込み上げる不安 2
結局、私は医務室までアレクシスに運ばれてしまった。
校舎に入る前に「自分で歩けます」と必死に抗議したが、完全に無視され、そのまま医務室まで直行された。なんという屈辱。
医務室の扉をくぐると、そこでは医務室の先生とライオネルが何やら話し込んでいる最中だった。私たちに気づいた二人は、揃って目を丸くする。
「クラリス殿……?」
ライオネルの視線が、アレクシスにお姫様抱っこされた私へと向けられる。動揺のあまり彼の声が掠れているのがわかる。お願いだからそんな目で見ないでほしい。これ、なんて羞恥プレイ?
「クラリス様、大丈夫ですか!?」
呆然としているライオネルの背後から、腕に包帯を巻いたリナが飛び出してきた。その姿を見た私は、思わず目を見開く。
「リナ!?」
魔物に吹き飛ばされ、ぐったりしていたはずのリナが、目の前で元気そうにピンピンしている。確かに腕の裂傷は治療されているが、木に激突して重傷を負ったはずの彼女が、こんなに普通でいられるなんて。
アレクシスが私をそっとベッドに下ろすと、リナが勢いよく近寄ってきて、私の肩を掴んだ。
「私、クラリス様に助けていただいたって聞いて……お怪我はありませんか!?」
「あ、あなたこそ……」
動揺を隠しきれず、リナの頬に手を触れる。目立ったケガはほとんどない。切り傷が少し残っている程度だ。
「私は大丈夫です! ちょっと筋肉痛みたいに体中が痛いですけど、こんなの、一晩寝たら治ります!」
──き、筋肉痛? 寝たら治る??
あまりのことに呆然としていると、医務室の先生が柔らかい口調で説明してくれた。
「彼女の言っていることは本当ですよ。骨に異常はありませんし、関節もスムーズに動いています。腕の傷も浅かったので、傷跡も一ヶ月もすれば目立たなくなるでしょう」
「治癒魔術を使うまでもありませんでしたよ」と彼女は肩を竦める。
医務室の先生の穏やかな言葉を聞きながらも、私はまだ信じられずにいた。リナの元気さと、「筋肉痛」という言葉の違和感が、頭の中で何度も反芻される。
この子の体力……どうなっているの?
一度ステータスを数値化して確認したい。絶対に体力と回復力がカンストしているはず。末恐ろしい。
私が黙り込んでいるのを不安に思ったのか、リナがそっと顔を覗き込んでくる。エメラルドグリーンの瞳が、心配そうに揺れていた。
その視線に応えるように、小さくため息をついて彼女の柔らかな髪をくしゃりと撫でる。リナはくすぐったそうに目を細めた。
「あなたが無事で、良かった……」
──あのとき。
ぐったりとして動かなかったリナの姿を見た瞬間、私は自分の奥底から湧き上がる、得体の知れない感情に呑まれた。
絶望、後悔、懺悔──
あれが何だったのか、今でもわからない。ただ一つ言えるのは、その感情が私を完全に支配したこと。あの感情に呑み込まれた瞬間、私は自分の力を制御する術を失っていた。
冷静沈着で完璧な悪役令嬢が聞いて呆れる。
でも、今は素直に喜ぼう。リナが無事で本当に良かった。
ふと気づくと、リナがぽかんとした顔で私を見つめている。その隣に立つアレクシスも目を見開いて固まっていた。
何があったのかと視線を巡らせると、少し離れたところでライオネルが口元を押さえながらこちらを見ていた。その隣に立っていた医務室の先生は、面白いものでも見たかのように快活に笑っている。
「あら、クラリス嬢。あなたもそんなふうに笑うんですね」
先生の何気ない一言に、今度は私が茫然とする番だった。
──私が、笑った? まさか、この表情筋が仕事をしている……!?
思わず顔を手で触れる。状況を確かめるように周囲を見回すと、アレクシスとライオネルが揃って顔を背けた。
な、何その反応。そんなにひどい笑顔だったというの……!?
助けを求めるようにリナに視線を向けると、彼女は困ったように目を泳がせた後、何かを決意したように私の手を両手でしっかりと掴んだ。
「わ、私はクラリス様の笑顔が大好きです!」
……リナ、そんなに必死にフォローしなくてもいいのよ。私の笑顔は、相当ひどいものだったというわけね……
リナの全力のフォローに、私は事態の深刻さを理解した。私の表情筋には、仕事を休んでいてもらう方が良いのだと、心の中で固く決意した。
医務室の先生は治癒魔術の使い手で、実はライオネルの元同僚です。
今も騎士団長と交流があり、裏でこっそりライオネルの恋バナ?を肴に酒を飲み交わしています(笑)。
次回は3/24(月) 19:00更新予定です。




