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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第三章 建国祭はフラグ祭り

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クラリス・エヴァレット

 建国祭が終わり、王都には静寂が戻っていた。


 朝七時。私は学園の入口近く、ひっそりとした木陰に身を潜めるように立っていた。


 定期テストは終わり、リナとの早朝特訓も一区切りついた。だから、ここにいる理由はどこにもない。


 それでも、私は彼を待っていた。


「──こんなところでどうしたのかな、クラリス嬢」


 その声は、あのときと同じ響きで。彼は気配もなく、私の背後に立っていた。


 空気の揺らぎすらない。今回は油断せず、十分に意識を張り巡らせていたはずだった。けれど、それでも私は彼の存在──ゼノの気配を感じ取ることができなかった。


「……おはようございます、ゼノ先生」


 ゆっくりと振り返る。胸の奥からせり上がる震えを、クラリス・エヴァレットとしての矜持で押し殺しながら。


 ゼノは変わらず優雅に微笑んでいた。

 眼鏡の奥、アメジストの瞳が淡く光り、私を興味深げに見つめている。


 ──私は、わかっていなかった。


 画面越しの彼と、こうして真正面から向き合う彼は、まるで別物だった。


 ゼノルートは私も楽しんでいた。

 ミステリアスで掴みどころのない彼に惹かれ、魅惑的な微笑みに心を奪われた。


 だけど──


 現実の彼は、ゲームとは比べ物にならないほどの“底知れなさ”を纏っていた。


 私は、彼が怖い。


 この人が──「王家の影」と呼ばれる彼が、心の底から怖くて仕方がなかった。


「……やっぱり、君は私の正体を知っているみたいだね」


 私の些細な反応を、ゼノは微笑んだまま逃さない。笑っているが、心の底では冷たく私を観察しているのだろう。


 ゼノの手が音もなく伸びて、私の頬にかかった髪を指先でなぞる。それを耳にかける仕草は優雅で、けれど氷のように冷たい感触が伝わる。

 その手は、触れたまま動かない。


 私たちの視線が絡み合う。


 ゼノ・ラヴェル。エリューシア学園の魔術教師。

 若くしてその知識と才能を認められ、王宮からも度々招かれる実力者でありながら、彼は学園で教鞭をとる道を選んだ。

 その理由は「古代の遺物や魔術の研究に没頭できる環境が必要だったから」と彼は語る。教師という立場を利用し、自由に学び、探求することが彼の生きがいなのだという。


 ──それが、ゼノの「表の顔」。


 そして、もう一つの顔がある。


 「王家の影」──それが、彼の「裏の顔」だった。


 ゼノは、王家に仕える影の一族の末裔である。

 影の一族とは、王国の歴史の裏で、王家と国を支え続けてきた存在だ。彼らの任務は、呪術による暗殺、諜報、防衛など、多岐にわたる。王族が表舞台で国を治める間、彼らは誰にも知られることなく「影」として動き続ける──それが、彼らの宿命だった。


 「王家の影」としてのゼノの存在を知る者は、ごくわずか。

 この国で彼の裏の顔を知るのは、おそらく国王陛下と宰相であるエヴァレット公爵──私の父だけだろう。

 王太子であるアレクシスでさえ、「影」の存在を知っていても、それがゼノ本人であるとは気づいていないはずだ。


 現在、ゼノに与えられた任務は二つ。

 一つは、次代を担う貴族子女が通うエリューシア学園の守護と王太子アレクシスの警護。

 もう一つは、「封印の鍵」であるリナの監視。


 学園という表舞台で彼が教師を続ける理由は、ここにある。


 建国祭の路地裏で暴漢に襲われそうになったヒロインを助けるのも、彼の任務の一環だった。


「リナ君が現れてからの君は、まるで別人のようだね」


 ゼノの手が、頬から首筋へと滑る。思いのほか大きなその手が、ひやりと首元に触れた。微かな悪寒が走るが、私は言葉を発せない。


「さて──君は、本当に“クラリス・エヴァレット”かな?」


 ──気づかれている。


 前世の記憶を取り戻したあの日から、私はもう今までの“彼女”ではないのだと。


 今になって思えば、私はあまりにも迂闊だった。

 リナを成長させるためとはいえ、攻略キャラだからと理由をつけてゼノに必要以上に接触した。以前のクラリスなら絶対にしなかった行動を、次々と選んできた。


 そんな違和感に、彼が気づかないはずがない。


 でも。


 ──それでも。


「……私は、クラリス・エヴァレットです」


 そう、私は“クラリス・エヴァレット”。


 たしかに、前世の記憶を持っている。彼から見れば、不審な行動を繰り返す厄介な存在かもしれない。


 けれど、それでも私は、クラリス・エヴァレットだ。

 十八年間、この名前で生きてきた。クラリスとしての記憶も、前世の記憶も、すべてが今の“私”を形作っている。


 ──私は、間違いなくクラリス・エヴァレットなのだ。


 ゼノの青みがかった薄紫の瞳を、強く睨みつける。

 その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。ただの鏡のように、私を静かに映しているだけだった。


