国王夫妻も学生時代に色々あった模様。
父王は自分のことを棚に上げて、息子の葛藤をニヤニヤしながら眺めています(笑)。
次回「お城に行こう」では、困った人物とお城で遭遇します。
4/25(金) 19:00更新予定です。
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