【アレクシス】脅威
私の婚約者だけでなく、将来の義弟までおかしくなってしまったようだ。
先程のクラリスとルークのやり取りを目の当たりにし、私は戦慄した。
「ルーク、お前……」
クラリスが生徒会室を出た後、呻くようにその名を呼ぶ。
楽しそうに鼻歌を歌っていたルークは、私の様子に気づき、悪戯っぽく笑った。
「どうしたの、アレクシス? 変な顔してるよ」
大変失礼な物言いだが、自分が普段とは異なる、苦虫を噛み潰したような表情をしているのは自覚しているため、言い返せなかった。
このルークという男は、無害そうな外見に反して、底が見えない。
もともとエヴァレット家の分家の出身で、クラリスが私の婚約者になった際、エヴァレット家を継ぐ者として、クラリスの弟となった。
そのため、私とも幼い頃からの付き合いであり、私は彼に、自分を呼び捨てで呼ぶことを許している。
クラリスの影に隠れがちだが、ルークは非常に優秀だ。おそらく、私の父と現在の宰相であるクラリスたちの父のように、将来、私はこの男と二人三脚で国を治めることになるだろう。
ルークのクラリスへの感情が、単純ではないことは理解している。
エヴァレット家に来たばかりの頃、まだ物心つくかつかない年齢だった彼が、厳しい指導に打ちひしがれていたのを私は知っている。
そして、そんな彼をクラリスが陰ながら助けていたことも。
完璧な姉に対する反発心と、同時に抱いていた憧れ。
その複雑な感情ゆえに、彼はクラリスに対して素直になれなかった──今までは。
「……さっきのは何だ」
「さっきのって?」
とぼけたふりをするルークを、私は鋭く睨みつけた。絶対にわかっていてやっている。その証拠に、私の反応を楽しむような笑みを浮かべている。
「そんな怖い顔しないでよ。リナが怯えてるよ」
そこでようやく、この部屋にもう一人いる存在を思い出す。
リナ・ハート──彼女はエメラルドグリーンの大きな瞳を瞬かせ、「え? 私?」と、名前を突然呼ばれたことに驚いている様子だった。
「ほら、姉さんに頼まれたんだから。ちゃんとリナに仕事を教えてあげてよ」
ルークはそう言うと、手元の書類に視線を戻しながら軽く肩をすくめた。
確かに、現時点で自分の仕事を終えているのは私だけだ。彼女に仕事を教えるのは、私の役目だろう。
だが、問題はルークだ。本気を出せば、彼は既に自分の仕事を終わらせているはずだ。それを、わざと遅らせているように見える。
──さっきのクラリスとのやり取りが引っかかる。あれは一体何だったのか。
「あ、あの、えっと……」
リナが困ったように、私とルークを交互に見た。戸惑いと緊張が伝わってくる。私とルークの間に漂う剣呑な空気が、彼女を困惑させているのだろう。
私は一つ大きく息を吐くと、部屋の中央にあるソファーを指差した。
「そこに座りたまえ。仕事を教える」
「は……はい!」
リナは慌てて姿勢を正し、ソファーに向かうと、ローテーブルに書類を置いて腰掛けた。彼女の動きにはぎこちなさが残るが、それでも姿勢だけはきちんと保っている。
「……話は後で聞かせてもらう」
彼女の様子を横目で確認しつつ、私はルークに低く告げた。私の不機嫌さを感じ取ったのか、彼は苦笑した。
「本当になんでもないよ。ただ……うかうかしていられないな、と思っただけ」
「……どういう意味だ?」
「言葉通りだよ」
ルークは静かに視線をリナに向けた。彼の空色の瞳に、どこか既視感のある感情が浮かんでいるのを感じた。それが何なのか、答えにたどり着けないもどかしさが眉間にしわを刻ませる。
意味がわからない。このルークが、リナに脅威を感じている……というのか?
飄々としながらも、優秀なこの男が?
だが、それがどうしてクラリスへのあのような態度──まるで恋人に甘えるような様子につながるのか。その関連性が見えてこない。
私はそれ以上考えても答えが出ないと判断し、リナの正面のソファーに腰を下ろした。視線を書類越しに彼女へ向ける。
少なくとも、クラリスやルークに変化をもたらした中心には、彼女がいる。それは間違いない。
私の視線を感じ取ったのか、リナの小柄な体がビクリと震える。姿勢をさらに正した彼女の額には、じんわりと汗が滲んでいるのが見えた。
──いいだろう。見極めてやる。
この少女が、一体どれほどの脅威を秘めているのかを。




