【アレクシス】永遠のライバル
王宮のバルコニーに国王夫妻が姿を現すと、王都の広場を埋め尽くした民衆から歓声が上がった。父と母の存在が、いかに国民から信頼されているかが、声の波から伝わってくる。
バルコニーに続く王宮の階段には、貴族が整然と列をなし、王族の姿を見守っていた。
その中で、私の視線は自然とひとりの人物に引き寄せられる。
貴族たちの先頭に立つエヴァレット家の令嬢──クラリス・エヴァレット。
黒曜石のように艶やかな髪をきっちりとまとめ上げた彼女の姿は、どこか神秘的で、完璧に彫刻された美術品を思わせる。立っているだけで、見る者すべてを惹きつける威厳と優雅さを兼ね備えていた。
その手には、一輪の花が握られている。その花弁は深い青から紫へと美しいグラデーションを描き、光の加減によってはさらに幻想的な輝きを放っていた。
彼女は筆頭公爵家の令嬢として、王国記念式典において重要な役割を持っている。
この後に行われる「王妃の祈り」の際、王妃に国花である《ミスティルローズ》を献上する役目を担うのだ。クラリスが手にしているのは、まさにその儀式のために選び抜かれた特別な一輪だった。
「王妃の祈り」は、王妃が《ミスティルローズ》を捧げ、国と民の繁栄を願う重要な儀式である。王妃が祈りを終えると、民は王妃に敬意を示し、それぞれ手にした花を掲げて応えるのだ。
私は自然と彼女の前で立ち止まった。伏せられていたクラリスの瞳がゆるやかに持ち上がり、静かに私を見つめる。
彼女は私の婚約者だ。
長い付き合いになるはずなのに、私は彼女のことを知っていたつもりで、何も知らなかったのかもしれない。
これまでのクラリスは、その美しさにも関わらず、どこか人形のようで、感情の読めない冷ややかな存在だった。
だが、最近の彼女は違う。
一人の少女──リナを支え、彼女のことになると、わずかにではあるが感情を表に出すようになった。
その変化に、私は戸惑いを覚えると同時に、彼女の知らなかった一面を目の当たりにしている自分に気づく。
私は静かに手を差し出した。彼女の視線が揺れ、差し出された手を凝視する。
クラリスが王宮のバルコニーに立つのは「王妃の祈り」のときだけ。それ以外の時間は、貴族の列の中に留まるのが決まりだ。
クラリスはちらりと宰相である彼女の父、エドワードを見た。エドワードは私とクラリスを一瞥し、小さく頷く。
それが宰相としての判断か、父親としての判断かはわからなかったが、その許しを得て、クラリスはそっと私の手を取った。
冷たい。
彼女の手に触れた瞬間、そう感じた。
──氷の公爵令嬢。
そう呼ばれる彼女に、私はこれまで何の疑問も抱かなかった。
感情を表に出さず、いつも静かで、決して心を乱さない。だからこそ、私は彼女に何も感じずに済んでいたのだ。
……それは、ただの錯覚だったのかもしれない。
私は無意識に、その冷たい手を強く握りしめる。
かすかに震えた彼女の指先に、私は氷がわずかに溶け始めた気配を感じた。
少しずつ、変わっていく彼女に、私は目を逸らせなかった。
そして心の中で、今まで押し込めていた感情がわずかに動き始めたのを感じる。
──君は私のライバルだ。
だからこそ、手放さない。
私は手を緩め、クラリスを伴ってバルコニーへと踏み出す。国民の歓声が一段と高くなり、王宮の石畳が揺れるようだった。
父と母はクラリスを伴って現れた私を見て、ほんの一瞬だけ驚いたように目を細めたが、すぐに表情を整えた。
彼らもまた、王族として、完璧な立ち振る舞いを見せる。
私は、クラリスの手をそっと引き、彼女が未来の王妃であることを国民に示すように、彼女をバルコニーの中央へと導いた。
次回は2/17(月) 19:00更新予定です。