 二人の間に、沈黙が落ちる。


「……なるほど」


 最初に口を開いたのは、ゼノだった。彼は私から視線を外し、くっと小さく笑う。


「嘘はついていないようだね。それに──君ほど完璧に擬態できる人間がいたら、さすがの私も仕事がやりにくくなる」


 首に添えていた手が、再び頬へと移る。優しく触れる指先が、輪郭をなぞるように動いた。


 その手が思いのほか柔らかく、私は不覚にも鼓動が跳ねるのを感じた。


「……嘘はついていないが、本当のことも言っていない、というところかな」


 ──鋭い。


 その通りだ。けれど、本当のことを正直に話せるわけがない。

 「実は前世の記憶を持っていて、ここは乙女ゲームの世界なんです」などと言えば、間違いなく正気を疑われ、別の意味で“始末”されかねない。


 私は静かに息を吐いた。ゼノの指先はまだ私の頬に触れたまま──まるで真実を探るように、そこから動こうとしなかった。


「……言っても、信じてもらえないと思います」

「ほう?」


 ゼノは面白がるように口元を緩めた。

 彼の手は、私の頬から目元、そして髪へと無遠慮に滑る。まるで変装用の仮面でも探るかのようだ。

 とはいえ──前にも言ったが、女性の顔をこうも軽々しく触るのは、いかがなものかと思う。


「それは興味深いね。ぜひ、夜通し聞かせてもらいたいものだ」

「──冗談がすぎます」


 サラリととんでもないことを口にするゼノに、私は即座に抗議する。セクハラだ。

 しかし、先ほどまでの剣呑な空気は消え去り、彼の周囲にはいつもの柔らかな雰囲気が戻ってきていた。


 私は、ようやく全身の緊張を解き、肩の力を抜く。


「では、答えやすい質問にしようか。──君は、リナ君の“力”について知っているね?」


 力を抜いたばかりの肩が、ピクリとこわばった。

 一瞬、どう答えるか迷うが、どうせ下手な誤魔化しは通用しないと悟る。


「……ええ。彼女が『封印の鍵』であることは、知っています」


 私は、言葉を継ぐ。


「彼女がその力を使うには、自らが強くなること、そして人との絆を深めることが必要なことも」


 これで、私の行動の説明はつくはずだ。


 リナを強くするために、攻略キャラとの絆を結ばせるために──私は奔走してきた。

 そうしなければ、「封印の鍵」の力は目覚めず、「古代の神」に対抗する術はないのだから。


 ふと、私の頬をなぞっていたゼノの手が止まった。

 不思議に思い視線を向けると、彼はわずかに驚いた表情を浮かべていた。


 ──あれ? なんで驚いてるの?


「絆……それは、私も知らなかったな」


 ──しまった。余計なことまで言ってしまったかもしれない。


 背中に冷たい汗が流れる。

 ゼノは私に触れていない方の手を口元に当てて、何やら考え込んでいる。


「なるほど……だから君は、彼女に私やライオネル先生の個別指導を受けさせ、殿下やルーク君に近づけるため、生徒会に入れたんだね」


 ──その通り。だが、それを察されると、さすがに気まずい。


 私は軽く視線を逸らしながら、心の中で吹き荒れる後悔の嵐をなんとか押さえつける。

 いらぬ情報まで与えてしまったことに、頭を抱えたい気分だった。


 情報を整理し終えたゼノは、ゆっくりと私を見据え、薄い唇で静かに微笑んだ。

 それは、美しくもどこか底知れない微笑だった。


「貴重な情報をありがとう。それが真実かどうかは検証が必要だが……考慮に値する話ではあるね」


 どう「考慮に値する」のか、その真意が気になったが、これ以上余計なことを口にすべきではないと判断した私は、黙して語らずを貫いた。

 私の沈黙を察したのか、ゼノの目が一瞬だけ細くなる。彼は私の唇を指先でそっとなぞると、そのまま手を離した。


「今日はここまでにしよう。そろそろ授業の準備をしなければならないからね」


 ふと気づくと、時刻はすでに八時を回っていた。

 耳を澄ませば、生徒たちの明るい声が校舎の方から聞こえてくる。

 ここは校舎の死角にある木陰。二人の姿はおそらく誰にも見えていない──いや、見られていないことを願いたい。

 もしこれが生徒に目撃されていたなら、今ごろ学園中が騒ぎになっていたはずだ。考えるだけで背筋が寒くなる。


「ひとまず、君の秘密については保留にしておこう。今のところ──君は私の“獲物”ではなさそうだから」


 “獲物”という言葉に、不吉なものを感じて思わず身を竦める。

 それを見て、ゼノは恐ろしいほど艶やかな笑みを浮かべた。まるで捕らえた獲物が自ら逃げ出せないことを知りながら、それを弄ぶ捕食者のように。


「……それでは、失礼いたします」


 現時点で、ゼノが私を直接害するつもりがないことは理解できた。

 それでも、その視線から逃れたい衝動に駆られ、私はカバンを持ち直して踵を返す。


 校舎に向かって歩き出した、その瞬間だった。


「これからが楽しみだよ」


 耳元で囁かれるように響く、低く艶やかな声。

 その声は、私の背筋を氷の刃で撫でられたように震わせた。


 思わず耳を押さえ、振り返る。

 だがそこには、すでに誰の姿もなかった。


 残されたのは、肌にこびりつくような余韻と、彼の放つ得体の知れない“気配”だけ。

 恐怖とも色香ともつかない感覚に、私はしばらく動けず、その場に立ち尽くしていた。


次回は初めてのゼノ独白パートです。

3/7(金) 19:00更新予定です。

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◆YouTubeショート公開中!◆
 https://youtube.com/shorts/IHpcXT5m8eA
(※音が出ます。音量にご注意ください)
(本作10万PV記念のショート動画です)

◆スピンオフ短編公開中!◆
 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

◆オリジナル短編公開中!◆
 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
― 新着の感想 ―
クラリスのハーレム的恋愛模様を楽しみにきたはずなのに……こんなメタ的シリアス展開が待っていたなんて、面白すぎます!
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