難局を乗り切った後は
午前中のテスト終了を告げる鐘が鳴り、生徒たちのペンを置く音が一斉に教室に響いた。
開始十分で全問解き終わっていた私は、一年生の教室でテストを受けているであろうリナのことが気になり、ずっとそわそわしていた。
先生が解答用紙を集め終え、解散を告げると同時に、私は席を立つ。
脇目もふらず教室を出て、一年生の教室へ向かおうとすると──
「……どうしたのですか?」
隣に、いつの間にかアレクシスが並んでいた。
「リナの教室に行くのだろう? 私も行く」
……いや、そうじゃなくて。なんであなたも行くのかを聞いているのだけれど……
しかし今は、アレクシスに構っている暇はない。
私たちは競うように足早にリナの教室へと向かった。
私とアレクシスが並んで歩く姿に、生徒たちは慌てて道を譲る。
人垣が割れた先に一年生の教室の表札が見え、私は迷わずその扉に手をかけた。
ガラリと扉を開けると、机に突っ伏した魂の抜けたようなリナと、その隣で苦笑するルークの姿が目に入る。
リナは私たちに気づくと、驚いたように体を起こし、慌てて駆け寄ってきた。
「ク、クラリス様、アレクシス殿下!? ど、どうしてここに……」
途中まで言いかけたところで、彼女は私たちがここにいる理由に思い至ったのだろう。背筋を伸ばし、拳をぎゅっと握りしめながら私たちを見上げた。
「あ、あのっ、テストは……」
「テストは?」
「……なんとか、解けたと思います」
自信なさげにしつつも、最初の頃のまるで手応えがなかった表情とは違う。
リナの顔には、確かな成長の証があった。蕾がほころぶように浮かぶ彼女の笑顔は、思わず目を奪われるほど可憐で──
私は、その破壊力に思わずリナを抱きしめそうになる気持ちを、ぐっと堪えた。
胸の前で両手を握りしめ、深く安堵の息をつく。
──ああ、良かった。赤点は、退学は免れた……
あまりの安堵に、体から力が抜けるのを感じる。思わずよろめいたその瞬間、私の肩を誰かがそっと支えてくれた。
「まだ結果は出ていないんだ、気を抜くな。午後には実技テストもある」
「は、はいっ!」
その人物──アレクシスは私の肩に手を置いたまま、静かにリナに告げる。
リナは姿勢を正し、元気よく返事をした。
確かにその通りだ。終わったのは筆記テストだけで、結果はまだ出ていない。午後には実技も控えている。
完璧な公爵令嬢として気を抜くなど、あってはならないことだった。
「姉さん、リナに過保護すぎるんじゃない?」
ルークが呆れたようにこちらへ歩み寄る。その様子は、いつもどおりの彼だった。
昨日の夜、ルークの様子がどこか不自然だったので心配していたが、どうやら大丈夫そうだ。
彼ならおそらく、テストで満点を取っているだろう。さすがエヴァレット家の次期当主、私の弟だ。
ルークは私の肩に置かれたアレクシスの手を見て、わずかに眉をひそめた。
「……何やってるの、アレクシス」
その問いかけはどこか冷ややかで、空気にわずかな緊張が走った。リナが顔を青ざめさせながら、ルークとアレクシスを交互に見つめる。
背後にいるアレクシスの表情は見えないが、肩に置かれた手がわずかに力を帯びたかと思うと、静かに離れた。
私は振り返り、アレクシスに向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ございません、アレクシス様。お見苦しいところをお見せしました」
「……いや、構わない」
アレクシスは私から視線を外し、そっけなくそう答える。その横顔は、まるで苦虫を噛み潰したようだった。そんなに私を支えたのが嫌だったのだろうか。
私はリナに向き直ると、完璧な公爵令嬢の威厳をまとい、堂々と告げる。
「殿下の言うとおりです。午後の実技テストも気を抜かないように」
「はいっ、クラリス様!」
威厳を吹き飛ばしそうなほど眩しい笑顔が返ってくる。思わず目を細めそうになるが、そこは公爵令嬢のプライドで耐える。
──うぐっ、さすがヒロイン。あまりにも眩しすぎる。視界が白い……
心の中で「平常心」と十回唱えて、私は言葉を続けた。
「……今週末は建国祭よ。定期テストが終わったら、一緒に行きましょう」
一瞬で、世界から音が消えた。
リナも、アレクシスも、ルークも。そして、会話に聞き耳を立てていたであろう周囲の生徒たちも、まるで時間が止まったかのように静まり返る。
……ちょっと驚きすぎでは?
私はあえてリナの返事を待たず、踵を返す。廊下に響く私の足音が、静寂を破った。
次の瞬間、背後から悲鳴にも似た叫び声が上がる。怒号のようにも聞こえるが、どちらかはわからない。
しかし、この難局を乗り越えた今の私には、些細なことだった。
次回は2/12(水) 19:00更新予定です。




