【ゼノ】孤独な戦い
クラリスが弟と共に帰路につく姿を、影越しに静かに眺めていた。夕日が彼女たちの背を照らし、長い影が地面に伸びている。
今日の出来事を思い返しながら、私は口元に薄い笑みを浮かべた。
最近、予想外の出来事が次々と起こり、退屈とは無縁の日々を送っている。それが心地よい刺激となり、日々の色を鮮やかにしていることを否定できない。
視線を自らの手に落とす。彼女の滑らかな肌の感触が、指先にまだ残っているようだった。その記憶が鮮明によみがえり、唇の端が自然と弧を描く。
香の力で催眠状態となった彼女から得られた情報は、非常に興味深いものだった。
「封印の鍵」の力。「古代の神」と呼ばれる存在を封じることで、世界を救う可能性を秘めた力。
「古代の神」は学園祭の後にその姿を現し、国を混乱の渦に巻き込むという。しかし、長き封印の影響で完全な復活には至らず、「封印の鍵」の力を用いれば再び封じることができると彼女は語っていた。
魔術結界のほころびに対して、彼女があれほど神経質になっていた理由が、ようやく腑に落ちた。彼女の想定では、学園祭の後に顕現するはずの神の力が、予定よりも早くその片鱗を見せた可能性があるということだ。
私が協力を申し出たときの彼女の表情が、ふと脳裏に浮かぶ。
私は彼女に手を差し伸べた。そして彼女は、その手を取った。
──深い安堵の色をたたえた、あの表情。
彼女は、あれほど大きな秘密を一人で抱え込んでいたのだ。何も知らない人々の中で、その重圧に耐え続けてきた。どれほどの苦しみだったのだろうか。
その感覚は、私にも覚えがあった。
「王家の影」として、決して表に姿を現すことなく、影に潜み、静かに国を護り続ける存在──それが私だ。
──彼女もまた、孤独な戦いを強いられていたのだろう。
私は目を閉じ、静かに息を吐いた。
──クラリス・エヴァレット。
彼女の名前を心の中で静かに呼び、ゆっくりと瞼を上げた。
誰も知り得ない情報を持ち、未来の出来事まで見通している。その存在はただの公爵令嬢などではあり得ない。彼女の中には何かが潜んでいる。それが何なのか──私はどうしても知りたかった。
彼女の中に秘められたもの。それを解き明かすことは、この国を守るためにも必要なことだ。だが、それ以上に──彼女自身の存在が私にとって興味を引かずにはいられなかった。
だからあのとき、私は更に一歩踏み込んだ問いを彼女に投げかけた。
──君は一体、何者なのか──?
その問いに、催眠状態だった彼女の体が一瞬小さく震えた。それから、ゆっくりと目を開く。意識が戻ったのかと身構えたが、その瞳が焦点を結んでいないことを確認し、そうではないと悟る。
そして次の瞬間、目にした光景が私から言葉を奪った。
──金色に輝いている。
普段の紫紺の色はどこにもなく、ただ静かに燃えるような金の光が宿っていた。その瞳には何も映っていない。まるで深い眠りの中で、別の存在に支配されているかのようだった。
彼女の唇が、ゆっくりと動く。その動きは儚くも確かで、何かを伝えようとしているのが分かった。
「──」
囁きのような声が耳に届く。
だが、私にはそれが理解できなかった。いや、言葉はわかる。だが、それが何を意味しているのかがわからなかった。
その瞬間だけ、彼女の存在が何か別のものに変化していたように感じられた。その変化が、彼女が口にしたものの影響なのか──確信は持てない。
彼女は再び目を閉じ、深く静かな眠りの中に沈んでいった。その金色の光は消え、いつもの紫紺が瞼の奥に戻ったことを、私は確信する。
その後、どれほど問いかけても、彼女から返答はなかった。ただ、疲れ切ったような様子で微かに身じろぎするだけだった。
──私は深い嘆息を漏らし、目を細めた。
結局、自分が最も知りたかった情報──彼女の本質に迫る核心──には届かなかった。それでも、彼女の中に潜む謎の一端に触れることができただけでも十分だ。
焦る必要はない。彼女と私は協力関係を築いた。これから幾度も彼女と交わる機会があるだろう。その過程で、彼女という存在を少しずつ解き明かしていけばいい。
クラリス・エヴァレット。彼女がどのような道を選び、その先に何を見据えるのか。そして、その未来がどのような結末を迎えるのか。
──それを見届けることこそが、私にとって何よりも興味深いものとなるだろう。
私は椅子から立ち上がった。無駄のない動作で、身支度を整える。
研究室を出ると、辺りはすでに静寂に包まれていた。
湿り気を帯びた初夏の夜風が頬をかすめる。日中の熱がまだ空気に残り、風は涼しさというより柔らかい温もりを纏っていた。
影が私を包み込み、私はその中に溶け込むように歩き出す。
──これからが楽しみだ。
クラリスは観察対象から研究対象に格上げ?されたようです。
次回は4/4(水) 19:00更新予定です。
来週からは火、金の週2回更新になります。
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